(二)




清治が、丸屋旅館の女将と交渉している調度その頃、大型トラックの助手席で、フジコは、秀に胸を吸わせながら大きく溜息をついた。
「おい、溜息は無いだろ。」
秀が、頭を上げて憮然とした顔で言う。
「ごめん、ごめん。でも、秀、勝手にやってくれる?僕、煙草吸うから。」
「ちょっ、こっちが必死でやってんのに、煙草吸われちゃあやってらんないよ。」
そう言って、秀は、フジコから体を離した。
フジコは、その秀の頭を抱いて、
「必死にやってんのは、僕のためだけじゃないんでしょ?自分が排泄したいからなんでしょ?」
図星をつかれて、秀は、またフジコの胸を吸い始める。
「感じないんだよね、いくらやられても。」
「いいよ、自分で勝手にやるから。」
そう言うと、秀は息を荒くして、フジコの上で動き始め、やがて果てた。
「気持良かった?」
フジコは、腹部に飛び散った秀の精液をティッシュで拭き取り、新しいティッシュを抜き取って、秀の背中の汗を拭いてやる。
「センズリよか良いよ。」
「そんなもんなんだ。声出したほうがいいんなら言ってよね。」
「ちょっ、そんな風に言われて感じたふりされてもねぇ、わしゃ、かなわんよ。」
「いいじゃん、出せれば。」
「そんな問題かよ。」
フジコにしてみれば、セックスとは、その程度の事だった。
九歳の時に、父親の経済力の無さと、暴力のひどさに愛想をつかして母親が家出した。
フジコは、三人兄弟の末っ子だったが、母親は、経済力の無い父親の元にフジコだけを残し、兄と姉を連れて出た。母親にしてみれば、手のかからないほうを選んだのだろう。が、フジコには、捨てられたのだと言う意識が強く残った。
母親が家出をしてから、それまでもいい加減自堕落だった父親が、さらに自堕落になった。
折からの好景気のおかげで、日雇い仕事は断るほどにあったが、稼いだ金は悉く酒に費やした。フジコは、給食費すらもろくに学校に持って行けなかった。
それだけでなく、父親は、色々な女を家に連れ込んだ。舟木一夫を野性的にした顔だったので、飲み屋の女によくもてた。だから、女は、入れ替わり立ち代わり家にやってきては、何日か居座り、挙句、父親の暴力がひどくなり、自分から出て行くのだった。
これらの女達は、フジコの見ている前で、平気で父親と交わった。父親も、そのような事には頓着しなかった。この野獣のような男は、女と交わり、排泄し、憂ささえ晴らせればそれで良かったのだ。
フジコは、父親と女との関係を見て、男と女の行為とは、そのようなものなのだと理解した。
フジコに決定的な影響を及ぼしたのは、十四歳の時に、半年ばかり居座った女だった。性格のきつい女で、フジコとは合わなかった。この女は、父親が出稼ぎで暫らく家を開けると、元の愛人を連れ込んで住まわせ、フジコの前で平気で交わった。これにはフジコも切れた。暫らくは我慢していたが、ある日、食べかけのインスタントラーメンの丼を持って立ち上がると、女の頭にそれを勢い良くぶっ掛けた。女は、そのために痙攣を起こし、救急車を呼ぶはめになった。
翌日、病院から戻ってきた二人は、ドアといい、窓といい、締め切ると、フジコを捕まえ、その体をロープで縛った。
「何すんだよう。」
フジコは、必死で抵抗したが、二人がかりでは適わない。
「うるさい。あたし達に大恥かかせやがって。」
「何が大恥だ。人の家にあがり込んで、男連れ込んでヒィーヒィー言ってるくせに。どっちが恥じだよ。」
「何だと、この小娘が。おい。やっちまいな。」
やっちまいなと言われて、男の方がひるんだ。
「だって。こいつの親父に知れたらどうすんだよ。」
「そんな恥な事、こいつが、親父に言えるわけないじゃんか。」
「それでもなぁ。」
「そうかい、そんなら、こいつ、暴れないように押さえときな。」
そう言うと、女は、台所からビール瓶を持ち出し、フジコの下着を剥ぎ取ると、そこにビール瓶を突っ込んだ。
あまりの痛さに悲鳴をあげる。
「聞いた風な事言ってんじゃないよ。そのうちに、お前だって、こうされたらヒィーヒィー言うようになんだからねぇ、この売女が。」
結局、それに妙に興奮した男によって、フジコは犯された。
それからだ、フジコが不感症みたいになってしまったのは。
いや、最初の何回かは感じたよな、とフジコはさらに嫌な思い出をたどる。
フジコは、家に居付いた男に言い寄り、自分の男にしてしまった。
気の弱い、本能に操られているだけの男だったので、虜にしてしまうのは簡単だった。
女の中年の体より、フジコの若い体の方が良いに決まっている。
結局、女と最後の抗争をし、男が震え上がる程の修羅場の中で、女を追い出した。
それから、学校にも行かない、男との爛れた生活を暫らく続けたが、その頃は、ちゃんと感じていたと思う。
そのうち、男の存在を鬱陶しく感じ始め、男との爛れた生活の行き着く先が見えず、無意味な行為の繰り返しである事に気がついた辺りで、男の愛撫に、また、セックスそのものに冷めて行く自分を感じた。
それからだ。ずっと冷め続けている。
ただ、自分の体を道具にすれば食べていけるのだという事に気がつき、独立する自信を持った。
世の中を一人で渡っていこうと決めた。もとより、父親など宛てにはしていなかった。
家を出て、友人の家や、適当に拾った男の家を泊まり歩いた。
適当に男と寝てやれば、お金が手に入った。
暴力団関係者に、うまい話を持ち掛けられ、どこかに売られそうにもなったが、持ち前の勘の良さと足の速さで、何とか逃げ切った。
生まれた町を出たのは、十六の歳だ。万博が目的で、その頃売春を通じて知り合った友人と二人で大阪に向かった。
それから、本格的な放浪生活に入り、結局、目的地の大阪にはたどり着けないまま、全国を転々としている。
清治と出会ったのは、そんな生活を始めて三年目。
フォークゲリラの残党の浜置隆二と言う二十代後半のシンガーソングライターと知り合い、彼の取り巻きになって、路上演奏の手伝いをはじめた頃だった。
浜置隆二の取り巻きは男女合わせて二十人ばかしいて、アルバイトをしながら、路上の演奏場所を確保したり、彼の歌の歌詞カードを作って観客に配ったり、部屋の掃除や食料の買出し、時にはセックスの相手などもした。
浜置は、酒が入ると、自分の青春や理想について熱く語り、時には、隣で飲んでいる男に議論を吹きかけ、挙句、殴り合いの喧嘩を始めるような男だった。
それまで男と言うと、父親のような理想とか、議論とかには程遠い存在としてしか知らなかったフジコにとっては、この浜置隆二は、新鮮で、可愛かった。酒は強くなかったが、浜置隆二が飲む時は、必ず傍にいて、彼を見守った。酔いつぶれた彼を何度部屋まで運んだろう。そのまま、セックスする事もあった。既に感じなくなっていたフジコは、必死で感じるふりをした。しかし、翌日には、彼は、そんな事など忘れてしまっているので、寝転んだままで、彼のなすがままにさせておいても良かったのだ。それでも、なんとか感じようとしたのは、彼に対する母性愛であったかも知れない。
