「一ノ瀬泰造」
何故?
おそらく,その時代を知らない人は,私以上の ”?” が浮かぶのだろうな,頭の中に。
確かに,それは大きなイベントだった。
1964年のトンキン湾から始まって,
1968年のテト攻略,
1970年のカンボジア侵攻,
1971年のラオス侵攻,
そして,
1973年 米軍撤退。
一ノ瀬泰造がアンコールワットを目指したのは,
ベトナム戦争終結後の1973年11月。
その書簡の中に
「地雷を踏んだらサヨウナラ」と書き記して,
戦場カメラマンとなる時からの目的であったアンコールワットに。
そこに,何があるというのだろうか。
アンコールワット。
それは,殺伐とした冷戦の時代の平和の象徴だったのかも知れない。
アンコールワットの霊的な姿を撮り,全世界に配信することで,平和への希望を掻き立てたかったのだろうか。
平和。
現在のわが国では,まるで当たり前のように享受している物。
何の努力も無く手に入る物。
当たり前すぎて,かえって不幸が蔓延し始めている。
我々は,現代社会に侵攻している残虐な事件を深刻に懸念する。
が,あの時代は,いたるところに死体の写真があった。
ベトナム戦争の時代。
小学校時代,隣のクラスの先生が有名な日教組の先生で,
授業そっちのけで,ベトナム戦争の話題がなされていたらしい。
赤旗新聞に,政府軍がベトコンの首を切り落とした写真とか,耳を削いでいる写真とかが掲載されていて,
それを授業中に小学生に見せていたのだとか。
それは,残酷な小学生には,魅力的な話だった。
戦争,死体,血にまみれた大地,が,確かにそこにあった。
明日,あるいは,次の瞬間,死ぬかも知れないという緊迫。
開高健も,この一ノ瀬泰造も,何を求めて,自ら志願して,戦地に赴いたのか。
そこにあるのは,余所者であるがゆえの,物見遊山的雰囲気であったか。
戦地報道に金が転がっていたか。
そのために,命をかけたのか。
それとも,我関せずと成熟の度合いを深めていく社会への反駁と,その次の社会への警鐘であったか。
その多くが他山の石だと,その戦争を見ていた時代の次に来たのは,狂乱物価に翻弄され,
バブルに踊り,心を失っていく,そんな時代であった,確かに。
そして,今も,そんな時代が大っぴらに進攻している,
打つ手も無く,大の大人達が右往左往したままで。
一ノ瀬泰造よ,君の求めたアンコールワットは,
君の目前にあったか?
その,さらに先を,君は見たか?
いまだ,カンボジアの森林を,アンコールワットを求めて,楽しげに彷徨う一ノ瀬泰造よ,
ファインダーから,何が見えるのか,教えてくれないか。
2003.12.17