「ヴインセント・ヴァン・ゴッホ」

 

 

ゴッホの画集をもらった。

 

好きな絵が沢山出てくるのでうれしい。

また,最近の印刷技術のなせる業か,いい画集なのか,

絵の具の盛り上がりまでが忠実に再現されていて,

こんな画集が高校時代にあれば,私は,もっと絵を描くのが好きになったのにと

思ってしまう。

 

「オーヴェールの教会」は,初めて絵を描く楽しさを教えてくれた作品だ。

 

それまで,学校の美術の時間が苦痛でしかたなかった。

別に,全てを学校教育の責任にするつもりは無いが,

国語の読解と同じで,学校の先生が教えてくれたのは,

丁寧に写実的に,風景や対象物を写し取ることだった。

 

山の木は、こんな風に描きなさい,みたいな。

 

あらゆる場面において,人に言われた通りにするのが苦手な私は,

先生がせっかく丁寧に,手取り足取り描き方を教えてくれているのに,

そうされてしまうと,完全にその行為に対しての興味を喪失してしまうのだった。

 

だから,いつまでたっても,絵がうまくならず,

うまくないと言うことは,その事が快に結びつかず,

絵を描く事に対しては,興味のかけらもわかなかった。

 

模写をしなさいと言われて,ゴッホを選んだのは,

学校にゴッホの画集が無かったのと,ゴッホの伝記物に大変感銘を受けた後だったからだ。

ゴッホの自己に対して,激しく忠実な生き方は,

仏教やキリスト教に影響を受け始めていた私の魂を,大きく揺さぶった。

その生き様が,彼の絵の方々に出てきているように思えた。

町の図書館に行って,よくゴッホの画集を手に取ったものだ。

 

ただ,だからと言って,「ローヌ川の星月夜」のような

幻想的な作品には手が出ない。

もっと,はっきりした構図の絵ならなんとかなるだろうと思った。

で,「オーヴェールの教会」を選んだ。

 

相変わらず,絵はへたくそだったが,

へたくそなりに,楽しめた。

 

特に,空。

ゴッホは,「平板で純然たる藍色の空」と表現したらしいが,

どこが,平板なのだ。

うねるような,確かに息づいている空が,そこにはあった。

その空を背景に,教会の塔がそびえていた。

その下を,二股に分かれた道を,村の女が歩いていた。

道の両脇の草むらには,白い花,黄色い花が,咲き乱れていた。

そこには,確かに太陽の光と,自然があふれていた。

 

模写するうちに,自分の思うままに,筆や色を使えばいいのだと言うことに,気付いた。

それが,もっとも,ゴッホに近づくことに。

俄然,絵が面白くなった。

 

その後,一本の校庭の片隅の木を写生したが,

後にも先にも,あんなに熱心に,一本の木を描いたのは,初めてだった。

 

絵とは,写実するのではなく,自分の感覚を塗り込んでいくのだと言うことを,

学んだ。

それは,私にとっては,大きな収穫だった。

 

ゴッホの画集を見ながら,久々に,その感動を思い出した。

 

 
2003/11/07