取り巻きに男がいるのは、浜置隆二の熱心なフアンと言うより、彼が運んでくる大麻と、彼の取り巻きの女の子が狙いだった。
浜置隆二は、まとまったお金が入ると、ミュージシャン仲間から大麻を仕入れ、大麻パーティーを開いた。
フジコが清治と出会ったのは、そんなパーティーの後、ラリって調子に乗った男の手から逃げ出した時だった。

「フ〜ジコォ〜。」
と、秀が甘えた声を出す。
だいたい、こんな時は、秀が欲情した時だ。
秀だけではない。今まで知り合った殆どの男がそうだ。
そうでない時は素っ気無いくせに、欲情すると必ず鼻にかかった声をだして甘えてくる。
「うん?秀、またぁ?」
まるで子供をあやすように秀に応えてやる。
「フジコォ、本当にやるのか、そんな仕事?」
まだ言っていると、思った。
「勿論だよ。」
「感じないのに?」
「うん。」
今、フジコは、清治の相方を務めるために、清治のいる温泉旅館に、秀のトラックで向かっているところだった。
清治からは、連絡があれば来てくれと言われていたが、合図を待って動くのが苦手だった。
当たって砕けろが、フジコの生まれてこの方の信条だ。
フジコに丸屋旅館に来るのは待てと言ったのは、駄目な場合もある、旅館でやらせてもらえない場合もあるからと言うのが、清治の言い分だった。二、三年前に有名なポルノ女優が猥褻罪で警察に捕まっていて、当局の取締りが厳しくなっている。
「駄目なら、駄目でいいよね。温泉につかって、ゆっくりして帰ろうよ。」
と、フジコは秀に言った。
「俺は、駄目な方がいいな。」
「何言ってんの。秀は、僕の生き方を知ってるでしょ。」
「まぁ、今さら止めはしないけど。」
「止めてくれるなおっかさん、だよ。」
「よっ、唐獅子牡丹。」
その掛け声に、フジコは背中を見せて、上着を半分だけ脱ぐ。
「どう?僕の裸に、おっさんらの視線が食い込むんだよ。」
「きれいだ、フジコ。」
「秀にそう言ってもらえると、勇気が出るよ。」
「本当は、嫌なんだろ。」
「嫌じゃないよ。ちょっと、自信が無いだけだよ。でもね。」
「当たって砕けろ、か。」
「よくわかってくれてるじゃん、秀。」
そう言うと、秀の頭を抱きしめる。
秀の鼻息が荒くなり、フジコは、秀に体を任せた。

清治に助けられてから、フジコと清治は、親しくなった。
フジコにしてみれば、それまでは、清治は、自分達の領分の近くでたむろして、昼間から酒を飲んでいる変なおやじ達の一人だった。
「知り合いだったのか、あいつ。」
フジコに買ってきてもらったビールを飲みながら、清治が尋ねる。
「うん。」
「そりゃ、悪いことしたなぁ。」
清治が、フジコを暴漢から救って数日後の事だ。
清治達が、いつものように駅前でたむろしているところに、これまたいつものようにフジコ達の一団が現れた。
その中に、清治が殴りつけた男もいて、左眼に眼帯をして、清治の方を、恨めしげに見るので、いつもの路上演奏が終わった後にフジコをつかまえて、清治が聞いた。
「いいんだよ、あんな奴の事は。」
「良くは無いだろう。友達だろう?」
「いい薬だよ、あいつには。女の体の事しか考えてないんだから。今も、最近、浜置のフアンになった娘をつかまえて、軟派の真っ最中だよ。もう一発くらいお見舞いしてやってもいいくらいだよ。」
「へぇ、じゃぁ、あれかい、あんた達は、最近良く聞くフリーセックスって奴かい。」
「まぁね。」
「そんな、誰彼かまわずにやっちゃっていいのかい?親は、なんとも言わないのかい。」
「親?親ねぇ。」
フジコは、清治に自分の生い立ちを語って聞かせた。
もう、いろんな人間相手に何度も語って聞かせていることなので、多少以上の誇張もあった。
「ひでぇ親だなぁ。そっちの方をぶん殴ってやらなくちゃ。」
「いいんだよ。もう、どっかでのたれ死んでしまっているだろ。」
「そうかい。気の毒になぁ。それよか、あれだよ、それはそれとして、やっぱり、誰彼かまわずにやるってのは、良くないよ。」
「はい、心して聞いておきます、特攻隊長殿。」
「特攻隊長はないぜ。俺は、もっと若いぜ。召集令状すら受け取ってないんだから。」
「いいじゃん、特攻の生き残りで、ぎりぎりのところで生き延びた事にしとけば?最近、そっちの方、受けてるよ。」
「バカ言うんじゃないよ。」
清治は、いつの間にかフジコのペースに乗せられて話し込んでいる自分に驚いた。
最近の、戦後生まれの若い娘は、決して自分には合わないと、今まで信じていたので、余計に驚いたのだった。
また、和江に比べて、随分と積極的なフジコの物言いに、新鮮なものを感じたからでもあった。
それからは、街角でバッタリ出会ったり、駅前で目線が会ったりすると、互いに
「こんちゃす。」
「おう、元気か。」
「おかげでやす。」
などと、声掛け合うようになる。
「清さん、隅に置けないねぇ。」
等と、風太郎仲間から冷やかされるが、何、そんな事、適当にうっちゃっとけばいい。

「隊長殿、狙われてるよ。」
ある日、フジコがやって来て耳元で囁く。
「隊長殿は、やめてくれ。」
フジコの吐息にこそばゆいものを感じる。
「じゃぁ、何て呼べばいいの?」
「清さん、でいいよ。みんな、そう呼んでるんだから。」
先だって、フジコを助けるために殴りつけた男が、清治を狙ってると言う。
「あいつ、執念深いからね。」
男は、ここ暫らく姿を隠しているらしい。酩酊している時に、「あいつを絶対に殺してやる」と、叫んでいたとか。
フジコに惚れてたらしいというのは、フジコの勝手な言い分で、差っぴいて考えていいとしても、恨みを買っているのは事実らしかった。
「仲間内でも、あいつには困ってるんだ。しつこくって。」
「まぁ、適当に気を付けとくよ。」
そう言って、清治は、ほとんど真面目に取上げ無かったが、ある日、清治が一人で夜道を歩いているときに、そいつに出くわした。
出くわしたと、清治には見えたが、実際には、清治の事を待ち伏せしていたのだ。
男は、何も言わずに、出刃包丁を前に突き出して、清治を睨んでいる。
「おい、バカな事は止せ。」
清治が声を出した途端、その男が奇声を発して向かってきた。
清治は、酔った足で何とかかわしたが、何度も突きかかって来る。
そのうち、清治も息が上がってきた。
男も同じだ。
「いい加減にしないか。」
どうも、相手も尋常な状態では無い。目が血走っている。
その時、電柱の後ろから飛び出してきた影が、手に持った何かで男に打ちかかる。
男も、気力だけで清治に突き掛かっていたような状態なので、それをかわすこともせずに、まともに脳天で受け止め、崩れ落ちた。
