「アンリ・ミショー」
電車に乗っていて,大学時代のフランス語の先生に似た女性を見つけて,
アンリ・ミショーの詩を思い出した。
アンリ・ミショーの詩は,いくつかは知っているが,耽読したわけじゃない。
たしかに,そのいくつかは,愛読した。したと言っても,劇団のアトリエに
早めに行って,一人で音読したり,酒に酔っ払い過ぎて眠れぬ夜に
声に出して読んだりした程度(隣はいい迷惑だったろう,なかなか綺麗な女性だったが)。
よく読んだのは,
“.....「中断された時の街」から,ぼくはあなたに便りを書く。”
で始まる『手紙はさらに云う....』。
ナチス占領下のパリを思わせる,いや,事実そうなのだろう,そういう詩だ。
最後の連は,こうだ。
“ぼくらはだまってみつめあっていた。
ぼくらは,盲目の子供の早熟な真剣さで,みつめあっていた。”
それと,
“夜よ
おれを叫びと逆毛で
満たす
誕生の夜よ”
と言う一節のある『夜のなかで』
“手すりも帯もない氷山よ”で始まる『氷山』
なぜ,これらの詩かというと,
劇作家の清水邦夫が,芝居のタイトルにしたり,劇中詩に使ったりしていたので,
たまたま知っていたという事なのだが。
その頃の小劇場を標榜する現代劇と現代詩が,いかに密接に関係しあっていたかと,
云う事だが,今もそうなのかは,演劇から離れて久しいので,知らない。
翻訳は,小島俊明さんで,ちゃんと韻を踏むべきところは,韻を踏んで訳しておられるのだろう,ミショーの詩の素晴らしさが,絞り込むように伝わってくる。
が,やはり原語だろう,フランス語で読むべきだろうと思い立ち,
思い立ったが吉日が習い性,つまり深慮遠謀のできない僕は,
フランス語歴5年でABCもまともに読めないくせに,
フランス語の先生のところにミショーの詩集を借りに行った。
大学5年目の秋だった。
就職などする気はなかったが,卒業だけはさせてもらわないといけないのに,
唯一残ったフランス語は,出席もさっぱりで,フランス語歴6年目も必至という,
非常にあやうい状態であった。
勿論,先生は,顔などほとんど見た事も無い学生が,
本当に自分の教えるべき学生であるかどうかを確認するために出席簿を見て,
その事を手厳しく指摘した。
で,大学5年目で仕送りも無く,生活するのに必死であること,演劇に燃えていて,
新しい世界を開拓しつつある事,その過程でアンリ・ミショーに触れ,
是非,フランス語で読みたいのだと,切々と訴え,3冊借りる事ができた。
そのおかげかどうか,悪いテストの点数と低い出席率をものともせず,
“可”で,フランス語を終え,卒業させられてしまった。
え?ミショーの詩?
『夜のなかで』の最初の一節は,なんとか読んだ。
勿論,フランス語で......。
2003/10/1