プチエッセイ 2016年2月8日

「霊性の震災学」から、正当なスピリチュアリティがポジティビティにつながる事を考察しています

東北学院大学災害社会学の金菱教授とそのゼミ生達が、東北震災の地を聞き歩き、まとめた結果が一冊の本になりました。
タイトルは「呼び覚まされる 霊性の震災学」。新曜社からの発刊です。
ページ数の割りに2376円と割高ですが、そこには人間の死と向かい合う高い意識が感じられ、決して無駄な出費とは思えません。

一番興味をひくのが、震災以後語り継がれる幽霊話です。
怖い?薄気味悪い?とんでもない、深い感動を覚えます。
人間の生命について、真摯に向き合える一番よい場所が、生と死が触れ合うギリギリの場所なのでしょう。

タクシードライバー達の口から、様々な幽霊話が語られます。
ドライバー達は、それを恐怖ではなく、畏敬の念すら持って語ります。
大きな災害の発生していない都市で語られる幽霊話は、ほとんど恐怖の念で語られますが、多くの人が亡くなった東北では、視点が違うようです。
そう言えば、古い話ですが大阪千日前百貨店の大火災の後も、その近くに店を開く屋台のラーメン屋が、火傷をおった女性の幽霊を見たと語っていましたが、「かわいそうで仕方が無かった」と感想を述べていた事を記憶しています。

ここでも人間存在は根本的には「善」であることを見て取れると思いませんか?
幽霊が実在するかどうかはここでは問題ではなく、あってもなくても、それは自己の投影である可能性が高いと言うことです。

やましい思いがあれば、相手は怨霊となります。
例えば、梅原猛先生の「隠された十字架」では、法隆寺建立の主たるメンバーには聖徳太子一族を根絶やしにした者達が名を連ねており、そこからは、法隆寺は聖徳太子の怨霊を恐れるが故に建立されたと考えられています。
これは、天満宮が菅原道真公の祟りを恐れるがあまりの鎮魂の社であるのと共通します。
鎮魂をしなかったばかりに都が何百年も祟られたとするのが長屋王の呪いです。
平将門の首塚は、その恐怖を治めるため、いまだ関東守護の要となっています。

逆に、哀れみ、慈しみ、寄り添う念があれば、相手は恐怖の対象ではなくなるようです。
これは、東北で幽霊を見たタクシーの運転手の語り口が恐怖ではなく、そっとしておいてあげたい対象として語られている事から類推できるかと思います。
幽霊を慈しむ事で、その存在を認めます。
そこで、認められた側の心理はわかりませんが、認めた側の心理としては、自分が死んだ後も、このように誰かが慈しんでくれるのだと、救いの念が生まれます。

自分以外の誰かを認め、その幸あらんことを願う心の向こうに、自分自身の幸への確信が生じる事がポジティビティの深部にあるとするならば、東北で語られる幽霊話は、まさに、その地が力強く立ち上がろうとしている証ではないかと思えるのです。

素敵な話をもう一つ。津波で流されて夫が行方不明となって何ヶ月かしたある日、玄関先に、震災の時に失ってしまった結婚指輪が置いてあったそうです。
それを見つけたご婦人は、亡くなった夫が見つけて、わざわざ届けてくれたのだと確信したそうです。
その方は、今後、夫の死としっかりと向き合い、夫の優しさを心のどこかに常に感じながら力強く生きていかれるのでしょう。
それは、決して不幸せな人生ではないだろうと想像します。
まさに、ポジティビティの具現化だと思いませんか?