「清さん、大丈夫?」
フジコだった。
「おう、生きてるよ。」
「言った通りだろ。危なかったよ。僕がいなかったらどうなっていたか。」
「タイミング良く通りかかってくれたもんだ。」
実は、フジコは、その日の昼過ぎに駅前で男の姿を見かけたので、後をつけ、どこで清治を襲うのかを予測していたのだった。
が、すぐには出て行けず、清治と男を見つけて、とりあえず、どうしていいかわからずに、電柱の陰から様子を見ていたのだ。
「なんだ、そう言う事か。」
「なんだは、無いなぁ。感謝してもらわないと。」
「悪い、悪い。じゃあ、一杯おごろう。」
「その前に、こいつ。」
「そうだな、警察に突き出すか。」
「駄目だよ。こいつ、完全にラリってる。突き出しちゃうと、問い詰められて、薬仲間までゲロするかも知んない。僕の仲間が多いんだよ。みんなに迷惑かかっちゃうよ。」
「じゃぁ、そこの草むらにでも放り込んどこう。」
二人で、男を草むらに放り込むと、清治のなじみの店に引き返した。

北海と言う名のカウンターだけの飲み屋だった。
清治がフジコを連れて入ると、頭の剥げた男が、「おっ」と声をあげる。
「また戻って来ちまったよ。亭主、ツケでいいかい。」
「珍しいね、清さんがツケで飲むなんて。」
「ちょっとね、彼女に恩を売られちまったもんで。返しとかなきゃね。」
亭主が、フジコをジロジロと見て、
「なかなか可愛い子じゃないか。清さんも隅に置けないね。」
「てやんでぇ。」
「フジコです。」
聞かれもしていないのに、自己紹介をした。
「ビールでいいかい。」
「アルコールは弱いんで、何でもいいよ。」
「そうか、じゃぁ、何でも食いな。遠慮するな。」
「でも、清さん、風太郎でしょ。お金、無いでしょ。」
「大きなお世話だ。金は天下の回り物とくらぁ。いざとなりゃ、払い踏み倒して逃げるだけだよ。」
「店主の前でよく言うよ。清さん、踏み倒す程の度胸も無いくせに。」
「根性無いんだ、清さん。」
調子に乗って、フジコも囃す。
「違いねぇ。」
フジコと乾杯して、ビールを一気に飲み干しながら、清治が自嘲する。
「律儀なんだよね、この人は。」
言い過ぎたのを反省したか、店主がフジコに言う。
「おいおい、持ち上げたって、出ねぇもんは出ねぇよ。」
「風太郎の前から、清さんの事知ってるから言うんだよ。」
「え?清さんって、きちんと仕事してた事あったの?」
「遠い昔にな。和江さんって女性とねぇ。」
「おい、店主。」
清治が怖い目で店主を睨む。
店主が、しまったと首をすくめる。
暫らく沈黙が続いて、清治は黙々とビールを飲み、店主は何やら焼いている。
フジコは、その様子を面白そうに見ている。
「はい、上げだし豆腐。」
「あれ、たのんでないよ、そんなの。」
「いいんだよ、余した奴なんで、今日中に食べちゃって。」
「腐ってんじゃないだろうな。」
「清さんに出しても、お嬢ちゃんには出さないよ、そんなの。」
「僕、お嬢ちゃんか。」
「お嬢ちゃんだろ?」
「一生に一度くらいは、そう呼ばれてもいいかな。」
「ビール無くなっちまった。店主、酒だ。一番安いの。」
「いいのかい?一生かかっても払えねぇぜ。」
「いいよ、飲ましてやってよ。僕が、体で払うからさぁ。」
「そりゃ、嬉しい。じゃぁ、半年ばかり皿洗いしてもらうか。」
「バカ、子供がいらぬお節介やくんじゃない。」
清治は、結局、フジコの身の上話を聞きながら、銚子を六本ばかし並べたところで、酩酊し始める。
「もう一本つけてくれよ。」
「おい、清さん、大丈夫かい。」
「僕が送って帰るから、大丈夫だよ。」
「バカ言っちゃいけない。なんで、男が女に送られなきゃならないんだ。一人で帰れるよ。」
「男だ、女だって、古いんだよ、そんな言い方。」
「男と女の関係に、古いも新しいもあるか。」
「いやいや、清さん、最近は女も強くなったよ。」
「そうだよ、中ピ連、呼んでこようか。」
「だいたい清さんだって、和江さんがいなけりゃ何一つできないじゃないか。」
「何だと。」
清治は、両手を勢い良くカウンターに突くと、その勢いで立ち上がって、店主に喧嘩を売ろうとしたが、結局、足元ふらついて、立ち並んでいた銚子が倒れ、カウンターから落ちて壊れる音と共に、でんぐり返って、そのまま眠り込んでしまった。
「ほれ、言わんこっちゃない。今は、てんでだらしがないんだから。」
「和江。」
と、小さく呟く清治の目尻から、涙らしきものが一滴、こぼれる。
「清さんの奥さんなんだ、和江さんって。」
「奥さんじゃないんだけどね。」
そう言うと、店主は、フジコに、清治と和江の話をし始めた。
「へぇ、清さんって、そんな事やってたんだ。でも、和江さんって、何故自殺なんかしたんだろうね。」
「それなんだよ。自殺する理由がわからねぇ。清さん、随分落ち込んじゃってね、和江さんの葬式の後、すぐに行方不明になっちまって、最近だよ、昔、和江さんと住んでたこの町に帰ってきたの。五年ぶりかな。」
「なんか思うところがあるんだね。」
「そうだろうねぇ。」
「お嬢ちゃん、何か飲むか。グラスが空だよ。」
「お嬢ちゃんは、そろそろ止めてよ。フジコって呼んでくれていいよ。」
「じゃあ、フジコちゃん。」
「そうだね、コーラ。」
「ほいきた。」
「難しいのかなぁ、その仕事。」
「お座敷?」
「うん。」
「お嬢ちゃんには無理だな。」
「お嬢ちゃんじゃないって。和江さんって、どんな人だったの。」
「無口で、色白。ちょっと病気かなってくらいに細くてね。でも、結構、良く気が付く人だったなぁ。二人で飲んでると、本当に、二人いたわり合って生きてるんだってのが、ありありとわかったよなぁ。」
「そんな大事な人なのに、どうして、そんな妖しい仕事なんかさせたのかなぁ。」
「それが、男と女の妙って奴だね。生きていく為には、やらざるを得ない事、どうしようも仕方の無い事だって一杯あるんだよ。人間の性って奴だね。」
「そんなの古いなぁ。嫌なら、新しい生き方を始めればいいんだ。」
「そうは行かない時代の人達なんだよ。俺もそうだけど。」
「ふーん、でも、やっぱり、わからない。」
そうこうするうちに、いきなり清治が目覚める。
「よし、フジコ。殴り倒した男も、この店の支払いも、みんな、踏み倒して、とんずらするぞ。」
目覚めるなり、まわらぬ頭で、おかしな事を言う。
「いいよ、二人で、ヒッピーでもやろうよ。」
フジコが、清治の肩をバンバンと叩きながら、嬉しそうに言う。
「あっと驚くタメゴロー、だな、全く。」
フジコには、とんずらするぞと言う清治の言葉が、随分と魅力的に感じた。
フジコは、積み上げる事を知らない。積み上がっていくものに対して、鬱陶しささえ感じる。それが、自分の感情であってもだ。
