「貝塚に住む −その2−」

 

 

それまで私が住んでいたのは,阪神地区で,たいてい,戦争で一度は焼けてしまったか,

そうでなくても,人口増加で,昔の名残をとどめている場所は少ない。

戦前から残っていそうな建物は,しかも,多少の改装はあっても

かつての特徴をとどめている建物などは,皆無だろう。

 

特に,かつての遊郭の面影をとどめている場所などは。

 

貝塚には,あるのだ。

いや,あった。

「あった」というのは,今もあるかどうかは,分からないから。

 

貝塚という街は,岸和田もそうなのだが,戦火に燃え落ちた過去のない街だ。

だから,戦前の面影を伝える建物が多い。

南海 貝塚駅前の海側のロータリーから一本裏手,

古い,と言っても戦後改築された家の多い町並の中に

いきなり,時間を遡ってしまったような錯覚に陥る一角がある。

 

何がそうさせるのか。

 

道に面した一階は,喫茶店であったり,散髪屋であったり,お好み焼屋であったりして,

改装の手が入っている。

が,二階に目をやると,ほぼ,古い作りつけのままだった。

窓の桟や,木製の手すり,壁から屋根に向う曲線など。

普通の駅前商店街の作りじゃない。

 

明治,大正にかけてのカフエや,遊郭の名残が見てとれる。

 

夕まずめに,じっと佇んでいると,ホールの喧騒や,二階の手すりに身を持たせかけて

じっと,海を見つめる遊女の姿などが彷彿とさせられる。

 

悲しい恋の物語などもあったのだろうな。

 

おそらく,と言うのも,きちんと調べた事が無いからなのだが,

岸和田が,岸和田城という,紀州の殿様の出城としての位置付けで,

城下町兼漁師町として栄えたのに対して,

貝塚の特に海側は,その食と色を支える役割を負ったのではないか。

山側は,今東光が一時住職を務めた水間寺を中心とした寺社町であったろう。

そう考えると,岸和田に隠れて影は薄いが,貝塚という町の味わいが見えてくる。

水間寺の若き僧侶と貝塚遊郭の女郎,そして若い漁師の三角関係から発展する悲恋物語

などと言う,通俗的なストーリーが頭の中をグルグルと経巡る。

 

ともあれ,部外者からすると,駅前の遊郭跡は,レトロな雰囲気で客を呼べると思うのだが,

市として,遊郭跡を明確にするでも無し,保存するでもないのは,

あまり大っぴらにしたくない過去だからなのだろうか。

 

もし,あなたが,レトロ好きな方ならば,

この町角が無くなる前に,一度行かれるべきです。

 

 

2003/10/4