ポジティビティとは、何もタフで、勇ましく、力強いばかりではありません。
人が悲しみの淵から立ち上がるとき、しなやかで、逞しいポジティビティ(打たれ強さ)が発露されるのだと思います。



    





プチエッセイ 2016年2月5日


「パワフル」と勘違いされやすい「ポジティブ」について考察します。「ポジティブ」の源泉は真の「自己愛≒他己愛」でしょう。

私はポジティブ心理学を足場の一つに置いています。
「ポジティブ」というと、やたらと前向きで積極的で、打たれ強いパーソナリティーが思い浮かべられます。
確かに、理想を言えば、「打たれ強く、回復力が高く、タフなメンタリティ」である事なのですが、そこから、昔の根性漫画の世界を思い浮かべる人も多いのでしょうか。
では、すぐにへこたれてネガティブになる人は、ポジティブ心理学から見ると駄目な人なのでしょうか?私はそうとは思いません。

というか、ポジティビティの定義そのものは、そんな単純なところには無いのです。
ポジティビティの見据える先は、ただ個人の力強さではなく、社会や人類全体の力強さです。
さらに言えば、互いを補完し合い、支え合い、より高みを目指すところにあります。そのベースがあるからこそ、例えば信じあえる社会や環境が生み出せるわけですし、そういう環境を背景にして、どんな人でも、例え悲惨な目にあってもトラウマとして苦しまず、はたまた、トラウマを乗り越えてより強くなるコアたる力を持つ事ができるのです。

という事は、ネガティブな考えを持っていても、ポジティビティには何ら問題がないわけですね。
ちょっと表現がおかしいですか?例えば、リンカーンは重度のうつ病だったと言われています。一時は自殺まで考えたとか。
なのに、新しいアメリカを切り開いたわけです。

ナチスのユダヤ人収容所を生き延び、「夜と霧」を発表した心理学者のフランクルは、過酷な環境を生き延びるには、誰かのために生きるんだというふうに、自分以外のために存在する自分を見出す事だとしています。

何も威勢の良い、前向きな発言や態度ばかりがポジティブではないという事です。
意見の食い違う状況があったとしても、双方がポジティブであれば、相手の意見を尊重しつつ、互いの重なり合うポイントを見つけ、そこから同意領域を拡大していくでしょう。
では片側がポジティブで、反対側は自分の意見に固執して折り合いを見せない時はどうしたらよいでしょうか。
相手の意見を無視することなく相手が自分への固執に気がつくまで同意するのではなく、鸚鵡返しし、相手に冷静に自分の考えを見つめる機会を与えます。
そして、相手がポジティブな状況になり、重なり合う領域を見つける姿勢を整えた後、しっかりと語り合うのが正解なのでしょう。

ポジティビティとは、相手を尊重するために、相手の時間をしっかりと確保してあげる事からも成立するという事でしょう。
その結果、ポジティブである事が、自分自身の達成感や自己効力感をベースにした多幸感へと導いてくれるのだと確信できるのだと思われます。
そこから「打たれ強い、回復力の高い、タフなメンタリティ」が生まれます。

という事は、ポジティブの源泉は高い真の自己愛(≒他己愛)ということなのでしょうね。
これは、ロバート・ウォールディンガーという心理学者が、75年間に渡って追跡調査を続けているハーバード成人発達研究の経過報告の中でも語っています。



    





プチエッセイ 2016年1月31日

今回は「落語」の中に見る庶民の強さの源泉についてです。綺麗事をおそれずに語りましょうという提案です。

昔々、テレビの無い時代、町のあちこちに寄席があって、人々は漫才や落語を楽しんだという事です。
東京では寄席がまだ数軒残っていますが、大阪は残念ながら天神さんの近くの繁昌亭だけです。

昨年末にまいりましたら、「芝浜(関西では「夢の革財布」)」「幸助餅」という素晴らしい人情噺を聴く事ができました。
落語の素晴らしさは、庶民の心の生き写しにあると思います。そこには欲もあれば徳もあり、笑いと涙があります。貧しい暮らしの中で、時には騙し合い、時には助け合った姿がしのばれます。
おそらく、その時代の庶民の暮らしをやや誇張しながらも、「そうだそうだ」「わかるわかる」という共感得られる噺が語り継がれているのでしょう。