蟻塚のように、いつの間にか積み上がっていった日常を、ある日、いきなり突き崩し、新しい場所を求めて彷徨うのが、フジコの今までの生き方だった。
最近、笠置の周辺にたむろする自分に、ちょっと嫌気がさしかけていた。最初は可愛いと思えた笠置が飲んでいる時に発する理想に満ちた言葉も、笠置が創る歌さえもが、わずらわしさを持ち始めていた。真夏日に、ふと秋めいた風が吹くような、そんな感じで、冷め始めた自分を感じていた。
だからだろう、とんずらと言う、久々に聞く言葉に刺激を受けたのは。
「どうせなら、和江さんの墓参りに行ったらどうだい。」
北海の店主が呆れて言う。
「そうだよ、清さん。行こう。」
「行こうって、何処に。」
「和江さんのお墓参り。って、何処にあるの?」
「信州の山ん中の小さな温泉町の近くだな。」
「そこ行こうよ。」
「バカ、行くなら俺一人で行くよ。」
「僕も行くよ。そしてね、和江さんの命日に派手にお座敷やるんだよ。」
「おい、店主、俺が寝てる間に何しゃべった?」
店主が首をすくめる。
「ねぇ、やろうよ。」
「やろうよって、俺一人で?」
「お座敷は、一人じゃできないでしょ。」
「なんでお座敷なんだ。」
「長い間、和江さん、ほったらかしにいておいて、それくらいやらなきゃ駄目だよ。」
「やるって、誰とやるんだよ。」
「僕と、だよ。」
それを聞いて、清治と店主は、一瞬沈黙する。次に、フジコの言った意味を理解して、大笑いし始めた。
フジコは、笑われてきょとんとしていたが、二人の笑いがなかなかおさまらないのに腹を立て始めた。
「悪い、悪い。でも、フジコじゃ無理だ。気持だけいただいておくよ。」
無理だと言われて、フジコの変な意地が動き始める。フジコには、そんなところがあった。無理だと言われると、意地になる。それで、少年野球チームに入ろうとして、入団テストを受けた事もある。誰よりも早い球を投げ、誰よりも早く走れたが、女だからと言う理由で落とされた。「君が男だったら」と、チームの監督が、つくづく、悔しがった。
「何が無理だよ。」
「いや、だって、どう考えてもねぇ。」
「そうだよ。」
と、店主も笑いをこらえてうなずく。
「よーし、見てろよ。」
そう言うと、フジコは、着ていたティーシャツを脱ぎ捨て、ブラジャーをとった。
たっぷりとした、張りのある乳房が、清治と店主の目の前に現れた。
次に、ホットパンツを、その下のパンティーごとずり下げ、足から抜き取る。
白い滑らかな下腹、さらに、薄い陰毛が、フジコのスリムな体に見事に調和していた。
清治も店主も、しばらく声も出せずにいたが、店主が弾かれたように前掛けを取ると、フジコに投げつけ、
「わかった、わかったよ。でもな、誰かが来る前に、早く隠してくれよ。ここは、ストリップ小屋じゃねぇんだぞ。それが、そんなスッポンポンになっちまったら、公僕がやって来るじゃねぇか。」
「わかった、清さん?」
「言いたい事は、良くわかるけど、そんなもんじゃぁないんだ、あれは。」
もっと、陰湿で、押さえに押さえつけられた末の、白い、激しいエネルギーがいる。
和江の、あの静かな力強さ、見るものを引き付ける妖艶を、フジコが出せるとは、とても思えなかった。
「でもなぁ。」
そう言うと、店主は、いきなりドアを開けて、暖簾を取り外す。
「なかなか良い体してるじゃないか、フジコちゃん。そんな良い物見せられたんじゃぁ、ただでは帰せねぇ。今日は、無礼講だ。飲もう。」
そして、カウンターの中から一升瓶を取り出すと、三つのコップに冷酒をなみなみと注ぐ。
「おいおい、倒産しちまうぞ。」
「いいよ。俺はよぅ、フジコちゃんの潔さに惚れちゃったよ。フアン第一号だ。見ろよ、清さん。綺麗な体じゃねぇか。」
「あんまり見られると恥ずかしいよ。」
「とりあえず乾杯したら、早く服を着てくれ。」
「俺ぁいいよ、フジコちゃんが裸のままでも。もう、暖簾下ろしちゃったから、誰も来ないよ。なんなら、俺も裸になろうか。」
「おっ、それいいんじゃない。みんなで裸になろう。清さんも脱ぎなよ。」
「バカッ、そんな能天気な裸見せられたって、誰も感動しないよ。とにかく、早く乾杯して、服を着るんだ。」
そう言う間に、棚の上のテレビでは、馴染みのテーマ音楽で深夜番組が始まり、関西弁の小説家のリードで、東北弁のポッテリした女が脱ぎ始めた。
「何か間違ってるよ。」
清治が、つくづくぼやく。
結局、その夜は一升瓶が空いてしまい、飲めないフジコが、飲みすぎた清治を担いで、北海の店主の安アパートに連れて行き、ごろ寝する羽目になった。

翌朝、人の気配を感じて清治が目覚めると、目の前にフジコの顔があった。
「何やってんだ。」
慌てて跳ね起きる。
「何って、お座敷の稽古だよ。」
「お座敷の稽古?」
「そう。清さんとやるわけだろ。そしたら、清さんの顔が真近に迫るでしょ。そしたら、僕、絶対に笑っちゃうと思うんだよね。だから、真近に見ても笑わない稽古。」
「いいよ、そんな稽古なんかしなくても。それよか、お前、ニンニク食ったろ。」
「うん。精がつくから食えって。」
「臭いよ。」
「でも、お座敷やるのって、精付けとかないといけないんでしょ。」
「誰も、お座敷やるなんて言ってない。」
「言ったよ、昨日。」
「そりゃ、酔っ払った勢いだ。」
「ああ、清さんは、いたいけな少女を騙すんだ。」
「ちょっ、人聞きの悪い事を言わないでくれよ。」
そこに、北海の店主が帰ってきた。手には、パンと牛乳を持っている。
「食料を仕入れてきたであります。」
つい先日、ジャングルから助け出された旧日本軍兵士の口調を真似て言う。
「清さん、ずるいんだよ。昨日言った事、忘れた振りしてる。」
フジコが、店主に泣きついた。
「本当に覚えてないんだ。」
「まぁ、さんざん飲んだからねぇ。」
「酒に流すってのは、男の世界では通用するかもしれないけど、女の世界じゃあ通りませんよ。」
「そりゃあ、男女差別って奴だ。男女平等だろ。」
店主が言うと、
「都合のいい時だけ平等にするな。」
とフジコがすねる。
「後悔するから、考え直した方がいい。」
清治もなだめに入るが、
「後悔を恐れていては、何も始まりません。」
「勝手にしろ。」
「よし、今日から研究だぁ。」
「研究って?」
焼けたパンを食卓に置いて、店主が尋ねる。
「まず、ストリップ劇場に、日活ロマンポルノだな。」
「おおー、いいぜ、あれは。」
「店主、見に行ったんだ。」
「あたぼうよ。一条さゆりのあの濡れた瞳がいいんだよ。」
「バカ、一条さゆりは、ストリッパーだろう。」
「あれ、清さんも行ってるんだ。」
フジコが驚く。
「なんで、俺が、ストリップに行っちゃあいけないの。」
「谷ナオミの、あの縛られた時の顔にもぞくぞくって来るよな。」
「行こう、行こう。で、何処でやってるの?」
