「お墓の話」

 

 

 

「世にも不思議な...」というタイトルの本があった。

が,それとは関係なく,お墓の話。

 

昔,宍粟郡山崎町小茅野あたりでキャンプした時,

近くの集落で,段々畑の一番上に,何気に墓を見つけ,

ああ,この墓に入れる人は幸せだろうなと,感じた事がある。

段々畑の一番上から,子々孫々を見守りつづけ,

一日の畑仕事の始まりと,終りには,必ず会釈してもらえ,

彼岸の日には,小さな子供達の手で,優しく清めてもらえる。

“死人に口無し”が本当かどうかわからないが,

少なくとも,生きている間は,過去と未来の自身のアイデンティティーの

拠り所となるはずだ。

 

さて,話は名古屋に跳ぶ。

ここは,素晴らしいとつくづく感じ入ったお墓が名古屋にある。

いや,あった。

あったと言うのは,最後にそこを訪れた時,ブルドーザーが入っていたから。

 

瀬戸市から,グリーンロードで海上の森を左手に見ながら,猿投(さなげ)の出口で出て,

右に曲がる。

そのあたりは,名古屋から車で,わずか40分程度のところだが,

もう農村地帯真っ只中となる。

しばらく行くと,猿投(さなげ)神社が見えてくるが,その手前,右手の丘。

なんと表現すればいいのか,お墓を表現する言葉を知らないので,困ってしまうが,

“歴史的に可愛い”とか,“時が何気にスリップする”とでも言おうか。

 

一つの小さな丘が,おそらく,そこから見下ろせる集落の人々の為の墓場なんだろう。

ちょっと小さ目のお墓が,丘の上に向けて,不規則に並んでいる。

お墓の古さもさることながら,一つ一つの墓の表情が,実に穏やかで,人懐っこい。

時の迷路に迷い込み,そこで会った人達に,挨拶する感じ。

 

丘の中腹には,集落を見渡せる広場がある。

この広場が,また,ひなびて,ポカーンとしてて,味わいがあるのだ。

広場の真中に小さな石の祠があって,いくつかの小さな石のベンチが,

それを遠巻きにしている。

いびつな形の平たい石を使ったベンチで,ミニチュアのドルメンと見えなくはない。

一見,古代呪術的空間だが,

おそらく近所の農婦達が,自分達の住む集落を眺めつつ,世間話をした場所なのだろう。

そして,自然に先祖崇拝へとつながっていったのではないか。

それが何とも,意味ありげで,人を,少なくとも僕の心をひきつけるのだ。

 

夕方,仕事を終えた農婦達が集まり,何か村の共同作業(荒縄結いとか)

をしながら,とっぷりと暗くなるまで過ごす風景が見えてくる。

疲れた心を癒してくれる風景。

 

名古屋に住んでいる時,何度かこの墓場に行き,

広場に座って,時間の許す限りボーッと過ごした。

できれば,何度でも訪れたかった。

今でも,懐かしく思い出す。

 

おそらく,今は,近代的な墓場に生まれ変わっている事だろう。

残念な事だと,僕は,思う。

 

 

 

 

 

2003/09/23