私達がここから見習うべきところの一つは、「それはあまりに綺麗事だろ」と言いながらも、その「綺麗事」を自分達のものとして語り継ぐ姿勢ではないでしょうか。つまり、涙、笑い、人情、親切心、人と人との繋がりなどの「綺麗事」を否定してしまうと語り継ぐべきものを失います。

語り継ぐべきものを失うと、プライドまでも失いかねません。昔の庶民は落語に共感することで、貧しいながらもプライドを保ってその日を生きていたのではないでしょうか。組織の中にも、この「綺麗事」は存在しているはずです。
それが愛社精神を育むプライドにつながっている可能性はありませんか?そう言うプラス要素を探す努力を怠っていませんか?

組織の中でも、「綺麗事」を見つけ出し、ぜひ語り継いでいただきたいものです。



    





プチエッセイ 2016年1月28日

「幸福感」の基本、私たちの中にある「社会性」や「自己実現」について、価値の基準を何に求めるかを考察します。

私達は、生まれた時から既に「死」に向かって歩き始めます。
「死」は避けられない個々人の終着駅ですが、そこに至るまでの間、「幸福」である事を望みます。
「幸福」の概念は個々それぞれですが、基本的には「安全・安心」が基本にあります。「安全・安心」が守られてこそ、「社会性」や「自己実現」に意識を向ける事ができます。

また、私達は、集団でなければ自分の「安心・安全」を守れない種族でもあります。私達の脳は、約50万年前に、その容積を倍に増やしたとされていますが、その理由として、自分達を守るために社会性をより発達させた事があげられるようです。
社会性の基本の一つに言語能力があります。私達は、会話を通して、自分達の「安全・安心」感をさらに高めていったのでしょう。文明が発展し、現代に至ったのはそこからです。

という事は、「安心・安全」さらには「発展」の基本には「対話」があるという事です。
組織においても、互いの「発展」のために、つまりは組織の「競争力」の強化のために、「安心・安全」感を高めるための「対話」が必要であるということでしょう。

ところで「対話能力」は、脳の高次な領域を高いレベルで稼働させる事が要求されます。そのためには、できるだけ他の事に意識が向けられない、特に、「危険(リスク)」に対して働く脳の機能を抑制しておき、エネルギーがそちらにとられないようにしておかねばなりません。
「安心・安全」感を高める事によって、さらに「安心・安全」感が得られ、さらに「競争力」が強化されるというサイクルが考えられます。

組織、社会、世界、どのレベルにおいても、私達が適応能力を高め、さらに発展するためには、この「安全・安心」感をどのように確保するかが大事だという事でしょう。自分の事だけを考えていれば良いのではないようです。
「情けは他人(ひと)の為ならず」と言いますが、他者の事を考慮せず、自分の満足のみを追い求めていると、結果的にそのとばっちりが自分のところにかかってくるという意味と捉えても良いのでしょうか。

とすると、具体論で言うと、お金のみに執着し、お金という富を自分のところに集中させることは、よろしくない事なのでしょうか。共産主義の世界では、そういう事になるのでしょうが、人間の欲得の前ではそういう崇高な思想も捻じ曲げられ、独裁主義に堕する事は歴史が証明しています。

富をお金だけと捉えず、人々の中にあるそれぞれの価値観と捉え、お金もその一部として、自分の価値観の実現を目標におき、それを追い求める執着心、集中力、そこからの達成感などを個々人の中に植えつける事ができれば、もしかすると、失敗し、落ち込んでも、そこから這い上がり目標に向けて歩き始める、あるいは、他者を元気付け、共に歩みを進めていく共感力や強さと共に、幸福度というものの見直しと、その向上が可能になってくるのではないかと期待するのですが、いかがでしょうか。



    