「駅裏に小さな映画館があるだろ。」
店主が話にのり始める。
「あるある。」
「あそこだな。」
「よしっ、今日は、ロマンポルノだ。清さんも行くよね。」
「行かないよ、仕事があるのに。」
「嘘だ。」
「嘘じゃねぇよ。風呂屋の亭主から、ボイラーの修理頼まれてんだ。」
「ボイラーの修理?」
「清さん、そんなのできるんだ。」
「専門に任せるより安いってね。」
「だから、あの風呂屋、よく途中で湯が出なくなるんだな。」
「じゃぁ、清さん、今日も仕事が終わったら北海に集合だよ。」
「駅前の歌手はどうすんだ。」
「もう、いいんだよ、あんなの。」

結局、ボイラー修理に手間取った清治が、洗ってもなお真っ黒な手で、北海の暖簾をたくし上げたのは、八時過ぎてからだった。
「よく知った機械も、ちょっと触らずにいると見当がつかなくなる。早風呂のばぁさまからにらまれっちまったよ。」
「どこで、そんな腕身につけたの?」
熱燗を出しながら店主が聞く。
「だてに温泉廻りしてないよ。」
そのボイラーは、昔、清治が五豊商事という会社で、サラリーマンをやっていた時代に海外から輸入して売った物の一つだった。
故障が多く、技術者の手が幾らあっても足りなかった。だから、営業しながら、清治も少しずつ修理を覚えた。
「ところで、今日、どうだった。日活ロマンポルノは。」
「あれ。」
店主が指差す先で、フジコが、自分で自分の胸を揉みしだきながら、顔を作っている。
「大変だよ、もう。開店前なんか、声まで出しちゃって。うるさくて仕方ない。」
「色っぽくてじゃないのか。」
「もう、とてもとても。」
「おい、フジコ。」
「今、練習中だから、後にして。」
暫らくして、フジコが席を移って来る。
「縛るのやろうよ、縛るの。清さんが、フジコを縛ってね、後ろからぐいって。」
「バカ。際物はやらないよ。」
「どうして縛るのが際物なの。映画でも、縛るシーンに一番みんな興奮して、生唾飲み込んでたよ。ねぇ、店主。」
「ああ、まぁ、そうだけどねぇ。でも、映画館のポスターに書いてあったろう、『本日、エスエムシリーズ』って。って事は、それが好きな連中が主に来てたんだよ、たぶん。」
「そうか、エスエムか。」
「エスエムとか変態っぽいのを際物って言うんだよ。俺と和江は、いつも本流で勝負していた。」
「だめだよ、そんな古い考え。ロマンポルノに勝てないよ。なんたって、あっちにはストーリー性があるんだから。ねぇ。」
と、店主に意見を求める。
「とは言うものの、清さん達のは、ナマホンだからねぇ。迫力が違うよ。」
「店主、見たんだ。」
「そりゃ、何度かねぇ。」
「どうだった。」
「どうだったって、そんな事は、本人のまえじゃぁ言えないよ。」
「どうして?」
「だって、そんな、あけっぴろげに言えないでしょう。」
「なぁ、フジコ。あれは、表に出られない世界なんだ。表に出てしまうと、一気に色褪せてしまう。お座敷の淫靡な雰囲気の中でこそ咲かせることが出来るんだ。当局の目をかいくぐって、こっそり見せるものなんだよ。そこにこそ、価値があるんだ。わかるか?」
「なんとなく。」
「その淫靡な世界で、妖しく花咲かせる事の出来る女と、そうでない女がいる。和江は、そんな女で、フジコは、そんな女かどうか、やってみないとわからない。」
「和江さんかぁ。」
と、店主。
「和江は、いい女だった。よく気が付いて、優しくて。時代が時代なら、あんな世界に入らなくてもいい筈だったのに。」

和江が物心ついた時代は、戦後の復興期で、自分の事で精一杯で、誰も他人の事を構う余裕など無かった。
それでも、貧しいとはいえ農家は、食料面では、都市の人間よりも救われていたはずだ。
あの地震さえなければ、和江も農家の嫁として、平凡な人生を歩めたかもしれない。
昭和二十八年六月二十八日午後五時過ぎ、ゴーという激しい音と共に、まだ幼い和江の足元が、激しく揺れた。
それまでも、井戸の水が突然干上がったり、野鳥が大量に鳴き騒いだりして、何か天変地異でも起こるんじゃないかと、人々は噂し合った。
寺の境内で隣の家の子供と石蹴りをしていた和江は、あまりの激しい揺れに地面に突っ伏する。
そこに、寺の石碑が倒れかかった。
ほんの僅かの違いで、和江は助かり、隣の家の子が犠牲になった。
走って戻ると、家は倒壊し、畑で草取りをしていた祖母が、家の前に座り込んで、ぼんやりと崩れた家を見上げていた。
「かぁちゃんは?」
「この家の中やし。下敷きになってもた。とうちゃんも、かぁちゃんも。ヨシ坊も。」
やがて、家から煙が噴出した。夕餉の支度の火が、木材に燃え移ったのだろう。
瞬く間に火の手があがり、激しい炎が全てを灰にした。
それから一週間もたたない間に、たった一人の肉親の祖母も、避難先の公民館で風邪をこじらせて亡くなった。
和江は、叔父夫婦に預けられたが、叔母は、ただでさえ貧乏な生活、かつ、田畑が地震でひび割れ、その年は、まともな収穫は期待すべくも無い上に、和江という余計な食い扶持が加わった事が気に入らず、非常に辛くあたった。
和江は和江で、元より口数は少ない方ではあったが、ますます喋らなくなり、どれだけ嫌味を聞かされても、口元をへの字に曲げるだけで、物一つ喋るわけでもなく、叔母からは何を考えているかと、気味悪がられた。
負けん気の強いが故の無口である事に、自分自身で気が付くのは、もっと後の事である。
和江に月のものが見られるようになり、体つきに女らしさが現れるようになると、叔父夫婦は、待ちかねたように、和江を彦根の色町に売りつける。
売りつける前に、叔父は、今まで世話したのだからと、何度も言い訳けしながら和江の痩せ細った体を抱いた。
運悪く和江は、それで妊娠してしまい、その事を隠して売られたために、買い取った先で堕胎手術を受けさせられ、事後処置の悪さで、地獄の苦しみを味わう。
結局、堕胎手術とその後の療養生活で和江の借金は倍に増え、さらには、二度と妊娠できないと、医師に言われる事となる。
大前市太郎に出会うまでの和江は、痩せ細った暗い女で、生まれついての口下手と下戸のせいもあって、ろくになじみの客もつかず、店に疎んじられて、各地を転々とする有様で、余計に体調を悪くし、隙間風吹き込むボロアパートで、酒に身を持ち崩した用心棒にもならぬ男にまともに世話もしてもらえずに、その男の憂さ晴らしの為の生傷も絶えず、また、病気をこじらせ寝たきりに近く、いつ死んでもおかしくない状態だった。
お座敷芸の相方を失ったばかりの大前市太郎が、そんな和江に目をつけたのは、ひとえに、市太郎が清治と同じ性分で、和江の強烈な縋り付く目を無視できなかったという、その事につきると思われる。
