「ひたすら歩く」

 

 

歩く事が好きで,決して足は早くはないのだが,歩くとなると,一日中でも歩いている。

 

今までのアルバイトの中で,一番気に入ってたのが,百科事典の訪問販売。

半年ばかりやったが,とにかく,よく歩いた。

 

雇われた会社から,地図のコピーを渡される。

それには,会社が一軒50円だかで買った名簿から,小学校一年生のいる家庭がピックアップされ,マーキングされている。

名簿が古かったりして,いい加減で,全然目当ての家庭でなかった事も度々あったが,闇雲に歩くよりはましで,そのおかげで,歩く方は,いろんな景色を楽しみながら歩けた。

 

売り込みのほうも,何のことはない,決められた文句を一言一句,間違えずに喋ればよい。

勿論,そんな事で売れるほどに,世の中,甘くない。

 

それなりの熱意と,研究心は必要だったが,食える程度に売れればいいと思っていたので,

とにかく,手に持った地図通りに歩いていれば,何とかなった。

一セット六万円程度の子供用の百科事典だったので,売る方も,買う方も気楽に契約できた。

中には,市の教育委員会から来たと間違って,教育相談をしてくる方もおられたが,さいわい,臨床心理をかじっていたので,安心させてあげられる程度の話はできた。

 

そんなこんなで,最初のうちは,よく売れた。

よく売れたから,余裕もできて,方々で道草を食った。

 

歩いた先は,明石から西宮。

 

大久保あたりの農家を歩いたり,

伊川谷あたりをてくてくしたり。

地下鉄の西神南あたりは,まだ,今のような住宅地の気配もなく,もちろん,地下鉄などは通じておらず,伊川谷から急な坂道を登っていくと,山のてっぺんに三軒ばかりの農家があり,その向こうは,ひたすら切り崩された山の跡。

その土が,関西新空港になったりしたんですねぇ。

 

記憶に残っている風景のいくつか

 

北すずらん台だったと思う

よく整備された住宅地を歩いていると,突然道が途切れて,緩やかな下りの崖となり,

そこからは,山野の道となる。

そして,はてしなく向こうまで見渡せた。

はるか先で山が終わり,田畑が続き,藁を焼くらしい煙が,そこかしこでたなびいているのが見えた。

そこから先が異次元であるかに見えた。

桃源郷を垣間見た思いがした。

 

山陽電鉄 滝野茶屋

今でこそ,その先の海は埋め立てられ,スポーツ施設になり代わっているが,

当時は,駅から先は,道路と海だった。

滝野茶屋は,住宅街から一段低いところにある。

ホームを出ると,長い階段を登る。

登りきったところで振り返ると,下のほうで海が懐かしくさざめいていた。

 

隣の東垂水の駅前も,駅を出て,歩道橋を渡るとすぐに海が広がっていた。

夕暮れ,激しい汐の流れの中で,漁船団が西から来て,目の前で折れ,東に去っていった。

その勇壮。

あんな素晴らしい風景を日本は失ってしまったのか。

 

須磨から塩屋に向うには,海沿いの狭い道しかない。

交通量が多いにもかかわらず,海と山がせまって,道路幅を拡張できないのだ。

だから,ここを通る人々は,渋滞する前にできるだけ早く通り抜けることだけを考えて,素晴らしい場所を実は,見落としている。

なれていなければ,けっして,車ではいけない場所。

狭い道路を山側に折れ、踏切を越えると,さらに狭い道が急な斜面を駆け上る。

じつは,その斜面のずっと上まで,家が続いているのだ。

不便な場所で...と,住む人は言う。

が,そこからの海の眺めの素晴らしさよ。

仲良くなると,その自慢話が始まる。

不便でも,離れがたい場所。

 

大倉山の図書館の裏手。

狭い路地が続いていた。

まるで,中上健二の「路地」の世界に迷い込んだ感じ。

そこにたたずむと,しばし,時の異邦人になれた。

その路地を抜けると,市道山麓線で,東に進むと,異人館の喧騒と,北野の優雅さに会えるのだが。

 

 

そのアルバイトは,西宮を歩いているときに,急に嫌になって辞めた。

冬場の寒さに耐えられなかったのだろうと思う。

 

事務所は,元町大丸から,南京街にはいる角のビルにあった。

今は,倒産して,もう会社そのものが無い。

今でも,そこを通ると懐かしい。

 

 
2003/10/7