「ケイタイ」

 

 

電車に乗るたびに聞くアナウンス

 

ケイタイの電源は...

 

そのアナウンスの消えぬ間に,もう,メールを打ち出す。

着メロが響く。

 

お忘れ物....

と,同じくらいに念仏化した車掌の言葉。

 

本当に止めさせたいのなら,もう一人社員を乗り込ませて,

電車の隅々まで歩かせ,ケイタイ使用を見張らせればよい。

ケイタイを使用している人を見つけると,即座に電源切らせるほどの

強権発動すればいいのだ。

 

そこまでやらないのは,そんな儲からない事にコストを費やしたくないからだ。

つまり,車中のケイタイを止めさせる事への社会的投資の意義を経営者が感じていないから,社会的に,是が非でもやらなければならない事と,思っていないからだ。

 

ケイタイメーカーだってそうだ。本当に,車中でケイタイを止めさせねばならないと感じているのならば,車両メーカーと組んで,ある信号に反応して,電源を自動オフするような仕組みを全機種標準機能にしてしまえばいいのだ。が,そんなことやっても,売上げ増加につながらないからやらない。

 

我々,消費者だって,車内のケイタイ使用は,車内の喫煙くらいに迷惑な事だとは,思っていない。

便利なのと七面倒くさいのとで,電源もそのままにしておく。

 

やがて,時代が進んで,万が一,ケイタイが脳波に悪影響を及ぼし、自殺者の増加が実はそのせいだった,なんて事が明確になったあたりで,初めて,我々は,慌てふためき,メーカーを吊るし上げにかかるのだが,メーカーも世代交代しており,とりあえず記者会見で頭は下げるが、内心は,ソンナ事,イマサラ,我々ニ言ワレタッテネと開き直って、後ろでケイタイをかけ,記者諸氏もケイタイで本社と連絡をとり,消費者はヤッパリネと,ケイタイで納得しあうのだ。

 

まさに,被害者イコール加害者という構図。

 

ウン? モシカシテ,ヨク問題ニナル迷惑メールハ,コウイウ事態ヲ察知シタ有識者集団ノオコシテイル,継続的ナ“てろ”?

 

 

 
2003/10/25