第四章   彰やん

 

 

仕事が無い。

悠美が出て行ってから、何もかもに興味を失った。

仕事をする意欲も無くした。

原稿書きの仕事を回してくれていた友人との交流も無くなった。

友人は、忙しくて、忙しいばかりで会社の利益が低下する一方で、女の事にかまけている男に気を使う余裕も無い。

それでも、最初のうちは仕事を回してくれていた。

が、締め切りも守らず、中身の薄いものばかりを書いていたら、見る間に仕事の量が減り、ついには途絶えた。

悠美がいなくなって、生活費以外に金を使う事も無くなったから、仕事のあるうち蓄えていた金で食いつないでいる。贅沢をしなければ、半年は食いつなげる。その先は、考えていない。

仕事が無いと言う事は、時間だけは大量にあると言う事、それまでの人間関係が途絶する事、そして、行くあてが無くなると言う事だと気がついた。

だが、そういう人間のために用意された町もあるのだ。

格安で生きていける町。

町があるからその手の人間が集まってくるのか、その手の人間が集まって、その町が出来上がったのか、今となっては定かでない。

かつて都市の成立過程で出来上がった町だ。

丁度、シャーレの中で培養された細菌のコロニーのように都市が拡大して行った。

細菌は、単純な構造をしている。が、捕食物と排泄物を分別し、排泄物は体内の外へ外へと押し出す。つまり、生活場所と廃棄場所を分けると言うのは、すべての基本らしい。

人間も、その基本にのっとって、自分達コロニーの外に、不要な物質を押しやる。

その町は、長い歴史の中で、増殖していく都市の外へ、外へと、押しやられ成立してきた。

その過程を見ると、人間と細菌とは、大差無い事が見えてくる。

町が細菌と言うわけでなく、人間の有り様そのものが、細菌と同じだと言う事だ。

日常生活の中で低い目線で見ているから、ちょっとした違いで自分と他人を区別しようとする。

ある特定の区域や人々を、そのような目線で排除し、差別する。

しかし、もっと高い目線、神や仏とまでいかなくても、どんと飛びぬけた大金持ちで、ごちゃごちゃした街中に住むのではなく、便利の良い高台の広大な敷地に住み、悠々自適の生活を送っているような識者であれば、つまり、自分以外は、多少のデコボコはあっても、ほとんど同質だと見てしまえればと言う事だが、わが身も含めて、拡大していく都市と、そこに住む人間は、十羽一絡げに細菌同様だと言う事に気づくだろう。

もっとも、田園地帯など、ゆとりのある地域に行けば、事情は少し違う。

例えば、墓地などは、都市の中では排除されていく。

が、田園地帯では、田畑の片隅に先祖代々の墓が建立されたりしている。

生者は、死者との語らいをも日常として取り込むゆとりを持つ。

また、かつては、瀬ぶり者等と言われる住居不定者達も、村落共同体の片隅に人間として生活し、食料を得る場を与えられた。

対して都市は、そのゆとりも無く形成され、拡大し、システムから外れていく者を常に無情に排除する。

まさに、感情の無い細菌と同等である。

だが、排除された人々の集まる町は、都市の片隅に押しやられ、冷たい眼差しを浴びながらも、しぶとく存在する。

かつて、ホモサピエンスは、森から草原に追われた時点で、草原の足の速い野獣に食い散らされ、滅びるべき運命を持っていた。ところがどっこい、しぶとく生き抜いた。

都市から排除されながらしぶとく成立している町。ホモサピエンスの源流を見るような町。

人間の持つ崇高さと醜さが、そこでは共存している。

他所からそこに歩いて入ってみるといい。通り一本渡っただけで、ガラリと雰囲気が変わる。歩いている者の目付きが違う。“すさんだ”と言う表現が相応しい目付き。しかし、それは、人間本来の持つ生存への執着の目付きなのだろう。

