「詩の原景」

 

 

幼少の頃,両親が共働きだったので,近所の親戚の家に毎日預けられていた。

その家の,表の道路に向った濡れ縁には,高い格子がはめられていた。

私は,その格子の一番下に顔をくっつけて,そのままで,上を向くのが好きだった。

上を向いて,顔を左右にゆっくり揺すっていると,格子がどんどん高くなって,

天まで届き,そこに別世界のあることを予感させてくれた。

そこから離れると,元の格子に戻った。

私は,何度も,何度も,飽きるまでそれをやった。

変な子と,思われていた。

 

 

雲の流れに太陽が隠れると,あたりが薄暗くなる。

しばらくすると,また,元の明るさに戻る。

私は,それが不思議でならなかった。

空のまばたきだろうかとも思えた。

誰が見ていようが,見ていまいが,まばたきするのだ。

おそらく,神代の昔から,まばたきしているのだ。

いや,その頃は,そんな具体的な発想はなかった。

ただ,その繰り返しに,何度も大きな溜め息が出た。

溜め息の意味もわからなかった。

それ自体も不思議だった。

子供のくせに溜め息するなと,親父によく叱られた。

 

 

学校の校庭から近くの山を見上げると,

山道を登っていく集団が見えた。

声も聞こえない。

靴が土を踏む音も聞こえない。

集団は,もくもくと歩く。

自分はここにいて,あの人達は,あそこにいる。

自分には無関係なのに,たしかにあそこにいる事が自分にはわかる。

おーいと声をあげると,

おーいと答えた。

それが,不思議だった。

 

 

幼稚園の体育館の片隅に座って,友達が遊ぶのを見ていた。

すると,自分の意識が,自分のいる場所からどんどん退いていって,

自分は,スクリーンを通して,友達を見ているような気になった。

その頃は,まだ,映画なんて知らない時代で,

その時は,動く幻灯を見てるんだと思った。

自分の周りには,真っ暗で実は何も無い。

自分は,ただ,幻灯を通して世界を見ている。

そのように確信した。

私の孤独癖は,そこから発しているのではないかと思われる。

 

 

昔の動物園なんかに行くと,よく置いてあった。

のぞき窓があって,十円入れてのぞくと,

絵がカタン,カタンと変わって,スピーカーが錆び付いたような声で

物語を聞かせてくれる奴。

ある日,ディズニーか何かのにお金を入れて覗くと,

絵が斜めになって止まっていて,次に進もうとするのだが,

喘ぐような動きをするだけで,次には進めない。

スピーカーは,錆び付いた声で,

“ました,ました,ました,ました,ました,ました,ました,ました,ました....”

と,文章の結びの文句を延々続けている。

何故か,その世界に引き込まれてしまった。

しばらく,“ました,ました,ました....”が,口癖になってしまった。

変な子と,言われた。

 

 

秋の夕暮れ,電車に乗って,須磨海岸を走っていると,

夕焼けに遭遇した。

大きな真っ赤な太陽がまさに海に沈もうとしており,

空も,海も,全てが真っ赤に染まる中,

波の頭と,ゆっくりと移動する船と島影だけが,青白く,こげ茶色く,そして,黒く浮き出ていた。

私は,その光景に感動し,その光景と感動をなんとか友人に伝えたいと思った。

それで,その光景を食い入るように見て,家に着いてすぐに,画用紙にクレパスで書き始めたが,

実際にみた光景と感動は,到底再現できない。

何度書き直してもダメ。

いつか,絶対に,あの光景と感動を伝えるんだと,心に誓った。

それが,今の詩を書く原動力なのは,はっきりと意識できる。

 

 

 
2003/10/30