和江にしても、誰彼構わず、その目線を送ったわけでもなく、自分を救い上げてくれる相手に対してのみ、そうしたのだから、どんなに追い詰められても、ちゃんと、自己防衛の本能は生きていたのだろう。
市太郎は、そんな和江を裏切ることなくお座敷芸の基本、四十八手を教え込み、一見引っ込み思案にみえる和江の、本来の自己表現欲求を引き出す事となる。
和江は、必死に市太郎の教える四十八手を覚えた。
清治と市太郎が知り合ったのは、東京オリンピックの翌年、昭和六十五年の暮れ。
鄙びた温泉町の安酒場だった。町は、ビートルズとベトナム戦争の話題が渦巻いていたが、清治も市太郎も、それぞれなりの事情で、世相に背を向け、酒をのんでいた。
清治は、離婚した元妻が自殺したばかりで、激しい後悔の念の中にいたし、市太郎は、ピンク映画ブームで、自分の芸が、世の中に受け入れられなくなりつつあったが、どうしていいか分からず、また、医者から癌であることを宣告されて、まさにお先真っ暗闇の状態だった。
だが、互いに同じ匂いをかいだのか、二人は、酒場のカウンターで隣り合うや、急速に親しくなる。
清治は、もともと几帳面な性格で、どれだけ身を持ち崩しても、身だしなみだけは出来るだけ整えるようにしていた。
市太郎にも同じようなところがあった。着る物はみすぼらしかったが、どれだけ飲んでも背筋をピシッと伸ばしており、それは、市太郎の真っ直ぐな性格を現していたといえた。
二人は、酒場で出会ううちに親しさを増していった。
そんなある日、市太郎は、和江を引き連れて酒場に現れる。
そこに清治も現れ、三人で飲むうちに、清治は、和江に引かれる自分を感じた。
それは、若かりし頃に結婚した妻には感じた事の無い感情だった。
おそらく、市太郎は、清治に自分と同じ嗜好を見出し、自分亡き後の和江を託す思いで、二人を会わせたのだろう。
さらに会う回数を重ねたある日、市太郎は酔いつぶれ、清治と和江は結ばれる。
それも、市太郎にしてみれば、計算ずくのことであったのかも知れない。
その夜の事を、清治は、はっきりと覚えている。少年の心を取り戻したかのような、甘酸っぱい、心ときめく夜であった。
それが、失望しか感じられなかった清治の人生に、一時的にせよ、光を投げかけてくれた。
市太郎の目を盗んで、何度となく逢瀬を重ねた。
程なくして、市太郎は、清治を、自分と和江の仕事場に誘った。
市太郎に言われた場所に出向く。それは、隣町の待合で、入り口で言えと教えられた合言葉を言うと、案内されたのは、二階の八畳ほどの一室。そこに、白い薄手の寝巻きを着た市太郎と和江がいた。
「来たかい。」
清治の姿を見とめて、市太郎が声をかける。
「何ですか、いったい。」
和江は、うつむいたままだった。
「うむ。実は、あんたに知っておいてもらいたい事がある。話すより、見てもらった方がいいと思って、呼んだんだ。今からお目にかけるものを見て、和江をなじったりしないでやって欲しいんだ。ともかく、騙されたと思って、そのあたりに座っていてくれ。」
そう言われるままに部屋の隅に座っていると、暫らくして、人が集まり始める。
市太郎と和江は、赤い敷布団の上に正座して、手をつき、頭をさげたまま動かない。
五、六人集まったところで、中の一人が、「全員そろった。やってくれ」と、二人に声をかける。
「本日は、よくぞおいでいただきました。それでは、はじめさせていただきます。とっくり、ご堪能くださいまし。」
市太郎が言い終わると、和江が敷布団の上に横になる。
市太郎は、部屋の明かりを薄手のシーツで覆い、薄暗くすると、和江にかぶさり、彼女の胸元を開き、乳房を形なりにゆっくりとなぞる。
和江の口元が、微かに開き、聞こえぬ程の溜息が出る。
市太郎は、和江の寝巻きの帯を解き、彼女の前を大きく開いていく。
和江の細く白い、しかし肉付きのよい体が、男達の目にさらされる。
「では、まず、四十八手のうちの最初の一手より、岩清水。」
二人は、ゆっくりと時間をかけて、四十八手のうちの最初の一手の体制になる。
「続きましては、第二十七手、千鳥の曲。」
さらに時間をかけ、小刻みに動きながら次の体位を取る。
市太郎の声とリードで静かに動く和江は、まるで、音も無く赤い雪原を舞う一羽の鶴のようだった。
四十八手のうち、どれを見せるかは、最初に市太郎が決める。その日の客の懐具合や面子を見て、見せる数や順番を決める。
和江は、体で、それぞれの体位を全て覚えていると言った。
体位から体位へと移る時の二人の呼吸が一番大事で、これを滑らかに見せなければ、客の集中が途切れてしまう。
客は、次々と切れ目無く繰り広げられる、古典的な、しかしアクロバティックな性戯に生唾を飲みつつ、引き込まれていく。
「最後になります。本日の最後は、第三十三手、鳴門にござい。」
最後の体位で、二人の腰使いはいっそう早まり、やがて、市太郎の「うっ」といううめきを合図に和江の鶴の最後の一声のような喘ぎがあがる。それから、二人は、静かに体を離し、裸のままで客に向かって正座し、お辞儀する。
「以上でございます。本日は、まことにありがとうございました。」
二人は、客が全員部屋を出るまで、そのままの姿勢を続ける。
客の一人が市太郎に近づき声をかける。市太郎は、和江をちらりと見る。和江が小さくうなづく。
「この先の飲み屋で、少し待っててくれ。」
洋服を着て、身だしなみを整えると、市太郎は、清治にそう言い置いて、和江と待合を後にした。
半時間ばかし置いて、飲み屋には、市太郎だけが現れた。
「和江は、後で来るよ。」
そう言うと、暫らく黙ってビールを飲み始めた。
「和江を嫌いにならないでやってくれるか。」
ややあって、市太郎が言う。
「嫌いになるだなんて、そんな。」
「清さんに嫌われたらどうしようって、そればかり気にかけていたよ。」
「どうして、俺が、和江さんを嫌いになるんですか。」
「いや、あんな所を見せてしまったからなぁ。」
「だったら、何故、俺を誘ったんですか。」
「実はな、俺は、癌なんだ。」
「え?」
「妙に疲れやすいし、体重も減ってきたんで、医者に見せたら、家族を呼べと言いやがるんで、俺は天涯孤独だって言ったら、いきなり、じゃぁ、あなたに直接言うが、あなたは癌だって、いきなり言いやがる。よく持って一年だとさ。」
「和江さんは、その事は。」
「知らない。内緒にしといて欲しいんだ。あいつは、心配性だからな。お前さんに俺達の仕事を見せたのは、一かばちかだ。お前さんが、和江の事を、あんなのを見た後でも、気にかけてやってくれるんなら、いっそ、あいつをもらってやって欲しいんだ。」
「もらうったって。」
「嫌か?」
「嫌とかの問題じゃなくて、俺には、そんな甲斐性も無いし。」