「今日は、体調の方、まだちょっとましやねん。」

強い風に吹き上げられたキャバクラか何かのチラシを黒いほうの目で追いつつ、シゲという男がぼそりと呟く。

「良かったやないか。」

「金、返さなあかんか。」

「いらんわ。」

「おおきに。」

ちょっと前に、コンビニのゴミ箱を覗き込むシゲを見つけ声をかけた。

シゲは、一瞬唖然とし、次にはにかんだ様な複雑な表情でこちらを見、

「昼飯やねん。食わなやっとれん。」

「賞味期限切れてんのとちゃうか。」

「そんなもん、かまうかえ。」

通り過ぎるミニスカートの女の臀部に目線を這わせつつ、吐き捨てるように言う。

「ビールでも飲まんか。飯も食わせたるで。」

「悠美の事は知らんでぇ。」

「かまわんで。そんなん関係ない。」

シゲはヒョコヒョコと付いて来た。

比較的大きな通りに面したスーパーの一階に、金網に囲われた飲食スペースがある。

たこ焼きとビールしか置いていない。

たこ焼きとビールを、それぞれ二つずつ注文した。

シゲは、見る間に自分の分のたこ焼きを平らげた。

「わいの分も食べぇや。」

「ええのんか?」

「かまへん。」

嬉しそうに、残ったたこ焼きも平らげ、ビールの入った紙コップをありがたそうにささげもつと、一口飲んで、

「ああ、旨いわ。やっぱりビールはうまいなぁ。」

しみじみと言う。

たいして手入れもしないビヤサーバーから出てきた、安いのが取り柄だけの、濁って泡のあまり立っていない、見るからに不味そうな生ビールだったが、この町では、これでもちょっとした贅沢品だ。

シゲは、もう一口飲むと、道路に顔を向け、ゲップが出るのを待つ。

金網越しに見る通りには、車もまばらだった。

それでも片側三車線ある。

が、その通りは、三百メートルばかし南に下ったところで、いきなり終わる。

逆に都市に入っていくと、二番目か三番目に車通りの多い道となるのだが。

「しかし、明日から、どないして食って行くかやなぁ。体の弱いもんは雇うてもらわれへんしなぁ。」

若い頃、さんざん楽しんだ報いだろうと、喉まで出掛かった言葉を飲み込む。

「彰やんとこに行って、頼み込むか。」

「彰やんって?」

「飲食組合の顔や。昔は、キャッチボールなんかして、よう遊んだったねん。車の誘導係りとか、なんか仕事くれるかも知れん。そうや、彰やんとこ行ってみ。あのコの話、何か教えてくれるかも知れへんで。たしか、同い年や。これ飲んでもたら行てみいへんか。」

 

彰やんの名前には心当たりがある。

悠美が、飲みすぎて前後不覚になった時などに、たまに「彰やん」と、呟くことがあった。

― 彰やんて誰やねん。

― 誰て、うち、知らんで。

― 昨日、そない呟いとったで。

― ああ、たぶん、昨日のお客さんや。飲み過ぎたからなぁ。

― また、客相手にクダ巻いとったんか。

― そうや。

― そのうちに首になるで。

― かまへん。相手が彰やんやったら大丈夫や。

― 誰やねん、それ。

― もう、何でもええから、寝せて。昨日、飲みすぎてしんどいねん。あげそう。

 

「彰やんか。」

「そや、行てみようや。」

それは、こちらをネタにして自分が彰やんに会いたいのだという魂胆が丸見えの誘い方だった。

前の道路を渡って向こう側に歩くと、シゲが宿泊所にしている玉屋のようなドヤが密集しており、その日暮らしの低賃金労働者達が集まるドヤ街が形成されている。

都市の拡大に伴ない、押しやられた町だ。

道路を渡らずに、反対側に二筋ばかり歩くと、もう一つの押しやられた町がある。

道の向こう側が流れて来た男達の町ならば、道のこちら側のは、流れて来た女達のための町だ。

昔は、高い塀と大きな門で外界と仕切られ、ある人々は、そこを勝手に通り抜ける事を許されていなかった。

今は、高い塀も、大きな門も無い。

残ったのは生業だけ。男を呼び入れ、体を開き、その代償に金子を得る生業だ。

が、そこを日常とする人達の心の中には、その生業故に、外界の日常と自分達の日常とを隔てる精神的な厚い壁があるのだろう。

いや、今時の若い女の子達にしてみれば、そのようなものは、もう既に過去の遺物で、そこを日常とする事も、都市の真ん中のオフィス街に勤務する事と何一つ変わらぬ事であるのかもしれない。

