「隠れ家」

 

 

最近,「隠れ家」が無い。

もとい,「隠れ家」的な店が無い。

 

本来,我が家の近隣は,「隠れ家」が豊富な場所の筈なのだが。

ちょっと,いい店だと,すぐに何かで紹介され,若者が,車で訪れるようになる。

 

紹介されなければ,されないで,閑古鳥が鳴いて,早々と店をたたんでしまったりもするので,

やはり,ある程度,宣伝もされなければいけない。

待たされない程度に,詰め込まれない程度に流行るなんて,やっぱり難しいのだろうか。

 

できれば,そこそこ暇そうにしていて,少々長居しても迷惑がられなければいいのだけれど。

 

二昔ばかし前は,JAZZ喫茶か,クラシック喫茶だった。

 

三宮の「木馬」とかには,よく行った。

姫路の「タロー」なんて店にも。

 

「タロー」は,まさに「隠れ家」にふさわしい店だった。

狭く細長い店内は,本の文字がようやく読める程に暗く,知り合いが来ていても,

ほとんど気がつかない。

外から入ってくると,たいてい,何処かに体をぶつけながら細い通路を通り,

カウンター席の横を通りすぎて,ボックス席に行く。

もしくは,カウンター席の空いている隙間に体を潜り込ませる。

すると,どこから湧いて出てきたか,アフロのマスターが,うつむき加減に水を持って来る。

このマスターの顔を,一度として,まともに拝したことが無い。

二時間もいると,昆布茶を出してくれ,それを潮時に店を出る。

とにかく,ここにいると,喋らない。

本を読んでいるか,ボーっと考え事をするかのどちらかだった。

 

西宮北口にも,「アウト・プット」という店と,「デュオ」と言う店があった。

「アウト・プット」は,民家の地下を利用した店で,震災で無くなってしまった。

「デュオ」は,いまだ健在で,「コーナーポケット」と店の名を変えて営業している。

JBLのパラゴンという,昔懐かしい,ものすごいスピーカーの置いてある店である。

いまだに,パラゴンも健在である。

壁の落書きも,机に挟み込まれた紙の類も。

20年前,私の書いた落書きも,どこかにあるはずだ。

この店で,昔,孤独を噛みしめたり,詩を書いたり,戯曲を書いたりした。

昔は黒髪だった,今ロマンスグレーの若ぶったマスターと,奥さんと。

先日,20年ぶりに訪れたら,私の事を覚えていていただけた。

本当にうれしいことだ。

 

クラシック喫茶なら,仁川沿いに「コンツェルト」という店がある。

二十数年前にオープンして,何度か,ここでデートしたり,振られたりした。

アットホームな店で,なかなか長居しやすい店である。

先日,懐かしさに駆られて歩いていて,まだ店が在る事に気がついた。

なんせ,間口の狭い店なので,車で通っていると,つい見落としてしまい,

てっきり,もう無くなっているのだと勘違いしていた。

マスターは,まだ私の事を覚えてくれていた。

日曜日などは,近所の親子連れで賑わう,健全な喫茶店だ。

春先か,秋の晴れた日に行くと,風が店の中を通り過ぎて,本当に気持ちがいい。

 

 

でもな,「隠れ家」というからには,はるばる,そこまで出向くのは嫌だな。

本当は,自宅の地下とかがいい筈なのだが,女房や子供にも見つかりたくは無い。

気取らずに,さっと入って,長居ができないと嫌だ。

しかも,なかなか見つかりにくい店で,居心地がよくて,詩を書いたりするのに都合がよくて…………..

 

要は,秘密基地ですね,

子供の頃,よく山の中でこさえた。

自然にできた洞穴や,枯れ草や,木片や,石や,粘土質の土を利用して,夢中になって作って,

そこには,どうでもいいようなガラクタを後生大事に保管していた。

 

今は,どうでもいいような詩や小説を夢中になって書ける場所。

ついでに,酒も軽く飲めて,お腹も多少満たせて,

ああ,やっぱり,贅沢だなぁ。

贅沢極まりない。

 

城之崎温泉の「三木屋」には,志賀直哉が「城之崎にて」を執筆した部屋があるけど,

冬の温泉地を隠れ家にして,執筆に夢中になるなんて,本当にうらやましい限りです。

 

裏通りのストリッパーと懇意になって,酒を酌み交わしながら,浮世の話をする。

あれれ,「夢千代日記」と混同してきた。

 

それこそ,「隠れ家」の頂点とさせていただきましょうか。

 

温泉,

ああ,夢だなぁ。

 

 

2003.12.10