第一章 日の当たる街角
地下鉄の改札を抜け、街角へと上る階段の踊り場から外を眺めると、そこはまるで乾ききった白い砂漠のように見える。
その砂漠に至る手前、階段を上ったところに数人の女達がたむろしている。
そのうちの一人、不健康に肌を弛ませた中年太りの女が声をかけてきた。
前に、別の場所で顔を見知り合っていた女だ。
「あのコ、どこにおるか知っとるで。」
ここ数ヶ月、悠美と言う女を捜していた。
しかし、行方を知っていると言う、中年太りの女の言葉は疑わしいものだった。
「ついて来(き)いや。」
「いや、今日は、ええわ。また、今度にする。」
「今度やったら、あのコ、おらへんかも知れへんで。」
「かまへん。」
「しょうもな。」
女は、そう言うと、齧っていたスルメのかすを、地面に吐き捨てた。
地面には、手持ち無沙汰な女達の吐き捨てた、人生の残りかすが大量にこびり付いている。
女達は、そうして日がな一日、客がかかってくるのを待っている。
まるで、釣りでもするように。
客は、たいてい、パチンコや競馬でにわかに景気の良くなった連中で、女達相手に値切って値切って、値切り倒して、一時の快楽を手に入れる。
相手は、つい今まで、交渉していた当の本人だったりする。
こんな具合だ。
うらびれた男が女に近づく。
― 六千円にしとけや。
― 何で、そないに安うせなあかんねん。
― どうせ、しょうもない女なんやろ。
― うちには、ちゃんとした若い娘しかいてまへん。
― そこまで金ないねん。
― ほな、あかん。他所行って。
― ほな、ええわ。
と、行きかけると、
― ちょっと待ちいな、負けといたろ。今日だけやで。
それで交渉が成立し、男は、女に連れられて、裏通りの安い連れ込み旅館に案内される。
日焼けし、ささくれ立った畳と部屋の隅に吹き溜まった綿埃。長らく雑巾がけされていない廊下を歩くとキイキイ音がし、隣の部屋の商売女のこれ見よがしにわざとらしい喘ぎ声などが漏れ聞こえる、そんな旅館だ。
どうせまともな客が来るはずも無く、日中一時間千五百円で商売女達に部屋を貸している。
裏通りに入ると、若者達が腕組歩く表の世界の明るさとは裏腹な、そんな旅館が何軒か、日当たりの悪い民家に交じり、今にも崩れ落ちそうなひさしを狭い路地に突き出している。
女は、男を一室に通すと、
― ちょっと待っといてな。
と、姿を消す。
茶や菓子が出るわけでもない。テレビは、今時希少価値の白黒で、硬貨を入れないと映らない。
― ちぇっ。
男は、舌打ちして、タバコに火をつける。
やがて。
― お待たせ。
ドアが開き、先ほどの女が、濃い目の化粧で現れる。
― なんや、さっきのばばぁかえ。
― ばばぁやなんて失礼やな。まだまだ、女としていけまっせぇ。
― けったくそ悪い。何で、お前みたいな年寄り抱かなあかんねん。
― 年寄り言いますけど、まだ、五十いってまへん。
それは、本当だ。
若い頃からの自堕落な生活のために、肌はひび割れ、目の下の消えない隈が皺をいっそう深く見せてはいるが、厚めの化粧で覆い隠し、遠目で見ると、歳並みの姿が現れる。
しかし、昼日中、どれだけカーテンで部屋を暗くしても、忍び込む太陽光線が、残酷にも腹や乳房のたるみを浮かび上がらせ、男の興味を削いでいくのだ。
女は、それでも生活のために、男の欲情を引き出さねばならない。
顔をやや俯きにして皺を隠し、男にしなだれかかり、鼻にかかった声で、
― あっちの方は、若い子には負けしまへん。
― ほんまかいな。
― 後悔させへんよ。
言いつつ男の股間に手を伸ばす。
相手が若い女なら、露骨に嫌な顔されるのも気にせず口を吸いにいくのだが、年増の客引き女だと、その気も失せる。
が、ズボンと下着を脱がされ、しばらく揉まれ、吸われているうちに中途半端に反応する男の悲しさよ。
女は、それを見越して、いそいそと己の下着をずらす。
手馴れた様で男を横にし、そっと後頭部の下に枕を置いてやる。
ほつれたシミーズの片側から肩と腕と萎びかけた乳房を出し、そこに男の手を導きながら、中途半端な男の物を自分の中に導く。
― どや?
聞かれて男は、
― うう
と呻き、目を閉じる。
女が腰を動かし始める。
男は、精神統一し、絶世の美女を頭に思い浮かべつつ、女の動きに自分も合わせいく。
「そや、そや、ちょっと、あんた。」
思い出した事があったらしく、女がわざわざ後を追いかけて来て声をかける。
「JR横の職業安定所行ってなぁ、左目の白いシゲっちゅうおっさん探してみぃ。」
「シゲ?」
「そうや。昔、喧嘩で左目潰されてまいよってん。あのコの本当の父親らしいで。あのコの消息、何か知っとるんとちゃうか。いっぺん聞いてみ。」
「おばはん、そのシゲって知っとるんか?」
「昔な。シゲやんが駐車場の整理係しとった頃やったらな。なかなか男前やってんけどな。」
「あのコのおやじか?」
「本人が、昔、そう言うとった。」
「なんや怪しいなぁ。」
「まぁ、好きにしたらええけど。思い出したんで、教えたげただけやし。」
女は、そう言うと、くるりと後ろを向いて、他の客引きの女達の群れに戻っていく。
中の一人が、なにやら卑猥な冗談を言ったらしく、どっと笑い声が起こる。
広い四辻の上にかかった歩道橋を、屈託の無い若者達が、思い思いの格好で通り過ぎる。
喧騒と埃の中を、道路が白く延びる。
路面電車が、あくびを押し殺しつつ発車する。
砂漠の中の日の当たる街角が、そこにはある。