巷には、ネットに繋がって、自分の体を商売のネタにする人達もいるのだ。その人達は、日常は主婦であったり、普通のOLであったりする。

そのような日常が、この町以外で当たり前のように広がっているならば、その町に壁や大門の存在を期待する事は、まさにナンセンスと言える。

ともあれ、その町は、戦争が起こるはるか前から、春をひさぐ女達の悲しい晴れ舞台であった。

もともと、キタと呼ばれた北新地、ミナミと呼ばれた難波新地、魚の卸売り市場、雑魚場と呼ばれた市場に集まる男達を当て込んだ新町と、大きな遊郭は概ね三箇所に分散していた。

それが、難波新地の大火の後、新世界という当時としては画期的なテーマパークが作られる際に、今の場所に固められた。

新世界は、ここから目と鼻の先にある。

おそらく、ここがテーマパークのもう一つの隠れた目玉だったのだろう。

また、ここに遊郭が移されるに当たって、かなり政治家が暗躍したと聞く。

昔から、利権食いは存在したのだ。

時は流れ、街中にもソープランドだ、ファッションマッサージだ、ホテトルだのが出現し、日常の隣に、当たり前のようにセックス産業が顔を出す時代となった。そうすると、かつての遊郭のように、場所を区切って、そこを性の遊興地にする意味合いが見えなくなる。

ましてや、そこで客をとる女を隔離し、外に逃げ出せなくしてしまう必要性は何処にも無くなる。

もっとも、昔も今も、女を隔離するのは、日常から切り離すためではなく、借金を背負わせて働かせるので、それを完済するまでは姿をくらまされては困るのだと言う理由もある。

「ここには、そんな女の子はおらんで。」

と、彰やんは言うが、どこまで本当かはわからない。

「一応、面接すんねん、ここで。後ろにへんなおっさんやにぃちゃんがいてそうな子は、断るねんで。そやないと、この町、守っていかれへんねん。わしら、ぎりぎりんとこで生きとるからな。」

「彰やん、何か仕事させてぇな。」

「シゲさん、すぐ辞めるやんか。」

「体しんどいねんや。苦労してんねや。」

「あかんで、根性無いこっちゃったら。何にもでけへんで。まぁ、でもな、車の誘導係にでも口きいてみたろか。」

「ほんまか?」

「給料、安いで。」

「かまへん。仕事があんねんやったら、何でもするで。」

「この前も、そう言うとったやんか。そんでも、結局、一ヶ月もてへんねんや。」

「そら、あんな荷物運びばっかり一日中やっとれるかいな。」

「店が使う茶菓子なんかの、軽い荷物やってんけどな。」

「わいも、そう思て行ってんや。ほしたら、工事現場で使うみたいな重たい機材を運ばされてん。」

「さよか、何か手違いがあってんやな。」

「今度は、大丈夫やろなぁ。」

「よう言うとく。ところで。」

と、向き直り、

「あんた、悠美の亭主か?」

「亭主っちゅうか、内縁のなぁ。」

「悠美から子供取り上げたっちゅうんは、あんたか?」

「いや、それは、前の亭主やね。」

「あんたちゃうのんか?」

「ちゃうちゃう。」

「さよか。悠美なぁ、暫く泣いて暮らしてたそうやんか。」

「その悠美を探してんねん。」

「悠美、おらんようになったんか?」

「何や、彰やんも知らんのか?」

シゲが割り込む。

「彰やんやったら知っとると思うたんやけどな。」

「悠美とは、もう六、七年会うてないなぁ。悠美が結婚してからこっちなぁ。」

「どっか行くあて、知りまへんか?」

「さぁ、なぁ、あいつもフラフラしてたからなぁ。唯一帰る先言うたら、やっぱり、おかんとこだけやろ。」

「天下茶屋の?」

「ほうや。」

「天下茶屋やったら、すぐそこやねんけどなぁ。」

「ほんでも、もう、おかんもおらんし。」

 