プチエッセイ 2016年1月24日

1月22日 蔵王での高梨沙羅選手のジャンプは素晴らしいものでした。
何が素晴らしいといって、コンディションの悪さの中で集中力を維持し、高い成績を残したことです。

新聞記事から拾ってみると、気温は零下7度、風の強さがめまぐるしく変わり、視界も悪くなったり、良くなったり。試合前の試し飛びはなくなり、競技は何度も中断されました。高梨選手の出番は最終、競技開始から1時間50分が立ち、スタートゲートに入ってからも3度シグナルが赤になり、ゲートを離れました。また、斜面の改修でヒルサイズが100メートルから106メートルになっていました。

高梨選手は「頭の中でいいイメージを巡らせ、体を飛べる状態にしていた」と言います。
「やるべきことだけを考えて、後は何も考えなかった」高梨選手は、見事にヒルサイズを飛びました。
まさに、集中力とセルフコントロールによる勝利と言って良いのでしょう。

コンディションは、何も周囲の環境、つまり気温や風や視界だけではありません。
自分の心身のコンディションもあります。高梨選手は、外部のコンディションに動じることなく、精神のコンディションを保てていたのでしょうか?結果だけを見るとそうですが、想像するに、彼女の心は激しく揺れようとしていたのではないでしょうか。
高まる緊張感、トライアルのできなかった不安、なかなか飛べない焦り、前年度の大会での不振の思い出に気後れしそうになる瞬間もあったかも知れません。

それらを全て認め、呑み込んで、集中力を保っていたのではないでしょうか。
状況に影響を受けない強い精神力とは、状況を受け付けずに孤高を保つものではなく、状況に応じて柔軟に自分の心を見つめるところから発すると思われます。それが、マーティン・セリグマン博士のポジティブ心理学の根本ではないでしょうか。

昨年12月からはじまったストレスチェックで言えば、抑うつ感情や不安感が、即不健康で成果の見出せない人生、不幸な人生につながるものではないと言うことです。リンカーンやチャーチルは強い抑うつ感情を抱え、それに向き合いながら良い仕事をした代表選手です。
では、どうすれば、そのような事ができるのでしょう。それは、そのようにメンタルトレーニングをするところから始まります。
その方法論は、これでなければならないと言うものでありません。
いろいろ試行錯誤しつつ、もっとも自分にあったトレーニング方法を見出すのが正解です。そういったトレーニングは、スポーツ選手だけでなく、我々一般人にも必要なのですね。
そして、本当は子供時代から、少しずつトレーニングを積んでおくのが正解でしょう。

高梨選手は、「集中力を保てたのは大きな進歩、今後の自信につながる」と感想を述べています。そう、まさに、トレーニングし、その結果がフィードバックされ、そこに達成感を感じ、小さくても良いので成功体験を積むことで、自信が蓄積され、どのような状況、どのような自分であってもメンタルタフネスを維持できるようになるのです。

例えば、抑うつ感情の強い人は、慎重な人が多いと言います。そういう自分の強みを意識できるようになるのですね。



    





プチエッセイ 2016年1月23日


カレーのココイチが、廃棄食品横流しの件で、高い評価を得ているようです。
ダイコーが横流しをしていることを、たった一日でつきとめ、それ以外の食品の横流しの可能性も察知して、いち早く消費者にその事を通達した事によります。
廃棄食品横流しを見つけたのは、ココイチのフランチャイジーに勤務するパート従業員だったそうです。
スーパーで販売されているのを見つけ、即座にその写真をココイチ本部に送ったそうです。
本部は、それを無視せずに迅速に行動し、広報部はそれを受けて一時間以内に消費者に注意を促す情報を流す準備を始めたとか。
この連係プレーは、昨日や今日でできることではないのではないかと思われます。
昨年11月8日のプチエッセイに、もしかしたらココイチは素晴らしい経営理念の実践力を持っているかもしれない(ような内容の事)を書きましたが、その時はそこまで書いてしまっていいのだろうかと思いつつ書かせていただきましたが、どうやら私の直感は外れていなかったようです。
パート従業員にいたるまで、高い愛社精神(?)を醸成できる下地を持った会社なのではないかなと思います。
もう一度しつこく申しますと、経営判断というものは、おそらく時がたってみないと、それが正しかったかどうかはわからないのでしょう。
が、どういう判断であるにしろ倫理観に基づく判断であってほしいと社員全員が望み、経営層がそれにしっかりと応えきれてる判断こそが正しい判断であるとは、きれい事すぎるでしょうか。
企業にも、当然、倫理観、道徳心が求められる時代になってきているという事でしょう。
しかも、それは、レジリエンス(打たれ強さ、危機からの回復力の強さ)にしっかりと結びついているのです。
今回のココイチの一件は、まさにその事が実証されたとは、言いすぎでしょうか。



