2006年06月25日 17時14分51秒
|
天王寺
天王寺は、私の好きな大阪の筆頭である。
(←天王寺駅前の歩道橋から南方向)
|
|
2006年06月25日 17時14分44秒
|
もともと、大阪の都心、北も南も、海の底にあった。 唯一、上町台地と言われる、高津さん、生魂さんから愛染さん、一心寺や四天王寺さんへと続く夕陽丘地域が半島となって海に突き出しており、住吉神社がその根元で、大和朝廷達は住吉さんに海事を祈願して、中国大陸へと渡っていった。
(←天王寺駅前の歩道橋から東を見る)
|
|
2006年06月25日 17時14分39秒
|
夕陽丘の地名は、聖徳太子が四天王寺を建立した折、その近くの愛染さんのすぐ側まで海が迫っており、もちろん高台になっており、そこから見る夕日が非常に美しく気に入っていた事からつけられたと言う。
(←天王寺駅前)
|
|
2006年06月25日 17時14分34秒
|
夕陽丘から幾つもの坂が、今は陸地となった大阪南の繁華街に向かって作られている。 そこは、かつて織田作之助が愛した地域でもある。
(←天王寺駅前から新世界方向を見る)
|
|
2006年06月25日 17時14分28秒
|
四天王寺さんから西に進むと、大正時代、日本で最初に作られたテーマパーク新世界の跡地。今は、天王寺動物園があり、ジャンジャン横丁があり、通天閣があり、二度付けお断りの串カツ屋、ホルモン焼き屋が肩を並べている。
(←繁華街裏手の路地商店街)
|
|
2006年06月25日 17時14分22秒
|
天王寺には幾つもの顔がある。 若者が集まる繁華街の顔、昔ながらの寺社街の顔、閑静な住宅街としての顔、かつてのテーマパーク跡地としての卑属で雑然とした顔、西成地区という定職のない浮浪者達の集まるドヤ街の顔、飛田新地と言うかつての遊郭の顔、
(←路地から繁華街を見る。今日は四天王寺さん月に一度のお参りの日)
|
|
2006年06月25日 17時14分16秒
|
そこを南に下ると、阿倍野斎場の巨大な墓地、墓地の高台から見下ろすと東成区の頬刷りしたくなるような昔ながらの下町の一角の顔があり、さらに南下すると阿倍野清明で有名な阿倍野神社、さらに南下すると、大阪南部の高級住宅地 帝塚山がある。
(←四天王寺さん参道沿いの出店)
|
|
2006年06月25日 17時14分11秒
|
少し時間が出来た時に、私が歩く天王寺は幾つかあるが、最も好きなのは、天王寺駅前から商店街を抜け、高層マンションの一角を通り、さらに薄暗い商店街に入る。
(←電車道沿い)
|
|
2006年06月25日 17時14分04秒
|
この商店街は、西成と言う低所得者地区が近くにあるためか、人相風体が駅前繁華街の人達とは全然違う人の姿が多く、初めて訪れた人がここに来ると、絶対に通る事を躊躇するだろう。
(←若者の集まるショッピングゾーン)
|
|
2006年06月25日 17時13分56秒
|
その商店街の中ほどから南に折れると、いきなりかつての遊郭跡地である飛田新地に入り込む。
(←商店街中ほどの一杯飲み屋)
|
|
2006年06月25日 17時13分47秒
|
かつては、吉原のように大門があり、高い壁で他とは隔絶され、そこに働く女性は、かってに出入りを許されなかった、男だけの楽天地だった。
(←飛田新地への道筋)
|
|
2006年06月25日 17時13分35秒
|
今は大門など残っていないが、その一角には白い看板を掲げた家が二百戸近く立ち並び、玄関口を大きく開けて、道行く男に呼びかける。
(←飛田新地横の商店街)
|
|
2006年06月25日 17時13分21秒
|
中を覗くと、下からライトアップされた、綺麗に着飾った妙齢の女性が微笑んでおり、その横で初老の女が声かける。 「おにぃちゃん、あがっていって。安くしとくよ。」 「話しかけたげて、綺麗やろ、この子。」
(←朝の飛田新地の顔。もう開店している店もある)
|
|
2006年06月25日 17時13分09秒
|
男は、誘われるままに玄関口を入り、四十五分二万円何がしのお金を払って、階段を上がっていく。そこから先は、残念ながら、私は知らない。(二万円いただけたら、行って、その結果を報告してもいい。)
(←写真は禁物と聞いている)
|
|
2006年06月25日 17時12分59秒
|
この地域で写真を撮る事は、非常に勇気がいる。 下手に見つかると、カメラを取り上げられ、叩き壊される事もあると聞く。
(←たまたま誰もいなかったので、店内の写真を撮れた)
|
|
2006年06月25日 17時12分51秒
|
飛田新地の外れに、明治の娼妓楼の建物が唯一残る場所があり、その建物は、「鯛よせ百番」という宴会場となっている。
(←鯛よせ百番)
|
|
2006年06月25日 17時12分39秒
|
飛田新地を南に下ると、江戸末期に千日前から移設された阿倍野斎場がある。上町台地のほぼ南端にあたるのだが、阿倍野斎場から東成区にむかって、最後の台地となっている。
(←阿倍野斎場)
|
|
2006年06月25日 17時12分29秒
|
阿倍野斎場に立つと、眼下に東成区の甍の波が広がっている。子供達の遊ぶ声や、井戸端会議の声、夫婦喧嘩の声などが聞こえてきて、私にとっては、いつまでも佇んでいたい場所の一つである。
(←阿倍野斎場高台から東成を望む)
|
|
2006年06月25日 17時12分17秒
|
(←東成 高台下 ここには、生活の匂いがある)
|
|
2006年06月25日 17時12分07秒
|
(←阿倍野斎場の高台から 東成区、遠くに天下茶屋)
|
|
2006年06月25日 17時11分55秒
|
(←電車道へと至る高架下。 ここも昼間に通るには勇気がいる)
|
|
2006年06月25日 17時11分43秒
|
阿倍野斎場から、電車通りへと出ると、街は普通の顔に戻る。 電車道を天王寺駅に向かって歩く
(←高架下の横断歩道)
|
|
2006年06月25日 17時11分27秒
|
(←途中見つけたショーウインドウ なんか大阪っぽい)
|
|
2006年06月25日 17時11分16秒
|
(←堺、岸和田まで行ける路面電車)
|
|
2006年06月25日 17時11分04秒
|
途中、明治屋と言う居酒屋がある。全国居酒屋十選だかに入っている店だと言う。 私は、この店が大好きだ。特に雨の日にここで冷酒を呑むのがいい。
(←私の好きな明治屋)
|
|
2006年06月25日 17時10分51秒
|
路面電車の湿った音を聞きながら、クイッとやる。 ただし、この店は、ここを教えてくれた人間としか入らないと言う不文律が私の中にはあって、おいそれと暖簾をくぐる訳にはいかない。
|
|
2006年06月25日 17時07分37秒
|
以上が、do_pi_can流天王寺の案内。
これ以外にも、大阪には素晴らしい場所が幾つかある。 それをいつかご紹介できれば。
(←路面電車の始発駅)
|
|
|
|