「大丈夫だ。和江は、あいつは、今までに何度も貧乏のどん底を味わっている。今でも、体で稼いではいるが、そんな贅沢のできる生活じゃない。二人で助け合って生きていけばなんとかなる。清さんさえよければ、もらってやってくれ、な、頼む。」
そう言うと、市太郎は、いきなり土下座した。
「やめてくれよ、市さん。」
「こんな仕事をしているが、あいつは、決して好色じゃない。今も、さっきの客の一人に抱かれに行っているが、好きで行ってるんじゃない。金と、なじみの客の確保の為だ。」
「分かったよ、その事は、和江さんを交えて話をしようよ。」
「駄目だ。ここで決めちゃわないと駄目なんだ。和江に、こんな話をしたら、あいつ、断るのに決まっている。もう決めた事だからと言って、納得させるのが一番早いんだよ。和江の事は、俺が一番良く分かっている。
な、頼む。俺は、和江をこれ以上不幸にしたくはないんだ。」
「俺は、彼女を幸せにはできないよ。」
「俺といるよりは、いい。和江が、お客の前で俺に抱かれているのは、自分が生きていく為なんだ。そのことは、俺が一番良く知っている。和江は、俺に会う前も、ずっと、そうして生きてきた。誰かを好きになるなんて、あいつには、ご法度な事なんだ。そう言う生き方が染み付いて、それ以外の生き方が理解できないんだ。
お客の前で、俺にしがみつくのだって、あれは、自分が生きていたいが為のやむにやまれぬ仕草なんだ。
俺はなぁ、清さん、俺は、そんな和江が可愛くて仕方が無いんだ。
だからこそ、俺が死ぬまでに、あいつにいい男を見つけてやりたいんだ。」
「市さん、だったら、俺には無理だな。」
「そんなこと無いよ。俺だって、人を見る目くらいはある。」
清治には、つい先月、三年前に離婚した女房、沢田照子の葬式があったばかりだ。
あったというのは、葬式に参列する事を拒否されたからだ。
照子は、静岡県の旧家で、元藩士の家柄。祖父も父親も県会議員を務めていた。男兄弟の中の娘一人、特に、上の兄二人は戦死していたので、余計に可愛がられて育った。清治とは、見合い結婚の形をとっているが、もともと同じ商社で働いており、和江からの熱烈な社内アプローチの末の結婚だった。
軍国少年であった清治は、陸軍士官学校を志望していたが、敗戦により挫折、しばらくふらふらした後、大学校に進学し、奨学金とアルバイトで自活しながら、学業とラグビーに専念し、卒業後は五豊商事に就職した。
照子は、高校卒業後に親のコネで、嫁入り前修行を兼ねて入社し、清治の部署に配属された。
清治は、アメリカ製のボイラーの営業で国内を飛び回っており、彼女との接点は、ほとんど無かったが、彼女の方が、忙しく立ち働く清治に熱を上げ、清治の同僚の男に仲立ちを頼んで、社内恋愛ご法度の会社の目を避けながらの交際が始まった。
彼女の親は、家柄を重く見、学業優秀、会社での評判も良いとはいえ、父親は元鉄道保線員であり、決して裕福な出ではなく、また、戦後間も無く両親共に亡くなっており、兄弟も殆ど戦死、天涯孤独の身である清治との交際に強く反対した。
清治は、彼女の持つ良家の出の世間知らずな積極性と奔放さに惹かれていき、何度も彼女の実家に足を運び、ようやく、承諾を得、結婚。
二年後には、男児を得て、一見幸せな家庭であった。
だが、その頃から、清治の仕事は俄然忙しくなる。アメリカのボイラー会社の新製品の販売を任され、それが日本の建築基準に抵触していると分かり、乗り越える為の東奔西走が始まっていた。建築基準を改訂してもらうべく政界にもコネをつくり、その付き合いもあり、週末でさえ家に帰れる日が少なく、ほとんどホテルや会社での寝泊りとなり、照子の育児の悩みにも応えてやれない日が続いた。もとより、清治は七人兄弟の六番目で、まともに親に面倒を見てもらった記憶が無い。そんな清治が、彼女の悩みに応えるのは、難しかったのも事実だ。子供なぞ放っておいても勝手に大きくなると思っていた。
清治は、そんな自分を照子は理解してくれていると信じていた。が、外で忙しく立ち回り、一日があっという間に過ぎていく清治と、一日、子供の世話に明け暮れ、外に出る事も出来ず、加えて、子供の夜泣きがひどく、ほとんど眠れぬ状態の照子との間には、知らず知らずに隙間風が生じ、その事を理解してもらえぬ苛立ちを、彼女は出入りの銀行員との恋で解消しようとしたが、結局、預金通帳をだまし取られ、清治の知るところとなる。
今ならば、清治も、彼女の裏切りを許せると思う。が、その頃の清治に、そのような心の余裕も無く、彼女は、子供と、実は銀行員との関係で身重になった体を抱えて、実家に帰った。
厳格な旧家である実家では、そのような娘を手を広げて迎えてくれるわけも無く、離れに蟄居させられ、銀行員との子は流産し、その後遺症が、体ばかりか精神状態にまで影響を及ぼし、結局、清治と離婚して三年目の春に自殺する。
清治の女房の実家を良く知る口さがない人々は、彼女の流産は、世間体を気にする彼女の父親が、無理とにさせたのに違いないと、噂し合った。
照子の自殺は、彼女のすぐ上の兄からの電報で知った。
慌てて照子の実家に駆けつけたが、葬式は、親族だけで営まれており、清治は、父親に阻まれて参列させてもらえなかった。
父親にすれば、清治がもっとしっかりと娘との家庭を守っておれば、娘はこのような事にはならなかった、と言う思いが大きかった。
また、清治は、仕事上の問題で、照子との離別の翌年に、会社を追われるように退職していた。清治が退職せざるを得ない理由を知らない父親にしてみれば、無職で、髪に櫛を入れた後も無く、皺だらけの背広で照子の葬式にやって来た清治が、より不甲斐なく見え、何故このような男に娘を預けたのだろうと、激しい後悔の念に責められた。
厳格であったとは言え、一人娘に対する愛情は人並みに、いや、表面にださない分人並み以上に持っていたので、清治の姿を目の当たりにしての怒りの度合いも激しかった。娘を失った落胆も加わって、葬儀が終わって、しばらく寝込むはめになったくらいだ。
清治は、我が子にも会わせてもらえず、静岡を後にした。
彼の中には、冷たい隙間風が吹いていた。
和江の眼差しが、その寒さを和らげてくれていたのは事実だが。

「ここから山越えだよ。」
秀の声に、うつらうつらとしていたフジコが目を覚ます。
「もう着きそう?」
「まだ、これからだよ。フジコが、静岡を通りたいって言ったんで、信州に向かって、天竜川沿いに上って行くんだ。」
「そうか。」
フジコは、和江の気持を知りたかった。
そのためには、清治が傷心で後にした静岡を通っておきたかった。
静岡の何処と、聞いていたわけではない。
ただ、静岡でありさえすれば良かった。
だから、トラックは、浜名湖で一泊し、浜松から、天竜川沿いに松本を目指す。
清治から、話を聞けば聞くほどに、和江の気持が見えなくなる。
和江は、清治を愛していたのだろうか?