    


プチエッセイ 2016年1月22日


ダニエル・カーネマン博士の行動経済学のベースから宗教論に触れてみました。
といっても、残念ながら私は無神仏論者ですが。
昔々、私達人類が何度も繰り返される自然の営みに何らかの意思を設定し、そこに神の原形を見出したのだとします。
それが沢山の人の中で共有され始めた時に、吉本隆明先生言うところの「共同幻想」が発生します。
「共同幻想」は社会共通の観念の世界に仮想現実を作り上げます。
つまり、神が人々の共通理念の中で現実のものとなるのです。
さてここで、私達人類の「善」たるものに触れる事ができます。
全体の総意により作り出された理念の中の現実は、私達の理想とする倫理や道徳を体現したものとなっています。
原始宗教はどうであったかは別にして、少なくとも現代宗教において、基本は倫理であり、道徳であり、救いです。
私達人類は「悪」や「我欲」に存在の本質があるからこそ、その対極として「善」を見出すのだという考えもありますが、そうであったとしても、共通理念としての理想の姿を「善」においた事は大事な部分だと思います。
それが私達人類に共通した自然の姿、自然に進むべき方向なのでしょう。
とすると、企業活動そのものも、さらに進化する方向は、倫理や道徳や救いであるのかもしれません。
それを具体的に、どのように落とし込み、現実の企業活動と相反することなく、従業員の心の健康と満足度を高め、打たれ強さや危機からの回復力を育てていくかが大事なポイントだと思います。
ここに、創意工夫が求められるところでしょう。このところ、メンタルヘルス研修の中で、「ストレス対処能力の基本としてマズロー博士の欲求五段階説があり、安全安心から社会性への希求の中に倫理観や道徳観があり、それが成就して後、自己尊厳への希求や自己実現への希求、まさに「天命」へと至る道が開ける。
その道のりの中にこそ、真の打たれ強さや回復力が存在する」と横道にそれる事が多いのですが、これは、アーロン・アントノフスキー博士やマーティン・セリグマン博士が訴えておられる理論から大きく外れることは無いようですし、社会の中で起きる事件や事故の多くは、ここを理解していないがために発生することが多いような気がします。
あるサイトで子育てブログを連載させていただいておりますが、ゆくゆくは、子供にどのように社会性を与え、打たれ強い力を与えていくかに言及する予定です。
そこでも倫理観や道徳性に言及したいですし、吉田松陰先生の「至誠」にも言及したいものです。




    



