「貝塚に住む −その1−」

 

 

貝塚という町に住んだ事がある。

バブル後半から,阪神大震災の翌々年までの約4年間。

 

子供が一人増えて,アパートが手狭になって,ちょい広めのところを探したのだが,

探し始めたのが,バブル真っ最中。

尾上ばあさんの御宣託にエリート証券マンが一喜一憂していたアホな時代。

ヒットラー・ユーゲントとか,神風特攻隊じみた時代だったんですね,

今から考えてみると。

 

賃貸アパートは,今じゃ空き部屋だらけのところでも,

その頃は,賃貸料十五万円を軽く超えていた。

 

分譲ともなると,五千万超えるマンションは当たり前,それでも,しぶしぶ抽選に行くと,

倍率200倍以上。中古マンションでも,一千万程度で分譲されたマンションが,

なんと,三千万から四千万で売りに出されて,またたくまに売れていた。

今,住んでるあたりなど,一億以下の物件が無かった時代。

 

それでも,新しい住処を探さねばならない。

「どうして,分譲なんだ」と思いながら,周りが目の色変えてると,

自分もそのように行動してしまう。

まるで,レミングという増え過ぎると集団で海に飛び込むネズミと変わらない。

で,たまたま,貝塚まで抽選に行って,20倍だか30倍だかの倍率に当たってしまった。

 

で,当たってからとまどうんですね,「おい,ここは何処だ?」。

 

なんせ,生まれてからこの方,大阪の南部に足を伸ばした事など皆無。

生まれも育ちも兵庫県民なので,大阪府の地理など詳細に学んだ事も無い。

学んでいたとしても,居眠りしてたのでしょう。

堺市は知っており,岸和田もだんじりで有名なので知っている。

でも,大阪の難波を超えると,次は堺市で,その次くらいに岸和田市があって,

その先は,もう和歌山だと思っていた。

いったいどこに貝塚なんて市はあるんだろう。

実際に車でいくとなると,堺を過ぎて行けども行けども,岸和田に辿り着かない。

まるで,暗黒大陸に迷い込んだような気分。

東京で言うと,房総半島を思い出して,市原,木更津あたりまでは,

頭の中の地図上に位置を示せるのだが,その先は,まるで頼りなくて,

どこにどんな町があるのやら,みたいなところか。

あるいは,中国の向こうは,ロシアあたりで,その先にドイツがあって,

フランス,イギリスと続いてるみたいなところ。

 

ようやく岸和田市に辿り着く。次は貝塚市の道標を見て,ホッとするが。

国道26号線を南下していると,岸和田までは,いろいろな店があり,賑やかだった。

が,岸和田を過ぎて,貝塚に入った途端に店の数が半減し,

夜などいきなりネオンが消えて,寂しい田舎の風情。

で,マンションは海沿いの埋立地にあったので,国道から,まだ漁師町の香りが残る,

灯りの少ない,小さいごちゃごちゃした下町を抜けて,やっと辿り着く。

 

大阪府が企画した600戸くらいの大型集合団地で,中庭にだんじり蔵があって,

近くの町から買い取っただんじりがあった。

淡路島が目の前に見え,まだ建設最中の関西新空港が見え,目を凝らすと明石海峡大橋も見えた。

中庭も広く,近くに公園も沢山あって,二色浜という小さな浜辺にも歩いて行けた。

子供達には,天国のような所だったと思う。

 

が,駅まで歩いてもバスでも,20分から30分。電車で1時間は最低かかる通勤は,

それまで,駅まで3分,そこから30分で会社に着けたことから比べると,

大いに不満が残る。

 

女房も,近くに大きいスーパーが無い,埋立地を一歩出ると,田舎臭い,町がごちゃごちゃしていると,

不満タラタラではあったが,住めば都,新しい発見もあって,この町での生活を結構楽しめた。

 

 

 

2003/10/4