「かぁちゃん、ほら、池に星が映ってるよ。ほら、ね、きれいだよ。」
そう言う僕を無視して、母は、真っ暗な夜道を足早に歩いていきました。
「ねえ、かぁちゃん。」
何度も追いすがって言う僕に、人生のいらつきの全てをぶつけたくなったのか、
「バカだね、この子は。」
肉厚の手が、僕を何度か引っ叩きました。
「よく見な、あれは全部、家の灯りだよ。」
確かに、僕達のいる高台から谷の下、そして、対面の高台まで、
家がひしめいていて、その灯りが、
池に映る星のように見えたのです。
高台の上に行くほど、お金持ちの家、谷の底は、貧乏人の安アパート群で、
その中に、僕と母の住処もありました。
でも、貧乏人の安アパート群の灯りも、
その時は、水底の一番ぼんやりしたところで光る、一番きれいな星達に見えました。
ちょっと、髭剃り貸してよ。
無いのよ、あたしのが。
誰が取ったのかしらね、
昨日まであったのよ、ここに。
後で洗って返すから、貸してよ。
お願い。
ちょっと、じゃあ何よ。
ヒゲ面のままで、ファウンデーション塗れっていうの?
母は、毎晩遅くに帰ってきました。
一人の時は、安アパートの前で、
お客と一緒の時は、高台の中腹にある高級マンションの前で、
タクシーを降りました。
機嫌のいい時は、夜中に寝ている僕をたたき起こして、
客からもらった寿司折りを食べさせました。
機嫌の悪い時も、僕をたたき起こして、
誰がどうしたのと、さんざん文句のあげく、僕を何度も殴りつけました。
やんなっちゃうわよね、今日は。
お化粧ののりが悪いのよ。
誰よ、どっちだって一緒だなんて言ったの?
おケイ、あんたでしょ。
クスクス笑ってるからすぐにわかるわよ。
あんたに言われちゃあ、おしまいよ。
世も末よ。
僕は、成績のいい方でした。
でも、先生は、相手にもしてくれませんでした。
先生は、私立受験の子だけ相手にしてました。
その子達は、授業料の高い塾に通ってました。
僕も塾に行きたかったのですが、
そんな事、母に言おうものなら、どんな目にあわされたか。
一度だけ、僕も私立受験したいと言いました。
顔の脹れが二、三日引きませんでした。
この世の中は、お金が全て支配しているんだと、
心の底から思い知りました。
お金持ちになってやると誓いました。
この谷底から抜け出してやると。
ちょっと、
眉描いてる時に動かさないでくれる。
ほら、ゆがんじゃったじゃない。
どうしてくれるのよ、
ちょっと、この子押さえといてよ、
ゲジゲジ眉毛、描いてやるんだから。
僕は、早くから街の不良連中と付き合い始めました。
最初は、使い走りで、
そのうちに、いい顔になって、
喧嘩、暴走、強姦に始まって、
ヤクザの片棒担いで、
麻薬や売春の仲立ち、
脅迫や詐欺まがいで女達に貢がせて、
自分はいっぱしの小金持ちになった気分でした。
ねぇ、昨日の御饅頭、もう無いの?
おいしかったわよね。
あら、カヨちゃん、あんたきれいだわよね。
おかまのあたしが、惚れちゃいそう。
また、変態おじんに一杯貢がせちゃうんでしょ。
うらやましぃわぁ。
あれ、ちょっとそれ、あたしのブラじゃない?
よく似てるわよ、あたしのに。
そのフリルのところなんか、そっくり。
でも、ある日、僕の心にポッカリと穴が開いたんです。
何時開いたのか、そのきっかけは、記憶の何処にもありません。
目の前で中間達が繰り広げる陵辱の数々を見ていた時なのか、
手なずけた女達の夜毎の淫行に飽きてしまった時なのか。
何をしても、かつて程の熱意がわかなくなってしまい、
それまでの仲間達とも次第に遠ざかっていきました。
仲間も、熱気を失った僕を避けるようになりました。
街で出会っても、あざけるように僕を見ました。
金は見る間に無くなりました。
マンションの支払いも出来なくなり、
浮浪者一歩手前の状態にまでなりました。
今日は何だか、いつものカツラが合わないみたい。
ねぇ、その赤いの貸してくれる?
あら、これいいわねぇ。
あたし、今まで、こんなのバカにしてたんだけど。
いいじゃない。
あたしに合いそう。
今日一日、これ貸してよ。
ねっ、お願い。
そんな時に手を差し伸べてくれたのが、おかまのケンちゃんでした。
不良時代に何度かかつ上げした相手です。
ケンちゃんは、虚ろな顔で街をうろつく僕を見るに見かねたらしく、
部屋に居候させてくれ、
ケンちゃんの働くおかまパブのウェイターのバイトまでさせてくれました。
そこで、おかま達との交流が始まりました。
女と言えば、母のようにだらしなく暴力的か、
今まで貢がせていた女達のように弱く、薄っぺらで、暴力に屈するだけの存在か、
どちらかしか知らなかった僕ですが、
彼女達は、そんな僕の浅はかな認識をあざ笑うかのように、
しなやかで、なよやかで、不確かで、
かと言って、少々の事には屈しない強さを秘めていました。
そろそろよ、一回目のステージ。
アッコちゃん、また遅刻なの?
カヨちゃん、何よそのお化粧、
厚過ぎない?
あの人が来んの、今日?
それでねぇ、そりゃぁ、楽しみねぇ。
でも、そんなに厚くっちゃあ、誰だかわかんないわよ。
あたしが、ステージに立つまでに、
でも、一年はかかりました。
最初は、お化粧の仕方から始まって、
勿論、誰にすすめられたわけでもなくって、
自分から言い出したんです。
僕もやりますって。
お客様の接待の仕方も教わって、
その合間にステップの練習でしょ。
お化粧も、段々上手くなって、
今じゃあ、ちょっとした売れっ子です。
ケンちゃんが、連れ込むんじゃなかったって、ぼやいてます。
今でも、ケンちゃんと一緒に住んでます。
お部屋代は、勿論、割り勘で。
お互いに助け合ってやってます。
昔取った杵柄で、用心棒には、ちょうどいいんですって。
あたし、この生活が好き。
さぁ、ステージ始まるわよ、
急いで、急いで。
do_pi_can ド・ピーカン どぴーかん さて、これから 詩 小説 エッセイ メールマガジン