「大道芸」
鶏の鳴き真似を得意芸とするある芸人がおりました。
彼は,限りなく鶏に近づく事を目標として,
日々,努力しておりました。
何の努力をしたんだろう?
人からかいつまんで聞いた話なので,どんな努力をしたのか,は不明です。
鶏をじっと見つめたりしたんだろうな。
で,ある日,かれは一つの事に気がついたのです。
それは,鶏の足。
鶏のように,三本指で立たなくては,完全に鶏を模したとは言えない。
で,そのための血の滲むような(?)努力の末,ついに足の三本指で立てるようになったそうです。
それは,残念ながら,靴をはいていたために,誰にも認識されなかったのですが,
彼は満足であったそうです。
見る人が見れば,彼の鶏の鳴き真似には,鬼気迫るものを感じたとか。
本当かなぁ。
かつて,「特権的肉体論」が私の頭を占領していた頃がありまして,
飲みながら,「特権的肉体論」論をやってる時に,ある人が話してくれた内容です。
でも,おそらく,この鶏の声帯模写専門の芸人のように,
ディテールにこだわり続けるところに,「特権的肉体論」は成立するのでしょう。
落語もそうですね。
ただ,面白おかしく語るだけであれば,落語など,とっくの昔に死に絶えていたでしょう。
ディテールにこだわり,小豆の煮つけと枝豆の食べ方を演じ分けたりするところに
落語の凄さがあるのだと思います。
落語は,もともと,お寺の境内なんかに御座を敷いて語られたのが原型だとか。
落語もそうですが,舞台芸術のルーツは,大道芸にあると,決め付けちゃいます。
今年の夏,日テレが汐留にオープンした時に,結構素晴らしい大道芸に会うことができました。
例えば,フランスのリュー・ピエトン。
男性二人組みですが,一人はなかなか姿を現しません。
それもそのはず,3メートルくらいの長さのビニールのパイプの中に入っているからです。
簡単に言いますが,え,あんな狭い中に入るのと驚く狭さ。
私なんか,絶対に腹がつかえちゃいます。
そのビニールパイプが,まるで生きているように動くわけですが
最初は,まさか人が入っているとは思えません。
本当に,ビニールパイプが,生きてるんじゃないかと思うほどに微妙な動きをします。
痙攣したり,身悶えたり,まさに軟体動物そのものです。
それは,やはり,パイプに入っていなくても,普通の人間ならばこんな動きは,
絶対にできないと思える動きを,パイプの中というハンディーをベースに行うからですね。
まさに,特権的肉体論。
中に人間が入っているとわかっても,なお,そのパイプが生きているように見えましたから。
観察力と,それを自分の体で再現する発想力と,日々の鍛錬と,第三者的な冷静さの賜物だと思います。
ローマンと言うスイスの三人組。男二人,女一人。
一人はウッドベースを打楽器にしたり,弦楽器にしたり,また,ウッドベースの下に車をつけて
男女二人の踊り手の間を効果的に移動する。
二人は,中国ゴマをたくみに扱いながらダンスを踊る。
この表情が素晴らしい。
特に女性の表情。
これは,彼女のギリシャ的な美貌も一役買ってるんですが,それよりも何よりも,
彼女が常に浮かべている表情,これが,見るものを引き付けていると思います。
基本は微笑なんですが,彼女の目の動きによって,様々にとらえることのできる表情。
そこに絡む表情豊かなウッドベースの音。
バレエのような美しい身体的な動き。
効果的に,よく計算された芸だなぁと,思いました。
大道芸,英語で言うとパフォーマンスとなるんでしょうか。
どちらも魅力的な響きです。
2003.12.15