「いちご白書」

 

 

大学受験はしないと,親や教師に言い続け,多少の問題児であった私を

大学に行かせる気にした映画です,これは。

後で,もう一度見てみると,こんな程度で自分の考えを変えるなんて,

たいしたことねぇなと,自分で自分が情けなかったのですが。

まぁ,だから,いまだにこの程度の人生だと,開き直れるかも知れません。

 

コロンビア大学学園紛争の手記をベースに,スチュアート・ハグマンが監督し,ブルース・デーヴィソンとキム・ダービーの共演。

キム・ダービーがかわいかった。

そういう意味では,キム・ダービーが私の人生を変えた?

まぁ,どっちにしても,たいした人生じゃなさそうですね。

 

バフィ・セントメリーの「サークル・ゲーム」という主題曲が最高によかった。

 

学生運動と,愛と。

大学に入ると,学生運動に燃えて,同棲して,そして............

と,ノンポリな事を夢想していた。

 

まぁ,実際は,それだけで大学進学を決めたわけじゃないんですけどね。

実際,は。

 

ラストシーン。

学生達が講堂に集まり,円になって,床を叩きながら反戦の歌を歌っているところに,

州の軍隊が催涙ガスを撒きながら突入し,学生達を片っ端から連行して行くシーンには,

涙が止まらなかった。

 

思うに,平和と戦争,悪と善,きれいなものときたないもの,形而上のものと形而下のもの,

なんてふうに全てを二元論的に把握しても,そんなに大きく間違ってなかった時代だったんでしょうね。

世界そのものが,共産主義と資本主義という二元世界で構築されていましたからね。

 

その欺瞞性を,劇作家のつかこうへい氏は,どこで見抜いたのか,

最近,久々にリバイバルされる『飛竜伝』には,

機動隊と学生運動家の乱れたサドマゾ関係を描いたりしていましたが。

寺山修二も,それに近い作品を書いてたような気がします。

 

ともあれ,大学生活。

私が入学したのは,1978年ですから,完全に学生運動は終わっていました。

そりゃそうでしょ。東大安田講堂の一件をテレビで見て,

『学生さん達は,どうして暴力に訴えるのでしょう』なんて優等生な文章を書いてたのが,小学四年生くらいですから。

 

でも,残党みたいなのがいて,入学したての頃は,残党みたいな人に出会いに行きましたが,

なんとも,徹底的にロジカルな人々で,頭が良くって,私には到底ついていけませんでした。

喋ってる内容がチンプンカンプンなんですから,どうしようもない。

 

で,遅まきながら,私もノンポリの一群に入っていくわけですが,

「いちご白書」は,しかし,学生生活の方々で顔を出してきました。

 

例えば,ラストシーンで学生達が歌っていたのは,ジョン・レノンの

『平和にもチャンスを All We are saying is give peace a chance』であることを知ったり。

いまだに,この歌を聴くと涙が出るんです。

 

そう,ジョン・レノンの撃たれた日には,ゼミの黒板に大きく,この言葉を書きつけておきました。

誰も消しませんでした。

 

学生運動は,結局,企業側の,大人の論理で完全に封じ込められてしまったわけですが,

また,時代は複雑化し,かつてのように,二元論的な把握では,とても対応できなくなってしまいました。

 

でも,だからこそ,資本主義が共産主義を凌駕したみたいな,

誤った考え方をすれば,より本質が見えなくなると思います。

 

資本主義は,相手の長所を取り込む柔軟性を持っていたから,

共産主義を取り込み,自己をある意味で共産主義化できたからこそ,

勝ち残れたんだと思います。

その証拠に,徹底した資本主義国家アメリカにソーシャル・ワーカーや,

ソーシャル・サービスのような考え方がきちんと残り,発展しているじゃありませんか。

 

猿真似国家日本には,悲しいかなこの考えを理解できる経営者層がいない。

だから,ソーシャルと言う考え方を,社会的に有効な資源としてとらえ,

そこに投資していくと言う体制が育たないんですね。

これは,日本の国家のベースにキリスト教的な人道主義の理念が無いことにも一因していると思います

あのドケチで有名なロック・フェラーでさえ,生涯収入の3割近い金額を

社会の整備基金として寄付していると言います。

それでも,ドケチと言われる社会と,死ぬまで社会には何の個人的貢献もせず,

芸術にお金を支払う事の国際的・歴史的な意味合いも理解できずに,多額のお金を

芸術を私蔵し,死蔵するためだけに使用する金持ちのいる社会。

 

やはり,社会的な発展は,資本主義と共産主義との対立等と言う枠組みを

はるかに超えてしまっていますね。

 

考えてみれば,マルクスは,どこにも共産主義がいいなんて,書いてませんものね。

資本主義国家の中にソーシャルな考え方を持ち込もうとしただけだと思います。

 

あれれ,どこに話がそれて行くんだ?

 

まぁ,今日は,『いちご白書をもう一度』でも聞きながら,寝るとしよう。

 

 

 

 
2003/11/05