悠美のおかんは、ある日、突然脳梗塞で倒れ、病院に運び込まれたが、そのまま息絶えた。

若い頃からの無茶な生活が祟って、体内はボロボロだったそうだ。

酒と男の人生だったと、悠美がボソリと呟いた事がある。

― 学校から帰ってくるたびに、いてる男の顔が違うねんよ。

おかんは、男の機嫌ばかりとって、悠美の事などほったらかしだった。

悠美の前でも、平気で男といちゃついた。

そんなおかんを見るのが嫌だった時代もあった。

おかんが連れて来る男の悠美への対応も様々だった。

無視する奴、可愛がってくれる奴、憂さ晴らしの対象にする奴。

物心ついてから、どれだけ父親が変わったか。

― まぁ、世界中の男がおとんやと思うたらええわけやんな。

そう言いながら笑う。その事を気にして、暗く塞ぎ込むわけでもない。

が、悠美の性格形成に影響を与えないわけが無い。

たまに狂ったようにホストクラブに通うのも、それが原因だと思われた。

子供への虐待も、孤独をたまらなく嫌う事も、たまに見せるセックスへの執着も。

― うちの中に、いろんなうちが居てるみたいやねん。

確かに、悠美の性格の移り変わりは、無責任に激しかった。

― 多重人格っちゅう奴か?

― わからん。何、それ?

― 本当の悠美は、暗い寂しがり屋なんかもしれんちゅうこっちゃ。

― さよか。

リストカットの痕も、その事が原因だったのかもしれない。

沢山の自分に押し潰されそうになったのだろうか。

いきなり姿を消したのも、新たな、誰も知らない悠美が顔を出したせいなのか。

そういう多重人格な悠美を愛してしまったのも事実なのだ。

 

「この町が、わいらの城やな。」

と、彰やんが前を歩きながら、振り向いて言う。

彰やんが“城”と呼ぶ町は、戦争が始まる前から、沢山の女の体液が滴り落ち、満ち溢れ、挙句、乾燥し、風に舞い散り、また、さらに沢山の女のそれを吸収しようとする町だ。

日も高い内から、古風な屋号の看板の突き出た家々の玄関先は、大きく開け放たれている。だが、それは決して無用心だからではない。

道行くものは、ほとんどが男、男、男。たまに混じる女は、どこかの店に出勤途中か、客を呼び込むやり手婆だ。やり手婆と言っても、ほとんどが中年の女だが。

家々の玄関先には必ず土間があり、その奥に座椅子が置いてあり、座椅子には大抵着飾った若い女が座って表を歩く男達に微笑みかける。

女の上半身は床に置いた照明で照らし出され、その顔をいや増して白く艶やかに見せている。

町は数ブロックに分けられている。よくよく観察してみると、ブロック毎に座る女のタイプが決まっている。

幼い顔の女達のブロック、胸の大きい女達のブロック、痩せたタイプ、太ったタイプ。町のはずれには中年女が座る家もある。

中を覗き込むと、決まって、女の横に立った中年女が声かけてくる。

「あがっていって。」

「話するだけでもええで。」

「綺麗な子やで。」

「なんぼ持ってるん?」

男達は、そんなやり手婆の声に引き寄せられるように、どこかの家に入り込み、二言、三言、言葉を交わすと、そのまま靴を脱いで上がり込むか、次の家を物色するために道路に出て来る。

