ドグラ・マグラ

 

 

夏に「ドグラ・マグラ」を読むのは,やめた方がいい。

あれは,確か学生時代,無銭旅行の後に読んでたので,

旅行の途中,どこかの田舎町の駅前の本屋で買ったのだと思う。

公園の野宿で激しく蚊に刺された痕と,

東京近郊の銭湯でうつされたインキンの大量増殖で,

この世のものとも思えない痒さを享受している中,

クーラーも無い四畳半の部屋で,むさぼり読んだ。

読み終えるまでに必ず一度は精神に異常をきたすとの評判通り

読み終えた後も,しばらくまともな思考が戻って来なかったよな。

特に,物語中に語られる中国の古事が頭を離れず,

あれ以来だな,他人の顔,

いや自分の顔を見ても髑髏にしか見えなくなったのは。

自分が仕える王の奢侈な行動を諌めるために,

美貌の妻を殺し,その体が腐食し,白骨化していく様を丹念に

巻物に書き写していく。

人間とは,結局こんなものですよ,と言いたかったわけだ。

大学で,人間の脳の解剖実習に潜り込んだのも(後日書きます),

精神病院で,心理テストのアルバイトを始めたのも(これも後日詳しく),

発端は,すべてこの本にあったように思う。

今,何時までたってもサラリーマンになりきれない部分を持ち続けているのもね。

異常と正常の境目に確信が持てず,いや,境目そのものが無く,

異常と正常どころか,生と死の境目さえ,どこにあるんだろうと思い始めて

もう20年以上になるんだな。

だから,この本を読むなら,

熱さでアスファルトはおろか,脳髄まで溶けてしまい,冷静な判断能力を

持てなくなった状態の夏よりも,

何もかも凍りつき,よりまして冷静怜悧な頭脳を持てる真冬がお薦めだ。

 

 

     「ドグラ・マグラ」 夢野久作 作 (1934)



2003/08/15