「秋深し」

 

 

大阪の御堂筋の銀杏が黄金に輝き,まもなく葉を落とす。

枯葉が地面を覆い,風に舞い,方々に小さなつむじを作る。

 

毎年毎年,見る光景です。

時は,確実に過ぎ,季節は,確実にやってくる。

 

若かりし頃は,その事にすら驚けたのに。

はたまた,大きくため息をつけたのに。

 

年食ってくると,なかなか単純にはいかないもんです。

単純にいかない事に対して寂しさを感じたりしてね。

感情も随分と入り組んで,複雑になるもんだ。

それとも,私が,単純すぎる人間なのか。

 

今年は,まだ御堂筋の銀杏の実は落ちて来ない。

これまた,毎年確実に実をつけて,近くの幼稚園児が拾いに来て,

近くに住むバァ様も拾いに来て,野宿生活者も拾って,

まぁ,界隈の多くの人が潤うわけです。

日本中概ね,どこに行っても見られる光景ですね。

 

銀杏といえば,子供の頃の痛い思い出があります。

 

子供の頃,近くの神社の境内に,大きな銀杏の木がありまして,毎年,たくさんの実をつけてました。

近所の悪餓鬼の格好の標的でありまして,みんな,我先に拾いに行く。

近いといっても,小学校の高学年くらいにならないと足を伸ばさない程度の近さでありまして,

四年生になった時に,初めて拾いに行ったわけです。

とにかく大きな木で,実の多さも別格。町内の悪餓鬼全員のお腹を満たす事ができたと思わしいくらい。

まぁ,子供の頃の思い出ですから,多少大げさです。

 

で,落ちている実を大量に拾って,境内の横を流れている小川の水で洗って,種だけにして,

持って帰って,フライパンで炒って,食することの何たる美味。

まぁ,子供の頃の事とて,おやつもあまりいいものがなく,ほとんどのおやつには,

今じゃぁ目を向かれるような着色料や食品添加物,特にチクロなんて言う,

どこやらの新興宗教団体が騒乱用にでも使用しそうなおどろおどろしい名前の人口甘味料が

タップリ入っておりまして,そういう意味では,完全自然食品であるわけです。

美味しくないわけがない。

このようにして,程よい運動と,程よい満腹感を抱え,程よい眠りにつき,幸せな一日が終わったのですが。

 

翌朝,何やら目が開きにくい。

目やにのせいだと一人合点して,目をこすりこすり,朝の小水放出に向かうわけです。

で,その朝,始めてみる自分の一物に,びっくり仰天。

なんと,通常の三倍はゆうに超えた大きさになっているではありませんか。

しかもです,真っ直ぐに飛ばしたつもりの小水が全て膝にかかっている。

驚きふためき,すっかり憔悴,何てつまらぬしゃれを言ってる場合じゃない。

慌てて母親のところに行くのですが,その母親が,またまたびっくりしている。

言われるままに自分の顔を鏡で見て,自分でも驚いた。

顔が,中型のかぼちゃ状態。見事に腫上がって,目が半分も開いていないような様。

そりゃ,見えにくいはずだ。

そのうちに,手もブクブクと腫れ上がって,怪奇大作戦状態。

怪奇大作戦が理解できない方は,お近くの40代の方にお聞きください。

 

結局,どういうことかというと,用心深い人は,銀杏を拾いに行く時は,必ずビニールの手袋をするか,

できるだけ手を使わずに,足を使って種を出すんですね。

果汁が付いたら,できるだけ素早く水洗いする。

でないと,かぶれ易い人は,たちまちくるんですね。

それを怠った悪餓鬼一同は,全員,腫れ上がったわけです。

果汁のついた部分がすべて。

 

手の平は当然の事ながら,その手で顔の汗を拭き,立小便の時には,一物を持つわけです。

 

で,全員が,そのような状態と相成ったわけです。

午前中,学校を休んで病院に行き、昼から登校したのですが,昨日の悪餓鬼4人が4人,

中型のかぼちゃ状態で,聞けば,一物もやはり,そうであると。

笑うに笑えず,クラス中からは大笑いされ,情けない話でした。

おまけに,腫れが完全に引くまでの一ヶ月,毎朝,寝巻きを小水で濡らしてました。

なんせ,徐々に晴れが引いていくわけで,それに伴って,飛び行く先が変わる。

昨日と同じ角度に合わせると,とんでもない方向に飛ぶ。

完全に元に戻った時は,心底ホッとしました。

 

銀杏を見ると,必ず,その時の事が思い起こされます。

 

教訓です。

銀杏を拾う時,皮膚の弱い方は,必ず手袋代わりのビニール袋を用意しましょう。

 

 

2003.12.05