「この子らが、わいらの宝やな。」

「女の体で食うとるわけか。」

「そら違うで。暴力団やあるまいし、女の子からの上がりはもろうとらん。わいらは、この子らのいてる店の組合費用と、この子らの客の飲食代金で食わせてもろうとるんや。女の人権がどないや言うて、怒鳴り込んでくるおばはんも居てるけどな、この町が無くなったら、この子ら、行くあてが無くなるで。自分一人で、よう生きてかれへん子らや。変な男の食い物にされるだけやで。」

彰やんは、町ありきで物事を考える。子供の頃から町で育ち、町を出たことが無い。

だから、当たり前なのだが、確かに、この町が無くなったとして、それだけで、ここで働く女子達の人権が確保されるかと言うと怪しいものだ。

こういう町でなくても、彼女らの肉体が商売になる場所は日本全国数限りなくある。

その後ろには、無数のたかり屋が存在する。

女の体で潤う奴らだ。

確かに、この町そのものも女の体で潤っている。

女の子達に落とされるお金の他に、遠方から車で来る客のために用意された駐車場からのあがりや、遊ぶ前遊び終わった後の一服の飲食代、駅からわざわざタクシーで来る者もいる。

しかし、彰やんが言うように、他所で見るほどには阿漕な事はしていないようにも見える。

「悠美もな、この町で働いとった事がある。」

「そうやったな。」

シゲが身を乗り出す。

「売れっ子やったな。」

「借金と、おかんにあてつけのためにな、一年ばかり働きよったな。わいが口きいたってんけどな。」

 

― あんた、うちに責任とらなあかん事あるやろ。

と、悠美が彰やんに言う。

― 何やねん、いきなり。

彰やんを駅デパートの喫茶店に呼び出して、

― あんたがうちにした事、忘れたとは言わせへんで。

悠美、十九の春。

― 何のこっちゃ。

― あんたが、うちの始めての男やったっちゅうこっちゃ。覚えとるやろ。

― そうか。

と、彰やんは口の中でもごもごと呟く。

― そやったなぁ。

悠美達が住んでいた町の見下ろせる墓地の裏手に、彰やんが悠美を呼び出したのは、互いに十五の夏。

― 何やのん、いったい。

― おう、あのなぁ。わいなぁ。

そういい終わらぬうちに、悠美を押し倒した。

喧嘩に明け暮れる彰やんに、悠美がかなう筈も無い。両手を上に束ねて押さえられ、ブラウスのボタンが弾け、ブラジャーが剥ぎ取られ、彰やんは悠美の胸に顔を埋めつつ、スカートの中に手を入れ、パンティを乱暴にずり下ろすと、自分の猛り狂った一物をねじ込もうとした。

だが、人間の体は、そう思い通りにはいかず、悠美の中に入れぬままに果てる。

若さは、しかし、一度果てたくらいでは股間の猛りを納めない。

すぐに彰やんは、第二ラウンドに挑む。彰やんの事を嫌いでなかった悠美は、抵抗をやめ、足を広げて彰やんを迎え入れた。

やがて、彰やんが体を離す。悠美の体には痛みだけが残った。

それは、彰やんも同じだった。

幼馴染で、小さい頃から彰やんと結婚すると思っていた。思春期になり互いに意識し始め、交わす言葉こそ無くなったが、思いは消え去るはずも無く、それは彰やんも同じで、彰やんが行為に及んだのは、性欲と妄想とエロビデオの見過ぎの為せる技だったが、思いは肉欲の後から押し寄せる。

しかし、思いが激しければ激しいほど、互いの溝は深まって行く事は往々にしてある。

その後、二人は、視線すら合わせなくなった。

悠美は悠美で、あてつけのように、いや事実、悠美の性格からすれば、完全に彰やんに対するあてつけで、他の男と付き合い、肉体関係を持った。

彰やんは、悠美への思いを残しながら、高校卒業後、親のコネで町を保護する飲食組合に入り、町の世話方の見習いを始め、間なしに東京から流れてきた女と同棲生活を始めた。

悠美は、高校を途中でやめている。

母親をうっとうしく感じ、何度もぶつかり合い、家出した先で男と住み始め、そのまま不登校となる。

相手は、いい加減な男で、仕事を転々とし、暇があればパチンコで金と時間を費やし、悠美はアルバイトで何とか生活費を捻出したが、ある日、男が競馬で多額の借金をこしらえ、それを闇金融で借りたものだから、金利だけで二進も三進も行かなくなり、男は無責任にも悠美を置いて行方をくらました。

