「意味」
随分と疲れてきた。
人生に?
いや,
メールマガジンを出し続けることに。
週三回とは言え,維持していくのは結構つらいもんです。
詩も,
書いてるうちに,
なんだかワンパターンになってきた気がするし,
雑記にいたっては,
そうそう変化に富んだ生活をしているわけではないので,
やっぱり,ネタが尽きてくる。
このあたりが,
プロと素人の境目の一つかなと,思えてくる。
などと,泣き言を言いつつ,この続ける意味を考えているので,
やはり,まだまだ「やる気」だけは,あるようだ。
とかく,何かを表現したがる人間なんて,ちょっと変わった人間が多いのは事実だ。
芝居をやってる連中を見ても,音楽をやってる連中を見ても,
一見して普通じゃない。
先日,神戸のJAZZ喫茶の「ポエトリー・リーディング」の会に顔を出して,
人が詩を読むのをじっと聞いていたが,
読んでる連中は,やっぱり,普通じゃない。
少なくとも,会社の中には同類項としてくくれる連中はいない。
そんな読み上げられる詩を,「いいなぁ」とか,「いまいちだなぁ」とか思いながら聞いてる私も,
やはり変な人である。
会社で飲み会があって,それを途中で抜け出して「ポエトリー・リーディング」に参加したのだが,
会社の飲み会でのスポーツの話とか他人の噂話とかは,全然面白いと思わない。
だから,退屈で仕方が無い。
下ネタ話には,結構乗る方だが…
対して,「ポエトリー・リーディング」の二時間は,あっという間だった。
全般的に ” 格好つけすぎてるぞ “ と思うが,非日常的な空間なのだから,それもいいか。
詩を書いて,他人に読ませる人間なんて,ある意味,自己顕示欲の塊だ。
それが,普通と違う形で表出し,他と係わりを持とうとするのだが,
係わられる他は,そのような係わりを望んでいないので,
激しく拒絶される,あるいは,拒絶されるだろうなと言う恐れの中で
打ち震えている。
だから,詩を書く人間は,いつも孤独を感じている。
これは,音楽をやる,絵を描く,写真を撮る,表現する人間すべてにあてはまる
共通項ではないだろうか。
そんな孤独を詩を書く人間の側で共有しあえる空間とでも言おうか。
そう,
「詩」は,詩を書く側からの共有のツールである。
「ポエトリー・リーディング」が行われているJAZZ喫茶の中で,
来ている連中は,それぞれ,離れた位置に座っている。
互いに語り合う事もほとんど無く,じっと,詩を読む人間に耳傾けている,
普段,JAZZに耳傾けるのとは,ちょっと違った方法で。
だが,会社の飲み会で感じる孤独感は無い。
自分がしたいのは,こんな会話じゃないと言う、どうしょうも無い焦燥感。
そんなものは,その空気の中のどこにも無い。
「斜に構えた共同幻想」みたいなもんだろうか。
つまりは,そう言う事なんですね。
「詩」は,詩を書く側からの共有のツールである。
共有とは,単に場所や時間を同じくする事ではない。
シンクロナイズさせることである。
分かりやすく言うと,ビビビーッと来ていただく事である。
詩を書く人間を喜ばせ,さらに詩を書く勇気を与えるのは,
ビビビーッと来ていただく事なんだ。
とすると,このメールマガジンの意味も,おのずと見えてくる。
そう,数撃ちゃ当たるで,ビビビーッと来ていただいて,
明日に立ち向かう勇気をいただくためなのだ。
誰だ,それを不埒にも疲れた等と言う奴は。
2003.12.08