「O・KI・NA・WA」
『国際通り』
ここはカリビアの街
と,思われた。
老若男女全てが,
取りも直さず,
暑気と酒の泡の上に浮いている
その間を,車が駆け抜ける
夜は,いつまで続くか
喧騒は,朝を知らない
振り返ると,
ジョニ―・ディップの群れ
『嘉手納基地周辺』
どうして,
こんな広い土地を占有するのだと,
怒りはじめた私の目の前を
F16が飛び去り,
その素晴らしさに見とれていると,
頑固な理想論より,
ひよわな現実論が思考回路を
占拠する
ジェット機の離着陸航路近くの海の底の
珊瑚や色とりどりの魚達,
その表情の豊かさに息を呑み,
海中である事を一瞬忘れて,
海底のゴキブリよろしく
溺れそうになる
水深12メートル付近
大量の泡が
見上げた水面に這っていく
『満座ビーチ』
那覇から満座ビーチへの途中に
“おんな売店”と言う文字を見て,
ドキリとする
よくよく考えれば,
ここは,恩納である
至る所に“おんな”の文字があっていい
満座ビーチは,
程良く仕上がった楽園で,
目の前を
ほとんど紐状の水着の女性が
子供をあやしながら通っていく
ああ,そんな時代なんだと,
変に納得する
そこが,恩納湾の一部であると知って
さらに,納得する
『首里城』
勇壮さより,優しさを感じるのは,
私だけだろうか
自然の傾斜を利用した要害に,
折り重ねた壁
しかし,このグスク(城)には,
壁から石を落す仕掛けが無い
だから,
人を信じる心が溢れている
日時計があり,井戸があり,
神を祭る祠があり,
中腹からは,
沖縄を取り囲む海の
珊瑚礁に白波が立っているのが見える
自然を愛でつつ
生きた人々の心がある
『シーサー』
家々の玄関に
シーサーがいた
ふと迷い込んだ古い石畳の道の
坂の途中の家にも
シーサーがいて
遠い海の物語に
耳傾けていた
ところで,
沖縄の道路には
暴走するオートバイが多い
暴走族かと思いきや
普通の通勤の人々である
車の間を縫って
暴走する
引っ掛けそうになって,
睨み付けられる
中年女性のライダーで
その顔は,シーサーそのものであった
『金城の石畳』
かつて,日本軍が
首里城の地下を大本営としたために,
その近辺は激しい戦闘に見舞われ,
壊滅状態だったそうだが,
金城の石畳とオオアカギは,それ以前の
静かな古都の面影を伝える
南風原(ミナミハエバル)と知念の海を見下ろしながら,
かつての琉球王朝の人々の気持ちを推し量る
ここには,京都や奈良に並ぶ
素晴らしい古都が眠っている
さいわい戦禍を免れたオオアカギに住む
キジムナーが
その事を耳打ちしてくれる
『摩文仁の丘』
1945年3月26日 慶良間(ケラマ)諸島で始まった上陸作戦は,
6月23日摩文仁丘で牛島軍司令官と長参謀長が自決するまで
沖縄本島を激しい戦闘下に置き,
一般沖縄県民94,000人、日本軍94,000人、米軍12,000人の犠牲を出した
本当は,日本軍が首里城で降参していれば,
このうちの,特に,沖縄の住民の犠牲を
もっと,少なくできたはずだ
日本軍は,愚かしくも,
本土防衛の事だけを考え,
すでに,本土上空の制空権は米軍側にあったにも係わらず,
沖縄の住民を盾にして,司令部をさらに南に移す。
南部には,戦禍を避けて,ガマに逃げ込んでいた多くの住民がいた
軍部は,ガマの住民の間に逃げ込んだ
ここを攻撃した米軍によって,
軍人だけでなく,
住民までもが,虐殺される
日本軍が首里城で勇気を出して降参していれば,
もっと多くの住民を救えた
その証拠に,日本軍の少なかった沖縄北部では,
この時,既に捕虜になった住民の戦後が始まっており,
学校もあり,
米軍によって,少なくとも,
医療と食生活は保証されていたようだ
己を殺して他を活かすのが武士道ならば,
軍は,まさに,己の死を恐れて
犬死の群れを作り出し,
武士道にもとる行いをした
それでも,
“それが戦争だ”と嘯くかと,
コーラルブルーの細波が
まだ見つけてもらえぬ
哀れな軍人のしゃれこうべに
何度も何度も,ささやく
何度も何度も,
静かに優しく
『公設市場』
那覇に行くなら,
むつみ橋交差点からOPAの裏手に続くアーケード街を抜けて
那覇市第一牧志公設市場に立ち寄ってみるといい
市場の入り口をくぐると,
豚皮のお面がいきなり目に飛び込んでくる
目の刳り貫かれた全て食せるお面
特に,耳がおいしい
その下に,足
ゼラチン質の多い柔らかい肉
そして,あばら肉,
これらが,
ミミガーや,ソーキや,ラフテーや,テビチとなって,
唾液腺を直撃する
その奥には,
豆腐を泡盛に漬けて発酵させた“豆腐よう”や,
ソーキ蕎麦に無くてはならぬ唐辛子の泡盛り漬け,
海ブドウ等が所狭しと並べられ,
さらに奥へと足を運ぶと,
グルクンはじめ,色とりどりの魚,魚,魚
さらに,ヤシガニ
もう,胃袋が悲鳴を上げている
“ゆうなんぎぃ”のような
美味しい沖縄料理の店に行く前に,
ここに来るべきであった
少なくとも,
最終日に訪れるような場所ではない
『コザ』
アメリカ人の理想郷の姿は,
おそらく,
こんなであろう
歓楽と退廃と底抜けの明るさと薄ら暗さ
白亜に群がる原色の光彩
汗臭さと,クーラーと,酒と,裸,タットゥー,ステーキ
ここは,アメリカのつくり上げた街である
だから,思想性など無くていい
ジョン・ウエインがいればいい
だから,
今晩脱いだついでに,
お客と寝る予定の女の子のタガログ語も
昼間の銭湯のように筒抜けに明るい
かつて,神栖で聞いたのと同じタガログ語とは思えない
昭和25年に開業したニューヨークレストランで
ぶ厚いステーキにナイフを入れながら,
そう思う
そこを訪れた多くの米軍司令官も
そう思ったに違いない