闇金融は、悠美の体に目をつけ、ソープランドで働く事を強要した。

― あほか。何で、うちが、あの男のケツ拭かなあかんねん。

― 一緒に住んどったんやろが。連帯責任っちゅうもんじゃ。それに、ここ見てみぃ、あいつが金払えんようになったら、お前が代わりに払うて、ちゃんと書いてあるやないか。

悠美は、いつの間にか、その男の連帯責任者に仕立て上げられていた。

おそらく、深酒した時にでもそうなったのだろう、印鑑まで押し、サインもしていた。

悠美の体が金になると踏んだ闇金融の取立てはしつこく、悠美のアルバイト先にも現れ、悠美の仕事を邪魔した。そのせいで、何件か首になり、心身共にヘトヘトになった挙句のリストカット。最後に泣きついた先が彰やんだった。

しかし、悠美は、自分が置かれた困窮を彰やんにきちんと説明する程に人生経験は深くない。

― うちを働かせてくれる店、探してぇな。

いきなり切り出す。

― 何やて。悠美、お前、マジで言うとんのか?

― 当たり前や。紹介してくれんの?してくれへんの?あかんかったら、他の人にあたるから。早よ答えてや。

― あんなぁ悠美、何で、わしがお前に店、紹介できんねん。

― さよか、ほな、ええわ。他の人にあたるわ。ありがとう。ここ、うちが払うとくし。

そう捨て台詞を残し、レシートを持って立ち上がるのを

― ちょっと待てや。理由ぐらい聞かせや。

― もう、ええ言うとるやろ。

― ほんで、どないすんねん。

― 他の人に聞いてみる。

― わかった。何があっても働くちゅねんな。

― そやから、一番最初に、あんたに声かけてんや。

― わかったから、ちょっと時間くれや。

― どれくらい?

― 二、三週間。

― あかん。もう、ええわ。

― なんで、そないに短気やねん。

― 二、三日しか時間が無いねん。

― おかんには、相談したんか?

― する訳ないやん。何で、おかんやねん。もし、うちが、あんたにこんな話したて、おかんに言うたら、どないなるかわからんで。

― わかった、せぇへんわ。とにかく、店探したらええねんな。で、今は、どこに住んでんねん。

― 西中島や。地下鉄で一本や。

程なく、彰やんは、悠美のために店を見繕ってやり、悠美は、そこで仕事を始めた。

昔ならば、そういう女は、高い塀と大きな門の外には出してもらえなかった。が、今は、何処にでも住める。

悠美は、路面電車で大和川を越えた先に安いアパートを見つけ、そこから通った。

悠美のおかんは、見て見ぬ振りだった。

 

悠美のおかんは、男に騙されつつ北陸の方から流れて来て、町に住み着いた。

男に、数少ない財産も持ち逃げされ、残されたのは体だけで、生きていくために仕方なく金で抱かれる女になった。

もともと男好きで、しかも騙されやすい。体を売る仕事をしていても、言い寄る男は後を立たず、取替え引替えしているうちに悠美を身ごもる。

悠美が生まれても、暫くは抱かれる側の仕事だったが、悠美が物心つき始めると、ほうぼうに働きかけ、やり手婆ぁとしての仕事を獲得した。

それでも、元来の男好きがどうにかなるわけも無く、いや増して激しくなり、悠美がいようが気にせずに毎日のように男を家に上げていたのは、先に語った通りだ。

自分がしていたにもかかわらず、いや、自分がしていた仕事だからこそ、おかんは悠美に同じ道を歩ませたくなく、できるだけ真っ当に育てたつもりだったが、それとは逆に淫乱な後姿を見せていた事に自分では気づいておらず、悠美の中に自分と同じ血を見出した時には、さすがに愕然とし、悠美に仕事場には近づかないように言い含めたが、結局、娘も自分と同じ道を歩き始めた事に、因縁めいたものを感じ取った。

