「軍靴の響く国」

 

 

戦地に赴いたフリーカメラマンの一ノ瀬泰造の写真,書簡や手記を集めた,

「地雷を踏んだらサヨウナラ」を読み終えた。

 

前号で,想いを書き殴ったが,まだ,書き足りない。

 

一ノ瀬泰造を始めとして,戦地に赴いた若者たち。

何が,彼らを駆り立てたのか。

 

この日本の社会にいては見出せない現実の姿を,彼らは,戦地で見たのか。

 

我々が,現実と認識するこの社会。

昔,親から,よく「もっと現実を見ろ」と説教された。

今でも,一人の時に,たまに思う。

「もっと,現実を直視して,夢ばかり追わずに,家族のためにちゃんと生きていかねば」

「でも,現実って何?」と,半面で問いかける自分がいる。

 

韓国の人と話した時に,感じたこと。

彼らは,我々が想像できない,「敵がいる」という現実の中にいる。

それは,七時のニュースのレベルのリアリティではない。

二十歳を過ぎると徴兵制度で軍事に駆り出され,いやでも,北と相対峙させられる。

地雷原の向こうから,機銃を撃ち込まれることもある。

それは,同じ言葉を持ち,同じ歌を愛唱する同胞なのだ。

その事が,常に現実として,彼らの社会には存在している。

我々からすると,映画を見ている程度の非現実的な世界なのだが,

実は,その我々の現実の方が,別の社会から見ると非現実なのだという現実がある。

 

しかし,その非現実を現実として,平和を享受している身なので,偉そうな事は

何一つ言えない。

 

以前,テロリストの詩を書いた。

決してその行為を弁護するつもりはないが,その選択肢しかない社会が,

存在しているのは事実だ。

最も大きい権力を持った者により,社会的行為の多くを規制され,満足に生活していける職も無く,

結婚すらできない。

その国の若者に,自分の将来を思い描けるものが,何一つ無い。

人生に対する夢や希望が持てない。

だから,彼らは,テロに走る。

自分たちの命を投げ出して,明日を切り開こうとする。

それを非難する術を我々は何一つ持たない。

彼らに対して指し示す別の選択肢を何一つ持たないから。

 

私は,平和主義者だから,暴力は嫌いで,戦う勇気などは誰にも負けないくらいに,無い。

だから,何度もいうが,テロリストの行為を弁護する気もないし,平和なこの社会を間違いだとも思わない。

戦争の影を,軍隊と言う国際的暴力機構を,身近に感じる必要の無い社会。

国民の八割以上が,銃等の戦争道具を死ぬまでに一度も持たなくて済む社会。

だが,その意味では,隔離された社会でもあるが,それは,我々にとっては,正しい。

おそらく,世界中の誰にとってみても正しい筈だ。

 

でも,と思わせる世界の現実。

 

タイに行った時に,兵隊に一緒に写真に入ってもらった。

兵隊が銃剣を持って横に立ったときに,一言。

「触ると切れるよ」

そうなのだ,彼は,鈍く光る剥き出しの銃剣を持っていて,それは鋭利に研がれていて,

触れただけでも切れるものなのだ。

彼は,最悪の場合,それで,相手の体を刺すのだ。あるいは,逆に刺されるのだ。

そして,血にまみれるのだ。

そのことが,いきなりリアルに迫ってきて,でも,それが本当の現実なのだと,

しみじみと思い知った。

タイでは,海岸沿いを歩くと,武器を許可無く所有または使用したものは禁固刑に処すと言う看板を

多く見かける。

が,そんな看板は,まったく無視されており,金さえ出せば,ボートで沖に出て銃を撃たせてくれる。

私が持たされたのは,軍隊が持つようなライフルとリボルバー。

どちらも,想像より軽かった。

引き金も。

反動も小さい。

人を殺傷する道具なのだから,せめて,もっと重い事を期待していた。

だが,軽く肩の上に乗り、軽く弾が飛び出た。

そうでなければ,確かに,激しい戦闘行為はできない。

水面が,小さく跳ね上がる。

何発目かで,波間に浮いたガラス瓶がカリッと音を立てて割れて,沈んだ。

「いい腕じゃねぇか」と,船頭のお世辞。

これで,人が殺せてしまえるのだ。

時折,頭の上を別の船から発射された弾が音を立てて飛び去る。

その音が,映画の効果音そのもので非現実的に感じたが,

まかり間違えば,次の瞬間,私の脳漿が隣の乗船客の胸元に飛び散る。

あるいは,こめかみに穴が開き,血が噴出す。

「ドンマイ」

音がするたびに,船頭がそう言ってニタリとするが,

わざわざ,そう言うところをみると,そうでもないのだろう,たぶん。

 

一ノ瀬泰造が行った場所は,それ以上の激しい現実が牙を剥く戦場だ。

 

日常茶飯事に弾が飛び交い,地面が破裂し,

狙う者と狙われる者,殺す者と殺される者,戦いに赴き泥にまみれる者と人を戦わせ自分はのうのうと昼寝を貪る者,

が存在する場所。

それが,現実である場所。

 

そして,今でも,それを現実とする国は多い。

また,そういう現実を前提として,軍靴の響く国は多い。

いや,軍靴の響かぬ国のほうが希少だ。

その事が,世界経済を維持するシステムに巧妙に組み込まれているから。

 

その希少性を拒否する筈は無い。

否定もしない。

むしろ,維持したい。

そのための反面教師として,もう一つの現実があるのならば,

それは悲しい事だな。

 

今週末は,「フルメタルジャケット」でも見ることにしよう。

 

 

2003.12.19