「貝塚に住む −その4−」

 

 

誤読の薦めを説いたのは,唐十郎である。

小説のみならず,歴史的事実や,現代に起こる事件まで,

誤読する事によって,事物の新たな関係性が見えてくると。

 

と,すると,私は非常に正しく誤読していた。

 

前にも書いたが,泉州と言えばだんじりである。

が,貝塚駅前だけは,違うのだ。

あの,だんじりの本場,岸和田城のすぐとなり

(正確には蛸地蔵という駅がある)にあって,

貝塚駅前の感田神社だけは,だんじりではない。

私は,これが不思議でならなかった。

 

貝塚駅前で毎年7月の中旬に行われるのは,ふとん太鼓。

正確には太鼓台。

重さが2〜3トンもありそうなやぐらを担ぐ。

ふとん太鼓という通称は,やぐらの上に赤いふとんをたたんだような天井飾りがあるからだろう。

だんじりのように,下に車がついてない。

やぐらに数十名が取り付いて担ぐのだ。

だから,スピード感は無いが,目の前で,担ぎ手が苦しそうに担いでいると,つい,見るほうも力が入る。

とにかく重いのだろう,10分も担ぐと,フラフラになっている。

それを,やぐらの上で指示するものが見ていて,交代の指示を出しながら,

感田神社の氏子である町々を練り歩く。

全部で7騎くらいは在ったと思う。

最後に,夕暮れの貝塚駅のロータリーで,上下に揺さぶったり,速駆けしたりする。

 

堺あたりにも,この太鼓台を担ぐ地域はあるそうだが,見に行った事は無い。

貝塚のは,やぐらのてっぺんに「魔羅棒」という,神の依代が二本突き出ている。

これは,貝塚だけの特徴らしい。

 

ここから,私の正しい誤読が始まる。

 

前にも書いたが,貝塚の駅前には,かつて遊郭があった。

そのために,だんじりを中心とする他の泉州地区からは,隔離されていたのではないか。

が,生まれ故郷を出て,遊郭で体を売る女郎には,何か心の支えになるイベントがほしい。

で,彼女らが使っている布団をやぐらのうえにのせ,女郎の世話をする牛太郎(と言うのは吉原だけか)達が街中を練り歩いたのじゃないかと。

 

そういう目で見ると、ふとん太鼓のやぐらの上の飾りは折たたんだふとんに似て,沢山の提灯をともし,夜の町を練り歩く姿は,どこか艶かしい。

 

歴史らしきものを紐解けば,

織田信長の雑賀根来攻めのおりに,泉州一円が戦禍にみまわれ,貝塚は一木一草すら残らぬように焼き払われたとか。

歴史に泉州が華々しく登場するのは,南北朝と雑賀根来攻め。

今だに,根来寺に兵が向った道筋のいたる場所に,戦禍を物語る古寺が残っている。

 

ふとん太鼓は,その復興の過程の中から生まれてきたイベントのようだ。

 

愛しい人を兵に取られ,その帰りを待ちわびる女(仮に千代とでもしておこうか)。

父も死に,母も死に,ただ一人生き残った千代は,雑兵に手篭めにされながらも,愛しい人の帰りを待つ。

やがて,生きるために,貝塚の遊郭に自らを売り,そこで,病に倒れ伏し,息を引き取る。

愛しい人も帰らぬままに。

哀れに思った遊女仲間が,男衆に頼み込んで,千代の亡骸を,かつて,千代の家があった場所に葬ってやる。

愛しい人が帰った時にわかるようにと。

千代の亡骸を,千代の使っていた赤いふとんにくるんで,運ぶ死出の道中。

それが,やがて,不遇のままで死んでいった多くの遊女を慰める祭りとなった。

 

以上のような事実は,どこにもありませんよ。

念のために。