「大原にて」

 

 

今年は,紅葉も不作やからと,その男は,真っ白なカブを抱きしめながらに言う。

何を考えたか,はるばる山越えの道を選び,峠を三つも越えてやってきた大原には,

雨が降りしきり,私のコートをしとどに濡らす。

カブが,いたるところに切り捨てられて,まるで一部凍傷にかかったように,畑の中に累々としている。

そのカブの中から,そのカブの中から,そのカブの中から,男は現れて言う。

今年は,紅葉も不作やからと。男の抱きしめたカブが若い女のようにも見えてくる。

ここを真っ直ぐ行って,左に折れたら寂光院,右に折れたら三千院。

寂光院は,火事からこっちね,ちょっとね。

はぁ,火事からこっち,ちょっとですか。

ちょっとやからね。

何がちょっとなのか,判然としないままに歩き出すが,結局,雨脚が強くなったので,

寂光院には赴かず,何がちょっとなのか判然としないままに,京都駅前で飲むことになる。

三千院には行った。

男の言った通り,紅葉は不作だった。

紅葉のトンネルを川沿いに上がっていく。

赤々とした紅葉はほとんどなく,たいてい,茶色いあたりで葉を落としている。

その様子を冷やしたきゅうりを食べながら,眺めいるのもまた一興。

冷やしきゅうりは,川沿いを少し登った左手の漬物屋で売っている。

これを食べねば三千院に来たとは言えない。と,男が耳打ちしてくれた。

確かに言う通りだと思った。相方は,観光バス停留所近くの焼き栗を食っている。

小振りの山栗で,時折,道に向かって栗がはじけ飛ぶ。火傷せぬように受け止められれば,

一個ただ食いできるのだが。

雨がどんどん激しくなる中を山の中腹に向かって登る。なにかのおまけでもらったポンチョ等は,なんの役にも立たない。

雨はどんどん降ってきたが,三千院には,雨と一緒に降ってくるのかと思えるくらいに

人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人。

とりあえず,せっかく来たのだからと,一番庭のよく見える場所で,

五百円也を払って,抹茶と羊羹をいただくが,たいして美味しくもない。

雰囲気を楽しむだけにしても,マクドのコーヒーの方が,まだましと言える。

それでも,物珍しさで繁盛している。羊羹で胸焼けがする。

庭に出てみたが,広いだけで,たいした庭とは思えない。

大原にある山寺というだけで,このにぎわい。確かに紅葉が多い。

庭の隅の苔むした幾つかの小仏に心引かれる。

一番外れには,金色の三メートルはあろうか,阿弥陀如来が鎮座する。

まだまだ,新参者の阿弥陀如来で,輝きすぎて,ありがたみがない。

光り輝くについ目を射られ,そのままとっとと京都駅前に出向き,

南側の名店街のお好み焼屋で一杯飲み始めると,ついに帰れぬ人となり,

最終間近でようよう飛び乗って,後の記憶は果て知らずとなる。

ふと気がつくと,前の座席に,大原の男がカブを抱えて座っている。

そんな夢を見た。

 

 

2003.12.03