しかし、その手の仕事と淫乱とは相容れるものではない。

それは、おかんが一番よく知っていた。

客にサービスし、リピーターが増え、口コミで売れれば売れる程に肉体を酷使する、結構つらい仕事なのだ。

おかんは、何もすき好んで、その仕事を選んだわけではない。

男好きで騙され易い性格が、我が身をあらぬ方向に陥れ、結果、流れ着いた先が、その町の、その仕事だった。

おかんにとっては、不本意な仕事だったが、金も無く、行く当ても無く、他に食べていける仕事も無ければ、諦めてその道に進んで行くしかない。

そのような女は、おかんに始まらず、古今東西、山ほどいる。

おかんの働くその町だけで、二百人近い数の女がいた。

範囲を大阪市内に広げれば、二千人は下るまい。

これを日本全国に広げれば、何万人の女が、夜毎、裸の体を男の前に開き、金を稼いでいる事やら。

イエス・キリストの時代から、それは卑しい仕事だと蔑まれてきた。

しかし、その時代から存在したと言うことは、それを必要とした者達が多数いたと言う事だ。

毎夜、この町の店の軒先や、ソープランドの玄関や、ファッションマッサージの入り口や、ピンサロのドアをくぐる者が後を絶たない。今時は、ここにマウスクリックで容易に人と人とが出会え、金銭授受で肉体関係が持ててしまうシステムが加わる。

これが、性にまつわる現実の人間の姿なのだ。

その事実を否定してしまうと、人類の文化的発展の姿が見えなくなる。

なぜならば、それは、食欲に次ぐ本能的欲求の一つなのだから。

どれだけ性欲を良識の後ろに押し隠しても、食欲の隣にいて、他のあらゆる欲求に優先し、様々な形で現れる。

種の存続と繁殖に関わる事なのだから、当たり前と言える。

彼女らは、その欲求に応え、そこから金を引き出すべく、健気に努力する。

見知らぬ相手と裸で一つ部屋に相対する事により発生する身の危険を冒してまでもだ。

 

― また来てくれたんや。

女は、嬉しそうな顔を作って言う。

二十三か四くらいか、まだ、肌の表面に艶と張りが、当たり前のような顔をして乗っかっている。

狭い階段を上がると、右と左に、一部屋づつ。

女の領分は、その右側の部屋。

ここを、三人の女と共有する。

二人店に出ている時は、残る一人は非番なので、決して部屋の取り合いになる事はない。

― 今日は、ちょっと、寒いやろ。

親しげに喋りかけてくるのが、この女の努力の部分なのだろう。

手渡したコートをハンガーにかけると、セーターを脱がしにかかる。

― はい、バンザイしてな。

声は、既に鼻にかかって甘い。これも、この女の努力の部分だ。

セーターの次は、ボタンダウン。ボタンを一つ一つ外すのを、途中からシャツごと脱いでやると、

― あん、せっかちやなぁ。

そう言って、はにかんだ様な笑い顔を見せる。これも、努力だ。

ジーンズのボタンを外させながら、女の胸を揉む。程よく、前と上と横とに張り出した、中振りの乳房に、固くなった乳首が乗っている。

女の白いドレスの胸元を割って、直接手を差し入れ、その肌の滑らかさを確認する。

― いややわ。感じるやん。

漏らす吐息は、何処までが努力の部分なのだろう。そんな事は、どうでも良くなって来るのも事実だ。

ジーンズが下げられるのを待って、女のドレスを頭から脱がせる。

手を差し入れられ、ずれてしまったブラジャーを外す。

女の乳房を舐めるように観察する。

― そんなジロジロ見んといてよ。

女の脇腹に手を回し、静かに撫で上げる。

― 肉、ようついてるやろ。

― 霜降りか?

