「千羽鶴」

 

 

千羽鶴を七十羽折った。

約三時間かかった。

何故,折ったのか。

別に,友人の見舞いに行くためではない。

 

先日の,広島での折鶴放火が原因である。

実は,あの犯人は,私の大学の,しかも学科の後輩なのであった。

同じ大学でも,仮に同じ学部でも,学科が違うと他人であるが,

学科が同じとなると,心中穏やかでない。

特に,洋館を実験室とした思い出深い学科である。

そこで,詩もいっぱい書いた。

その遠いとは言え,後輩が,留年が決まり,就職もうまくいかず,

むしゃくしゃしていたからと言う理由で,他人が大事にしているもの,

特に,被爆者の方々,広島で親族を無くされた方々の

心の拠り所とされている折鶴を,非情にも十四万羽も焼き尽くしてしまったのだ。

 

おそらく,彼は,ここまで大騒ぎにならないと,自分がした事の意味を理解できなかっただろうと思う。

今でも,自分の罪の重さを完全には,理解していないのじゃないかと思ってしまう。

一体,彼は,最高学府で何を学んだんだろう。

大学と言う場所は,彼の人生に何の影響も与えられなかったのだろうか。

 

昨今,企業の側の論理で,「大学は意味を待たない」的な発言が横行し,

大学を軽視する風潮が強い。

それは,遠まわしな亡国論だ。

仮にも最高学府である。

そこで学ぶ事は,自身の中に,世界にも通用する人生の哲学を作り上げる事である。

それが,学園闘争後,高度経済成長からの企業の論理が,

大学を企業戦士を作り出すだけの,軽佻浮薄な場にしたのじゃないか。

それが,あのような稚拙な犯罪を生起させたとは,いささか暴論であろうか。

 

ともあれ,彼の焼いた折鶴を,同じ学科の同輩,後輩,OBが力を合わせて

八月六日の慰霊祭に向けて折るのだという。

及ばずながら時間を割いたわけだ。

 

折りながら,最初は,あんな奴は即刻退学にすべきだ等とプンプンしていたが,

嫌がらせの電話が彼の実家にもいっぱい入っているだろうとか,

彼のこれからの人生は大変だろうとか,そんな事を考えているうちに,

せめて大学だけでも,彼に寛容であって欲しいと思え始めた。

罪は罪として償わなければならないだろうが,彼を復学させてあげ,

再度チャレンジする道を開いてあげるのも,大学の務めではないかと。

それで,彼に人を思いやる気持ちが芽生えれば,広島の人達も喜びはせずとも,

自分達の大事にしていた物が無駄にはならなかったのだと,

納得してもらえるのではないだろうか。

 



2003/08/12