「海沿いの町」

 

 

電車のドアが開くと

潮の香りが鼻を突く。

何年ぶりかの刺激。

海沿いの,しかし,海水浴施設があるわけでもない

ひなびた漁村があるだけのこの駅で降りる人は少ない。

はげかけた駅名と,

薄汚れたベンチ,

無人の改札に置かれた使用済み切符入れの小さな箱が

僕を出迎えてくれる。

ここは,かつて何度も来た君の町だ。

改札を通り過ぎた時,

僕の腕に触れた何かは,

「あの頃」と言う優しい感触か。

 

次の瞬間,

僕は,それ以上

歩き出せなくなる,

「今」という残酷な現実に押し潰されそうになったから。

駅前の駄菓子屋の見慣れた老婆の眼差しが,

僕に勇気を与えてくれる。

電車を待つ間,あそこで買ったラムネを飲んだものだよね。

 

君と出会ったのは,

五年前,この町の国道沿いの喫茶店。

「金持ちのぼっちゃんと,遊んでる暇は無いの」

君の言葉が,昔見たラブ・ロマンスのヒロインのセリフにダブって,

ぞっこんになり,学費を稼ぐ君の仕事の合間をぬってデートした。

三年間付き合ったけど,些細な事が原因で疎遠になって,

この前,二年ぶりに,メールのやり取りが再開した。

 

国道の陸橋を渡る。

車の量は,あの頃より,はるかに多い。

君と出会った喫茶店は,ファミリーレストランの駐車場になっている。

国道脇から入る狭い路地が近道で,

路地を抜けて左に曲がり,二筋目を海側に折れると,君の家だ。

 

けど,君だった物の実体は,右に曲がってちょっと先の,地区会館にいる。

それは知っているけど,

いきなり君に会って,どう取り繕っていいかわからない。

まずは,君の家に行こう。

そして,胸の塊を吐き出してしまおうと思った。

 

角を曲がると,君の家。

そして,玄関の所に君がいた。

信じられない事だけど,君は,いつものように微笑んで,

僕を出迎えてくれていた。

僕は,手を振って,足早に近づこうとする。

君を抱きしめたい,人目もはばからず。

でも,君は,携帯を出して,指差す。

そうか,まだ,送っていない返信メールがあったね。

 

「了解,君の町で待ってて。すぐ行く。」

これが僕の返信。

それに,君からのメールが続く

 

>いろいろあったけど,

>やっぱり,あなたがいいな。

>もう一度,最初から,どう?

 

 

昨日,

送れなかった。

送ろうとした途端に着信があって,

君のお母さんからで,君の訃報を伝えられたから。

 

 

ポケットから黒いネクタイを取り出して,

地区会館に向かう。

君の姿は,もう,どこにもない。

潮の香りが鼻を突くけど,

景色が崩れ,ゆがみ始めたのは,そのせいじゃない。

僕は,君の名前を小さく呼びながら,

メールの送信ボタンを押した。

 

 

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