50回目」

 

 

この号で,50回目だ。

嫌になったらいつでも止めようと

思って始めたにしては,

よく続いている。

 

でも,50回じゃ,何の感慨もわかない。

500回や,5000回だと,

さすがにすごいと思うだろうな。

 

毎月だいたい12回発行するから,

500回と言うと,おおよそ42ヶ月。

3年ちょっと。

とすると,5000回だと,30年以上か。

 

それは,すごい。

5000回達成には少なくとも73歳まで,今と同じペースで書き続けねばならい。

これは,ちょっと自慢できそうだな。

 

今,これを読んでくれている人の中に,20歳の方がいれば,その方は,50歳になっている。

50歳まで,読んでいただけますか?

30歳の方だったら,60歳だ。

60歳まで,付き合っていただけますか?

 

50歳超えたら,皆,じい様に,ばぁ様だ。

今でこそ,10歳の差は大きいが,30年後には,「踊る大捜査線」を映画館で,

もしくは,ビデオか,テレビ放映で観た経験を共有する,お仲間だ。

30年後には,東京湾埋め立てがさらに進み,レインボーブリッジは老朽化し,

その先は,観光地としての役目を終え,

20代の人達から,「え,お台場って何?」と聞かれるわけです。

10歳の差なんて,若く見えるかどうかだけの違いですね,

「え,65? あらやだ,お若くお見えになるんで,50代かと思ってましたわぁ」

ってな,具合。

40代のヤングな私から見れば,どちらも高齢者。

おっと,私も70代か。

 

しかし,30年後は,どんな社会になっているんでしょう。

想像もつかない。

日本は,まだ,存在してるんでしょうか?

だいたい,人類そのものが,生存してるんでしょうか。

 

考えたくも無いですけど,考えなくても,時は誰に対しても平等に過ぎていきます。

この世で平等と言えるのは,どうやら,老いることだけのようですね。

 

さて,

さて,

じゃあ,未来に対して,何かをしなくちゃ。

何かを残していかなくちゃ。

ってな事で,私は,書いているんですけどね。

これは,20年前もそうでした。

20年前,私は,20年後の自分を読者に想定して,

詩を書いていた。

20年前のあなたは,こんな事を考えていたんですよ,って。

 

20年前の私にとって,憧れの20年後の姿は,プー太郎の売れない文筆家でした。

失うものが無かったので,そのような無謀な夢を描けたわけです。

 

ところが,歳をとってくると,失いたくないもの,失うことに恐れを感じるものが

いっぱい増えてきて,20年前みたいに,冒険者的に将来の自分の事を考えられなくなってきた。

これも,事実ですね。

 

それでもね,少しずつでも,書いていかなくちゃ。

「君は時代のバックコーラス」とは,私の好きな梅村さんという詩人の詩のタイトルですが,

まさに,バックコーラスとしての役目を,きちんと果たす義務がありますよね。

ギリシャ悲劇も,コロスがしっかりしていないと,成り立たない。

 

「枯れ木も山の賑わい」とは,一緒に飲んでて,よく梅村さんの口から出てきた言葉だった。

そういえば,「夏炉冬扇」ってのも,よく言ってたなぁ。

その頃やってた北村想の芝居の中に,

「夏だというのに,赤いマフラーをもらった。 だから,冬まで生きてみようと思った。」

なんて台詞もあった。

 

次の季節に託す想い。

 

つまりは,そう言う事なんですね。

 

たぶん。





2003/11/10