「風と埃と」
築地中央市場の食堂にいた。
カウンターだけのトンカツ屋。
昼間は行列ができるが,まだ時間的に早いのだろう,
カウンターはとりあえず満席だが,行列ができるほどじゃない。
カウンターの中で,賄いのばぁさんが,大きな声で喋っている。
― いやだよ,ほんとに。何言ってんだろうね,この人は,−
強い風。
入り口の屋根のビニールシートが音を立てて揺れる。
開けっ放しの入り口から風が入ってきて,
店の中のポスターがはためく。
埃の匂い。
埃の中でトンカツを食べる。
それが,何とも懐かしい感じがしていい。
上野の不忍池のお不動様の近くの出店の店先でも,誰もいない中で,風が舞い,
チラシやポスターがはためいていた。
そこでも,埃の匂いがした。
埃の中でラムネを飲んだ。
おいしかった。
このところ,そういう埃の匂いが減ったなと思う。
そういう場所は,雨が降ると,必ず湿った土の匂いが
プーンと鼻をくすぐるはずだ。
先日,久々に貝塚に行った時に,魚釣りなどに良く行った埋立地を訪ねてみた。
今は,道路も整備され,海辺も公園となり,市民の憩いの場となっている。
かつては,海までは,立ち入り禁止の柵を越えて,埋め立てられたままのでこぼこ道を10分近く歩かなければならなかった。
ただ,それが,古いイタリア映画にで出てきそうな荒れ野の光景で,そこだけ切り取ると,なんとも雰囲気があった。
その向こうには,何のために作られたのか不明な砂浜があって,そこでアサリが大量に獲れた。
ボンゴレに入れるアサリを獲りに行くと,砂浜に続く小高い所から
地元の漁師のおばさん達がバケツにいっぱいのアサリを持って出てくる。
近くのスーパーに売るのだそうだ。
あんたら,もう無いでぇ,と言いながら,風の中を意気揚々と引き上げていく。
その光景がなんともイタリア的だった。
海風が強く,土埃舞う場所だった。
土埃と言うと,小学校の運動会だろう。
昔は,家族が運動場に敷いたゴザに集まって,一緒に弁当を食べた。
風が強い日などは,おにぎりが砂でシャリシャリした。
今は,色々な事に気が使われて,運動会の昼食は,児童と家族は一緒に食べない。
だから,弁当持ちの人は少なく,近所のレストランが繁盛する。
ある時,人影まばらな真昼の運動場をつむじ風が舞った。
土埃とともに,主のいない敷物が多数舞い上がり,
一瞬,中空に多色刷りのオブジェを現出させた。
私の幼い頃は,土埃のする場所だらけだったはずだ。
乾燥すると土埃,雨が降ると水たまりにアメンボが,定番だった。
生まれ育った山間の町のもっとも車の往来の激しかった道路が,県道で,その頃は産業道路と呼ばれていた。
その産業道路ですらも,砂利道だった。
そこで砂利をつかんで笑っている,まだかわいかった(?)私の写った写真が
田舎の家のどこかにあるはずだ。
風と埃への思いは,このあたりから端を発している。