去年の終わり

去年の終わりの日の夜は,

義母と一緒に紅茶を飲みながら、

ボブ・サップと曙の試合を見ていた

3分足らずの短い試合に,何万人もが出向き,

藤原紀香が勝手に盛り上がっているのに,高花田が乗っかり,

小柳ゆきとステービーワンダーが愛国の意だか,何だかをささげている間に

イランでは、大地震で家を失った何万人もの人達が凍えていた

私と義母が,曙の打たれ強さを批評している間に

救助隊が父親の前を無視して通り,父親は懇願し,

瓦礫の下敷きになった息子は,最後の息を吐き出したかもしれない

20031231日の夜の我が家は,暖房器具のおかげで暖かかった

名古屋ドームも空調と人いきれのおかげで随分と暖かかったに違いない

試合を見た後,人々は,明日の幸せを夢見て,明るい顔で家路についたことだろう

我が家も,トランプをしながら,初詣に行こうかなどと話し合いながら,

寒そうだったので,結局,どこにも行かなかった。

その間にも,貧しい子供たちの命が,消えて行ったに違いない

パレスチナでは,若者が爆弾を体に巻きつけて

肉親と別れの一時を過ごしていただろう

どうしても行くのかと,母親が泣いた

父親は,何も言わずに,ただ泣いた

若者の澄んだ瞳のはるか先のアジアでは,

ようやく生理が始まったばかりの少女が,金持ちの中年の男の腹の下で

無表情に目を見開いていた

少女は,一日に何人もの男と寝,病んでいたが,

そのことすら知らずに,目を見開く

例え知っていたとしても,その事に対して,彼女に何ができただろう

見開いた瞳の奥に,淡い命の焔が見えるか

病は,男に確実に伝染し,男は,自分の国で家族から隔離される

テレビでは,脳天気なコメディアンが笑いを取り,

それに対して,我が家でも,大声で笑った

笑うことはいい事だ。

そうすることで,日々のストレスが飛んでいく

そして,来年から吉野家が食べられなくなるだろうなどと言う事を喋った

だが,そんな事は,地下鉄の構内にすら入れてもらえず,

寒空に震えるホームレスの男には,どうでもいい事だった,

コンビニの賞味期限切れの弁当が,手に入りさえすれば。

そのコンビニの中では,化粧を落とした女がジャージ姿で買い物をしている。

その手に握られているのは,ビトンだかグッチだかの高価な財布である。

その購入費用で,ある番号に電話をすれば1000人ばかりの赤ん坊に予防接種を

打ってあげられるのだ,たぶん。

だが,彼女は,決して電話をしないだろう。

餓えた事の無い人は,餓えの苦しみを知らないから,餓えた人に同情しない。

貧困の苦しみを知らない人も,貧困にあえぐ人に同情しない。

我が家も同じだ。

日本のいたるところに地雷が仕掛けられ,毎日のように,それによる犠牲者が

出るような事になって初めて,我が家も,何かをしようと思うに違いない。

戦後間もなくの日本のように,包帯を巻いて,片手片足の人々の群れが

ニュースに登場するようになって,初めて,みんな,何かをしようとするのだ

そして,自分がした行いを,満足げに振り返るのだろう。

それが一つのカタルシスともなる

20031231日の夜は,そのようにして過ごした

そして,家族が寝静まった後に,少しテレビゲームをして,少しエロビデオも見て,

私も眠った。

 

 

 

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