「遠望」

御岳の向こうに未だ冠雪して眠るは
北アルプスの山々らしい
点在する千切れ雲に囲まれいて
春の前線の便りすらまだ届かない地

その地に住まうおばぁは、
縄結いながら 雪解けを待つ
日もささぬ 山の斜面の
今にも崩れそうな一軒家の
ポシャポシャと軒から垂れる水の音
燻った薪のはぜる音
だけが耳をくすぐる地

おばぁは、皺のよった無骨な手をゴシゴシと動かしながら
縄を編む
御岳の向こうにみえるは北アルプスの山々

おばぁの人生を吸い込んできた山々
未だ冠雪し
深海の山脈のように冷気に沈み、横たわり
体内に地下水を流す
そこには、
おばぁの青春も流れているに違いない

ジェット気流に揺れる機内から
おばぁのしょぼしょぼした目なざしが
勿論見える事はない
おばぁが漏らすかもしれない溜息も
目やにと見間違える涙さえ
ここからは見えないのだが
おばぁが確かに、そこに居る事は
離れていても分かるのだ
町から、細い川沿いの道を辿り、
小さな木橋を渡って、さらに
奥地へと分け入るあの道
こんなところに
どうやって人が住まうのかと
驚きの目で見つめたあの道だ
その行き止まる所

炭焼きの亭主をとうに無くし
帰ってくる子供も持たないおばぁの
人生がうずくまる所

おばぁが一人こぼした涙の数だけ
山の雪は降り積もり
おばぁが呟いた独り言の数だけ
雪が木々の枝を折る

御岳の向こうに未だ冠雪して眠る
北アルプスの山々を
離れて見れば見るほどに
おばぁの心が染み来る
点在する千切れ雲の
その下の
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