― あほ。

なで上げた手を背中に回し、背筋に沿って何度か往復しながら、女の口を吸う。

女が、そっと舌を差し入れてくる。その生暖かい柔らかな生き物を同じく舌で迎え入れながら、背中に回した手をパンティに差し入れ、静かにずり下ろすと、臍の下に黒々とした懐かしい匂いのする中洲が現れる。

中洲の地面が既に湿地帯のように水分を帯びているのは、客を迎え入れる前に浴びたシャワーの名残だろう。また、客の一物を迎え入れやすいように、ゼリー状の何かを既に準備しているのかも知れない。

その中洲の毛並みを、右手で感じながら、左手で女の髪をかき上げ、現れた首筋に舌を這わせる。

このあたりで、冷静な観察能力は失われる。

既に両者とも丸裸となり、女の手が、こちらの股間を撫でさすり、もみ上げ、しごき上げる。やがて、さすられた部分の血流が増加し、その事を感じた女が、

― これ、つけてな。

そう言って、丸く治められたゴム製品を目の前にちらつかせる。

― ええよ。

女が、こちらの股間に顔を近づけ、口の中に含んだゴム製品を器用に一物に巻きつけて行く。

― ほな、ベッドに行こか。

女は、ベッドに押し倒した体の上に馬乗りになると、耳たぶ、首筋、乳首の順に舐めて行く。

体の芯から、快感が疼くように湧き上る。

― すぐに、やる?

― おう。このまま、下がええなぁ。

返答を待って、女が動き始める。

女は、穴だけを持った、一匹の仕事熱心な軟体動物となる。

軟体動物は、クネクネと、その体を回転させ、一個の肉茎となったこちらの体のすべてを覆いつくす。

体液の滴る襞の一つ一つが、社会生活に圧迫され、押しつぶされたままの精神の一つ一つに食い込み、頑なになってしまった心を揉み解す。

揉み解された精神のかけらは、少しづつ蓄積され、熱を持ち、膨張し、溢れる場所を求めて管を辿り、待機し、時を見て、激しいスピードで対外へと放出される。

そのカタルシス。

暫く置くと、再び力がみなぎり始める。

― 時間まだあるよ。もう一回しよか。

― 今度は、こっちが上やな。

再起したとは言え、先程の怒張は取り戻せない。

それでも、女の襞の優しさを享受するには十分だ。

女の太ももを抱え、差し入れやすい角度に持ち上げ、ゆっくりとその中へ入っていく。

入るスピードにあわせて、女が軽く呻く。

根元まで入れ尽くすと、今度は波が引くように、静かに腰を離す。

女は慣れたものだ、差し入れる時とは違う密やかな声を、虚空に伸ばしていく。

時に入り口で躊躇すると、じれたように眉間に皺を寄せ、自ら腰を動かし、こちらを飲み込みに来る。

飲み込まれながら、襞と襞との間に息づく快感の元を貪欲に漁る。

何度も飽きずに同じ事を繰り返すうちに、女が足を回して、しがみつく。

それを潮に、自由になった両の手を女の頭に沿え、手荒く愛撫しながら腰の動きを早めると、女の声も一層トーンが高くなり、こちらが果てる瞬間を見定めて、最高潮の声を上げる。

しばらく結合したままで息を整えつつ、襞の微妙な動きに後ろ髪引かれつつ、静かに抜き去り、一瞬の静けさを味わう。

女は、こちらが体を離すまで、じっと耐えて待っていてくれる。

― また来てな。

服を着、短い別れの抱擁を交わした後、階段を降りる背中越しに女が言う。

― またお越しやす。

やり手婆の声を聞きながら、背中を丸めて外に出る。

物見遊山に道を歩く他の男達の羨望と詮索の視線がこそばゆい。

女の名残が、体のそこかしこで疼いていた。