「風は,夏草の葉擦れに隠れて



風は,夏草の葉擦れに隠れて,

時折,君の素足のスカートを膨らませるのだろう。

午後の陽射しから逃れて,まどろみ始めた虫達の

生臭い吐息を乗せながら,君の産毛をそよがせるのだ,あの日のように。

幼い日の,茶摘の時,

指を切らぬように巻いたテープがはずれたと,

べそかきながら差し出した,君の白く柔らかい手を

丘の上の病院の真新しい壁の冷ややかさに囲まれて,

思い出している。

 

君との約束も。


夏休みの始めの一番最初の船で一緒に島に渡る約束。

 

毎年毎年,夏休みの間,島のおじさんの家に親戚中の子供が集まって,

今は高速道路になってしまった野や山を駆け回り,

海に出て泳ぎ,魚釣りをして過ごした,あの日々。

君の白い肌,束ねた長い髪,黒い大きな瞳。



病室のベットの上に島全体が浮き上がる。

壊死した足の先に血が蘇る。

ほら,二人で隠れた洞穴から斜面を駆け下りると,沢蟹のいる小川。

小川伝いに,よくその上でおにぎりを食べた海岸の平らな岩まで出て,

おじさんの船まで競争すると,

おじさんは大きなハモを両手にかかげて笑いかける。

 

そう,あの夏の約束は特別だった。

誰よりも最初に,二人だけで島に渡ろうって,手紙を書いたのは僕だった。

君からの返事に胸高鳴らせ,夏が来るのをひたすら待ち焦がれた。

でも,二人とも島へは渡れなかったね。

僕が風邪こじらせて寝込んだせいでもあるのだけれど。

 

船の進路に機雷を置いたのは誰?

そんな残酷な悪戯を思いつくのは誰?

 

来年こそは一緒に行こうって打った電報は,

君の元に届いたろうか。

 

約束は,長い間,僕の心の奥底にしまいこまれたままだった。

でも,そろそろ出してあげないと,僕にも,もう時間が無い。

しかし,

果たせるだろうか,この有り様で。

腕すらも上がらず,ベッドから抜け出せないでいるよ。

君は,行けないでいる僕を

船が出るギリギリまで,桟橋に立って,待っててくれるのだろうね。

デッキで風にあたりながら一緒に飲もうねと約束した,待合室のラムネを両手に持って。

 

思い出だけ,

そう,思い出だけでも飛ばそう,あの窓から。

緑濃い山あいのなだらかな夏の背をすべりおりて,

君の元に届くだろう,風とともに。

あの日に置き去りにした僕の心とともに。

 

集中治療室の酸素吸入器の中でしわがれていく僕。

君は,そんな僕の姿を,ついぞ知らずに,

そこに立っている。

そして待っている。

長い長い約束の時を。

必ず行くと誓ったあの時間の中で。

 

何度も何度も君の魂に花束をささげた

あの海で。

 

 

 

 

 

do_pi_can   ド・ピーカン  どぴーかん  さて、これから  詩  小説  エッセイ  メールマガジン