プチエッセイ 2016年1月18日


経済が理論どおりに動かない最も大きな理由は、人間の思考は合理的ではないとするもので、「そんなの当たりまえじゃないか」と言う方が多いでしょうが、「じゃあ、どのように合理的でないのか」という問いに明確に答えられる方は非常に少ないでしょう。
“エコノミストは理論を知らず、経済学者は現実社会を知らない”とよく言われるとおり、双方、帯に短し襷に長しです。
まるで産業心理学やメンタルヘルスの世界と同じなのです。
経済の世界で言えば、そこにメスを入れたのが心理学者で、「人間は限定不合理である」としました。
その不合理の根本要因の一つがプロスペクト理論ですが、単純なわりには幅広い分野をカバーできる理論で、これを使って、先日の軽井沢でのバス事故を入り口に、この社会のこれからの方向性が見えてきます。
プロスペクト理論の根底にあるのは“人間を含む動物はすべてリスクを避ける”という、これまた当たり前のような話ですが、ポイントは、ある状況において「リスク回避」が「リスク追求」に変化するというものです。
それも意識的にではなく、無意識的にその方向に変化するというものです。
どういう状況かというと、二進も三進もいかなくなりそうな状況、高い確率で好ましくない状況が発生するという、そういう状況です。
そういう状況では、多くの人がリスク追求、つまり、好ましくないギャンブルを選択してしまうのだそうです。
たとえば、今の学生達はお金をあまり持っていない、それでもなんとか遊びにいきたいと思うと、多少の危険は覚悟で安いツアーを選択してしまいます。
ツアー側は、低価格化の中で経営の危機が常に身近にあり、事故発生率の上昇を無視して、無理やりなスケジュールを組みます。
運転手や管理者は、ただでさえ生活の危機にあるので、多少の無理も目をつぶってのみます。また、わずかのお金もけちって、自分の懐に残そうとし、危険な山道を選んだりします。
結果、高い確率で事故が発生します。これは、バス旅行だけの話ではありません。
度重なる社会不安、先の見通し不安、貧乏老人などというありがたくない未来像が蔓延したりすると、社会的にリスク追求し始めます。
北朝鮮の最近の信じられない動きなどは、その最たるものでしょう。
ここにイスラム国が影響を受けないはずはなく、また、我々も、思考の根底において、つまり、無意識に影響を受けます。
では、どうしたらいいのか。全世界で、いっせいに深呼吸をするタイミングをもち、しっかりと、何度も深呼吸をして、まずは落ち着きましょう。
そして、隣同士肩組み合って大笑いし、常に頭の片隅に陣取っている不安を一度追い出してしまうのが良いでしょう。
世界中がいっせいにやれば、何かが大きく変わるかもしれません。




    



プチエッセイ 2016年1月14日


「メンタルヘルスと組織の活性とが関連する」という話は、さいわいにも多くの方が聞いたことがあると答え、反対意見は聞かれなくなりました。
これは良いことだろうと思います。
が、マーティン・セリグマン博士の「ポジティブ心理学への挑戦」を読むと、わが国における認識は、まだまだレベルの低いものだという事が伺えます。
わが国の「メンタルヘルスと組織活性」をテーマにしている書籍等を読むと、医療的な立場から書かれたものが多いように思えます。
日本の医療は、疫学(予防医学)ではなく臨床医学が主体です。
心理学においても同じだと思われます。
マーティン・セリグマン博士の挑戦は、非常に実験的です。軍隊や学校などの場で、恐れずに、しかし用意周到に、実験的な実践を行い、その結果をデータとして残し、理論を積み上げつつ、実践的な手法に落とし込んでいきます。
そして、「メンタルヘルスと組織活性」の根拠として、意志力や集中力、共感力などの測定と育成をプログラム化していきます。
私は、某社で数年間かかわらせていただき、「これをやればこういう結果が得られる」という手応えを得て、その後のカウンセリングや企業研修などに応用し、さらに手応えを得ていますが、残念ながら、それを統計数値として記述し、残す挑戦を行えていません。
マーティ博士に、もし、その事を語る機会があったとしたら、あのバリトンのきいた落ち着いた物言いで、「やりたまえよ、おそれずに挑戦し続けること、それが大事だ」と言われるのだろうと思います。




    



