「18年目の阪神優勝」
阪神と言う球団の作り出す現象は,面白い。
セ・リーグ優勝するだけで,
あれほどのニュースを提供するのだ。
おそらく,あの日,日本中の好奇の目が,
星野監督の胴上げと,道頓堀川に注がれた。
そして,期待を外す事無く,
大騒ぎを繰り広げてくれた。
大量の人出,
喧騒,
飛び込み,五千人
羽目を外して,
破壊的行為もあったようだ。
店の備品や飾り付けを破壊された側は
たまったもんじゃないだろうけど,
集まった群衆が,
暴徒と化したり,
加熱しすぎて暴動が起こったりしなかったあたりが,
やっぱり,阪神と言う球団の現象の持つ面白さだろうと思う。
なんせ18年ぶりなのだ,
あの程度の騒ぎがあっても,全然いいと思う。
ただし,死人が出るのは,いただけないが。
18年前を思い出してみる。
あの時は,平日だったので,
ニュースに写るのも,サラリーマンの姿が多かった。
私は,まだ,就職もしていず,演劇をしながら,社会的には
フラフラした身分だった。
神戸大丸の1階にあった,モロゾフという喫茶店でバイトしていた。
女房とは,もう付き合っていた。
夜は,三宮の山側の飲み屋街の一角にある「金盃」という店で,
劇団の連中と,よく飲んだくれた。
昼間は,大丸の社員食堂で食事をするか,
バイトの無い時は,「一貫楼」の豚マンを買い込んで,劇団のアトリエでぱくつくか,
神戸市役所の地下一階の喫茶店の裏手から入り込んで,
そこで働いていた劇団の人にカレーライスを食べさせてもらったりしていた。
摩耶ケーブルの下の駅の近くの安アパートの一室を借りて,劇団の倉庫代わりにしていて,
たまに,アパートの前で,書割に色を塗ったりした。
アパートを整理していて,東淵修氏の「かんかん人生」という詩集を見つけて,
小躍りした。
自由はあったが,金が無かった。
バイト代は,飲み代と書籍代に消えた。
アパートは,家賃2万円程度の,阪急西宮北口から歩いて30分の汚い六畳間だった。
共同便所で,15分歩いて風呂屋とコインランドリーに行った。
窓から竹薮が見えた。
いつもじめじめしていた。
クーラーも扇風機さえ持っていなかった。
裸で畳の上に寝ると,次の朝は,大量のダニの痕のかゆみに悩まされた。
携帯電話は,まだ無かった。
パソコンは,マックやシャープの16ビット機が出始めていた。
今なら,概ね,どの地方都市の駅前にもある大型液晶スクリーンなんて,
SFの世界だった。
8ミリホームビデオさえ無かった。
無くてよかった。
あの頃の自分の生活や,やってた事などが,
時を超えて目の前に現れたりしたら,
どうなる事やら,わかったもんじゃない。
大学の先輩から三千円で買った黒い革ジャンを愛用していて,
それを着て芝居している写真があったが,捨ててしまった。
革ジャンは共演した女の子に,やってしまった。
神戸の詩人が駆け落ちした。
駆け落ちを手伝いに行って,ブルトンの「ナジャ」をもらった。
三宮駅の北側に「ハイウェー」という古ぼけた洋食屋があった。
日榮堂の氷スイカをよく食べに行った。
サンチカの片隅の「どん底」という飲み屋のママが状況劇場の李麗仙そっくりだった。
マンガ喫茶は無かったが,「ともしび」という歌声喫茶が一軒だけあった。
18年前と,今と,
変わってしまったモノも多いし,
変わらないモノも多い。
生活から姿を消したモノより,
新たに付加されたモノの方が,多いような気がする。
精神性は?
うーん,困った質問だ。
全く,阪神という球団の持つ現象は面白い。
久々に18年と言う時を越えた記憶を呼び起こしてくれた。
18年前と,今と,どっちがいい?
うーん,困った質問だ。
2003/09/28