「星新一のショートショート」

 

男が一人,眠れぬ暑い夜に,夜道を散歩していて,警官に呼び止められ,

不審尋問を受ける。何をしているのか,と。

男が語り始める。

まだ,自分が子供の頃,暑さのあまり気が狂いそうになった。

そこで,小さな蟻などを殺してみると,それがス―ッと治まり,

随分と楽になった。

で,次の年も,同じ事を試してみたが,蟻などの小さな昆虫では,

飽き足らなくなっており,もう少し,大きい昆虫を殺した。

また次の年,今度は,昆虫では満足できず,魚類を殺した。

そうして,毎年,去年より大きな生き物,また,人間に近い生き物を

殺さなくては,満足できない事に気がついた。

そして,夏が来る前に,その生き物を準備する事を覚えた。

やがて,殺す対象はエスカレートし,犬や猫,去年は猿だった。

夏前にペットショップで,猿を買っておいて,それを殺した。

男が,そこまで喋ると,警官がさえぎった。

君も,もういい年なんだから,そんなバカみたいな事を言ってないで,

彼女でも作ったらどうだね。そうしたら,少しは考え方が変わるよ。

男は,ニヤッと笑って,ええ,ですから,この夏が来る前に女房を

もらったんですよ。

 

なんとも背筋の寒くなるブラックユーモア。

対象が,大きくて,分類的にも人間に近くなるほど,殺すことに躊躇する。

平気で昆虫を殺して遊ぶド田舎の殺戮者であった僕も,小さなハエ取り蜘蛛は

殺せても,大きな鬼蜘蛛を殺した後は,本当に後口が悪かった。

国道で,蛙や蛇の死体を見ても何とも無かったが,犬や猫の死体には,

気持ち悪さを感じた。

だから,このショートショートは,真実に近いかしらんと,思う。

 

でもね,この,人間の真実も,究極の状況では,狂ってしまうのだろうか。

つまり,戦争。

人類始まって以来,戦争では,人間は,様々な残虐性を発揮した。

究極の状況は,人間同士を,生物学的感覚においても,

引き離してしまうのだろうか。

それとも,究極の状況は,なんらかの内的な要因を引き出すきっかけなのかも

しれない。

戦争でなくても,人間は残酷になりうる?

ナチス・ドイツや,スターリンの行ったホロコースト。

ガダルカナルで敗走する日本軍同士が,殺し合い,その肉を貪った事。

戦場と言う状況とは違う状況の中での殺戮。

自分が生き残るために,相手を殺戮する。

まぁ,戦争もそうですよね,確かに。

テロは? 

弁護するつもりや,その行為を賞賛するつもりは,さらさら無いが,

ある状況下において,ある側から見たときの造反有理(古い言葉だ)は,成立しそうだな。

でも,殺される側の個々の人間への洞察は覆い隠されてしまう。

そう言う意味では,ホロコーストや,戦場での殺戮となんら変わるものでは無い。

うーん,結局,究極の状態でなくても,ある種の刺激さえ与えられれば,

人間の残虐性を抑える生物学的感覚は,いとも簡単に外されてしまう

と言う事なのかな。

 

最近,究極的な状況でもないのに,個々の人間への洞察が容易に欠如し,

残虐性が露呈した事件が多いですよね。

一線を,何気にひょいと飛び越えてしまったような事件。

とすると,星新一の用意した階段は,必要ない。

 

つまり,星新一のショートショートそのものも,ただのきれい事なのか。

人間は,あの話ほどに,手間ひまをかけなくとも,容易に,精神的な

箍を外せるということだ。

 

 

うう,なんだか,やたらと寒気がしてきた。

 

 

2003/09/13