プチエッセイ 2016年1月12日


ポジティブ心理学のドンと言われるドナルド・O・クリフトン博士に影響を受けて、「強み発見カード」というのを作ってみました。
ドン・クリフトン博士は、人間の「強み」を34に分類し、それぞれに注釈を加えています。
博士の著書を購入すれば、博士オリジナルの「強み発見」テストを受けることができます。
私は、それをもっと使いやすくしたく、モディファイしてカード型にしてしまいました。
分析の仕方も簡便化して、理想は大阪北新地のスナックの女の子達がお客さんであるサラリーマン達を勇気付けるために使える簡易コーチングツールです。
いろいろな人たちに試しましたが、結構使える事がわかりました。
先日、自分の子供たちに試し、結果を見直していて、つくづく子供たちに感謝。
親を超えて、親の期待以上の「強み」を自分たちの中に形成してくれています。
結果はきちんと残しておいて、今後、何かで躓いた時、悩んだ時に、勇気付ける材料にしたいと思いました。
この「強み発見カード」、私だけで楽しまずに世に出し、効果を確認してみたいものです。




    


プチエッセイ 2016年1月8日


アルベール・ミショット博士によると、私たち人間は、生まれた時から因果関係の影響を受けやすいとしています。
そして、ちょっとした事に対しても何らかの主体を設定し、そこに人格や意志を見出す傾向にあるのだそうです。
簡単な話でいえば、多くの人が、車や電車のフロントに顔の表情や性格らしきものを見出すパレイドリア現象といわれるものがそれでしょう。
昔々、今のようにビルもなく、つまらない事で思い悩んでもいなかった頃、朝、太陽が昇り、夕方、西に沈むということにも、人格を当てはめたのでしょう。
古代エジプトの太陽神信仰や、仏教の大日如来などがそれでしょうか。炎に人格をみとめたのがゾロアスター信仰なのかもしれません。
星の繋がりにすら意志を見出して、星座物語を作り上げました。考えてみれば、昔の人々の方が、感受性高く豊かな想像力を持っていたのでしょう。
日本の神話も、藤原不比等らによって古事記や日本書紀が編纂され、記紀神話に統合されてしまう以前、一万年以上続いたとされる縄文時代から各地に連綿と語り継がれた物語があったのではないかと思います。
本居宣長が夢想した古代日本人の強さの源である「清明心」は、そこにこそ見出されるのではないかと期待してしまいます。
その強さを現代に復興させたいものです。




    

   



プチエッセイ 2016年1月3日


ダニエル・カーネマン博士著の「ファースト アンド スロー」に激しく感銘を受けております。
なぜかと言うと、今まで何度となく「限界効用理論」を理解しようと努力して、一向にうまくいかなかったのですが、この本のおかげで理解ができたのです。
しかし、この本は「限界効用理論」がベースとしている「合理的経済人モデル」に意味がなく、我々人間は「限定不合理」であるとしているのです。
結果、限界効用逓減の法則から導き出されるあの曲線は現実的ではないということで、そこから考えて、やっと理解ができたというわけです。
ダニエル・カーネマン博士は、2002年に心理学者でありながらノーベル経済学賞を受賞しています。
共同研究者であったエイモス・トゥベルスキー博士は、その時既に他界しており、受賞権利を喪失していたということで、残念なことです。
ともかく、ダニエル・カーネマン博士のこの本は、多くの示唆を与えてくれます。
必ずどこかで研修などに取り入れてやろうと、再読しつつ、サブノート作成に散り掛かっています。
マーティン・セリグマン博士のポジティブ心理学の総まとめのような一般書も早く読みたく、また、古代の日本の姿や日本語の長所から日本の強さを紐解くために考古学や言語学あたりにも手を伸ばしたく、今年も貧乏暇なしの幕開けです。



    


