「夜の濃さ」

 

 

都会の夜は,浅い。

 

浅い気がする。

 

何が?

 

闇だね。

闇が浅い。

 

粘っこくない。

さらっと,あっさりしている。

 

私の生まれた田舎の夜の闇は,まといつくようにしっとりと濃かった。

浅いと言っていて,対になる言葉が濃いじゃ,ちょっと,国語のやり直しだろうが,

夜の闇について言えば,なんとなく成立する。

 

私の生まれた田舎は,兵庫県の北部。

実は,まん真中なんだが,地方の呼び名としては,但馬地方で,北部にあたる。

先日,浜坂あたりに行って,浜坂の夜もしっとりと濃い事を発見した。

と,すると,やはり,夜の質で言うと北部でいいのだろうと思う。

 

兵庫県北部の夜は,しっとりと,まといつくように濃い闇なのだ。

 

そこから,南部にくだるにしたがって,夜の闇は浅くなる。

中学校時代は,姫路の北の田舎町だったが,どんなに灯りが無いところでも,

まといつくような,しっとりとした闇ではなかった。

からっとした,じつにあっさりした闇だった。

今,住んでいる西宮市でも,そうだ。

 

だから,都会の人たちに,どんなに夜の濃さを説明しても,わかってもらえない。

 

田舎なんで,雑音も少ないのだ。

 

闇がまといつく中で,自分の足音だけが,ヒタヒタと後をつけてくる。

何処かからもれて来る薄明かりだけを頼りに歩く。

その薄明かりが,さらに闇を濃くする。

と,向こうからも足音。

ほっとするやら,逆に不安になるやら。

誰だろう。

隣のおばさんらしい事が,ほんとに間近で,鼻と鼻を突き合わせるようにして

やっと,わかる。

“こんばんは”

“こんばんは”

と,互いに挨拶を交わして通り過ぎる。

過ぎた途端に相手は闇の中に溶けていく。

 

決して,灯りの無い闇の濃さではない。

その証拠に,浜坂に行った時は,満月に近い月だった。

円錐にとんがった山の端に,まあるい月が靄とともに溶けていこうとしていたから。

 

ちょうど,今くらいの,秋から冬にいたる頃の夜の闇。

 

一度,夜の但馬地方を訪れてみるといい。

 

あの闇の中で,あなたと飲むウイスキーも,また,格別だろうなと,

今なら思う。

 
2003/10/22