否。
和江は、自分が可愛い女の筈だ。自分が生きていくために、市太郎を愛する事に努力し、市太郎亡き後は、清治を愛する事に務めた。和江が、清治に、そうはっきりと言っている。
「ごめんなさい。うちは、自分しか見えへんのです。」
市太郎の葬式の後、布団の中で、清治の胸に顔をうずめながら、和江は、そう言った。
「市さんを、好きやったかどうか、思い出せへんのです。市さんの死顔見ながら、そんな事ばっかり考えとりました。うちが泣いてたんは、市さんが死んでもたんが悲しくてとちゃいます。市さん、まだ骨にもなってないのに、市さんの体が冷えるや否や、市さんを思う気持を無くしていった自分が悲しかったんです。今もそうです。今も。もし、清さんの体が冷えていったら、そうしたら、清さんを思う気持も見る間に無くしていくのかと思うたら、なんや悲しい。ほら、ことこと言う清さんの心臓の音。いっそ、この音を止めて、うちも死んでしまいたい。」
その半面で和江は、毎月市太郎の命日には、墓参りを欠かさなかった。
その日だけは、清治にも付いて来させずに、朝から一人で出掛けたと言う。
「その帰りに、静岡に寄らなかったんだろうか。」
フジコが煙草の煙と一緒に、独り言を吐き出す。
「何?」
秀が曲がりくねった道を運転しながら、フジコに問う。
「何でもない。」
フジコは、今、自分が静岡を通っているように、和江も、必ず静岡の地を踏んだに違いないという、一つの仮説を勝手に立てていた。
その理由は不明だが、和江が静岡のどこかの小さな駅で、日傘をさして佇む絵が、フジコの頭の中には、あった。和江は、そんな女に違いない。
でも、何故、そんなに和江の事が気になるのだろう。
自分とは全然関係の無い女だ。
人生の中で、運命に翻弄され続けた女だ。
自分ならば、どんな運命に生まれて来ようと、それで自分をあきらめるなんて事はしない。
現に、今でも、自分の人生に戦いを挑んでいる。と、信じている。
他人が何と言おうと、これがフジコ流の戦い方なのだと、胸を張る。
嫌な奴と嫌な事をするくらいなら死を選んでやる。
それで、和江は自殺したのか?
いや、それが理由じゃない。
和江は、和江で、他人が和江の事を色眼鏡で見る時とは全然違う人生観の中で、必死で生きていた。そんな頑固な女なのだ。そうに決まっている。そうでないといけない。
そんな事を、窓の外の景色を見ながら、ぼんやりと考えている。
と、ふと、フジコの頭の中の和江の持っている白い日傘が、風に舞い上がった。
「やっぱり来たよ。」
フジコの声が大きいので、秀が、慌ててブレーキを踏む。
「何だよ。」
「和江さんだよ。」
「わけわかんねぇ。」
「ねぇ、秀、どっか、その辺の駅に止めて。」
秀は、地図を見て、ロータリーさえない、山の中の小さな駅の近くにトラックをつける。
「これで、いいのか。」
フジコは、ゴメンネと小さく言い置くと、トラックを飛び降り、駅のホームに向かう。
駅の所々腐り落ちたベンチに腰掛け、煙草を吸う。
そのうちに、小さな箱の電車がやって来た。
ホームに降りる人の姿もなく、乗り込む人の姿もない。
フジコをおいて、電車が発車した。
ホームにフジコが取り残される。
暫らくして、フジコも腰を上げ、トラックに戻ってきた。
その間、秀は、じっとフジコの姿を見守った。
戻ってきたフジコの目が濡れている。
「大丈夫か。」
フジコは、秀の腕の中に顔を埋めると、小さくうなずく。
「和江さん、来たんだよ。清さんの心に会いに。そして、泣いたんだよ。」
「そうか。悲しいね。」
「秀。」
「何?」
「優しいね。」
「うん?」
「秀、僕のこと、好き?」
「うん。」
「僕ね、和江さんと清さん、それに、秀の心にも会ったような気がする。」
「俺は、今、ここにいるでしょ。」
「そうだったよね。ねぇ、秀。僕のこと、抱いてくれる?」
「ここでか?」
「誰もいないから、大丈夫だよ。」
「感じないんだろ?」
「体はね。でも、心で感じたい。だから、抱いて。」
いつもは義務的なフジコが、その日は、積極的に体の動きをあわせてくれた。
秀には、その事が嬉しかった。

秀のトラックは、後一日走れば、清治のいる笠野形温泉に到着する。
秀の腕の中で、フジコは、清治に抱かれる事を考えている。
清治とお座敷をやるもともとの動機は、フジコのただの好奇心からだった。
ロマンポルノが流行のこの時代に、お座敷芸なんて、しかも、客の前で四十八手をやってみせるなんてという、その前時代的な事柄に、逆に目新しさを感じて、フジコの好奇心が、激しく動いたのだった。
フジコだって、それなりの事はしてきている。
今さら他人の前に自分の裸を晒すくらい何でもない。
でも、その体を使って、何かをする。特に、ストリップなどというお仕着せの芸ではなく、客のすぐ目の前で、裸芸を見せるのだ。自分がどんな風に、それをこなせるのか、ぜひ試したかった。
聞けば、清治の前の相手の和江は、客に感動すら与えたと言う。
これは、当世流行のアングラにもつながる。
その世界を求めてみたかった。
だが、その後、清治から、あるいは、北海の店主から、和江の事を聞かされれば聞かされるほどに、新しい目的が加わってくる。
和江の気持を推し量るという目的が。
特に、和江の自殺の理由。
フジコには、漠然とではあるが、その理由がわかるような気がする。
すごく納得できる理由があるに違いない事を感じる。
それは、でも、今は、明確に言葉に出来ない。理解の度合いが、言葉にできるまでには届いていない。届いていないと言うより、今のままでは届かないと言う苛立ちを、フジコは感じた。
もうちょっと、手を伸ばせばいいんだ。
嫌がる清治を説き伏せ、出会ったばかりの秀までも巻き込んだ自分の行動の根源は、もう少し手を伸ばし、和江の気持に触れたいからでもある。
でも、本当に?本当に、ただそれだけなのか。
フジコには、わからない。
そこに手が届けば、何かが明らかになりそうな気がする。
そのために清治に抱かれる。
清治に抱かれる事は何てこと無いが、多くの人の目の前で、と言うところに、不安があった。
そして、その先。その先には、何があるんだろう。
「当たって砕けろ。」
秀は寝息を立てている。
フジコは、煙草に火をつけて、小さく呟く。
川からの夜風が、まだ冷たい。


(続く)