プチエッセイ 2015年12月19日


なでしこジャパンの澤選手が引退を表明、彼女は、本当に多くの感動を我々に与えてくれました。
一番の感動はワールドカップでの劇的ゴールなのでしょうが、長いサッカー人生で、女子サッカーが日の目も見ずに趣味の延長程度にしか捉えられない時代から今までのたゆまぬ努力の姿からも、私達は多くの事を学ばねばならないのだろうと思います。
「至誠」とは吉田松陰が大事にした言葉ですが、澤選手の姿から、この「至誠」を学んでもよいのでしょう。
決して我欲だけに走らず、一途にボールを追いかける彼女の今までの姿は、まさに「至誠」そのものであるような気がします。
何が大事かは人それぞれですが、私は「至誠」を大事にする事を、あらためて澤選手から教えられた気がします。
己の「誠」とは何なのか。
自ら苦難の道に飛び込んでしまって、後悔ばかりの多い今日この頃ですが、私を支えてくれているのは己の「誠」であるはずです。
倦まず弛まず、己の「誠」を追い続ける覚悟を改めて思い出させてくれた澤選手に心から感謝をしたいと切に思います。



    



プチエッセイ 2015年12月12日


1890年、トルコのエルトゥールル号が串本沖で遭難し、500名以上が犠牲になりました。生存者69名は串本の村人達が自分達の事を後回しにして救助したそうです。トルコは、村に薬代金などを請求してくれと感謝の言葉と共に申し出ましたが、村は、命が大事だからやったまでで、お金のためではないと断ったそうです。それから100年余り後、イラン・イラク戦争でイラクを脱出できなくなった日本人200人近くを、トルコは自国民を後回しにして救助したそうです。色々な裏事情があるにしても、串本の人々が行った行為は私たちは胸をはって語りつぐ行為でしょうし、トルコがお返しに100年後にしてくれた事は、心から感謝することでしょう。第二次大戦中に6000人のユダヤ人の命を救った杉原千畝氏もしかり、百年後でも誰かが語り継ぎ、次世代の手本となるように、実際にはできなくとも、日々心して生きる事の大事さを、私たちは再度見直すべきなのだろうと思います。人が良いだけで、いつでも損ばかりしている「お人よし」は素敵です。



    


プチエッセイ 2015年11月29日


東京大学先端科学技術研究センターに福島智という准教授がおられます。この方は、小学校3年生で失明され、高校生の時に両耳が全く聞こえなくなり、完全にコミュニケーションを絶たれた状態となったのですが、お母さんが思いつかれた「指点字」のおかげでコミュニケーションを取り戻し、大学で学ばれました。
同じく子供の頃にコミュニケーションを絶たれた経験を持つ方で南アフリカのマーティン・ピストリウスという方がおられます。この方は12歳の時に感染症が原因で植物人間となり、10数年後に復帰できるまで全くの孤独の中で必死に耐えてこられたのです。
両名ともに、コミュニケーションが人間にとってどれほど大事かを強調されています。伝える、聴き取る、共感する、全て私たちが生きるための力なのですね。人類は、この力をもって、地球上の様々な変動に耐えてこられたのです、
一度それが絶たれた経験を持つ両名は、身をもってその大切さを知っておられるわけです。福島智准教授は「ぼくの命は言葉とともにある」というタイトルで、マーティン・ピストリウスは「ゴースト・ボーイ」というタイトルで、自身の経験を本にして出版されています。



    


プチエッセイ 2015年11月25日


先日、久々に某回転すし屋に行きました。三連休の最終日とあって家族連れが多く、40分待ちでした。が、全てのレーンが動いているわけではなく、来店者は込み入った入り口で長時間待たされていました。また、昔に比べて寿司のサイズが小さくなっており、ありがたみが半減、さらに、メニューにあっても取り扱っていない商品があり、さらにありがたみが半減しました。アルバイト店員の数も少ないようで、頼んだ飲み物もなかなか出てきません。「桐一葉落ちて天下の秋を知る」と言いますが、まさにその言葉の通りの事を感じました。そう言えば、某ファーストフード店の店員のモチベーションも、一時期、そんな感じでした。利益に走って人を大事にしにくい風潮が蔓延してしまうと、本当に会社が傾いた時に、周りから見ても社員やアルバイトの表情から、それが感じ取れてしまうのでしょうか。某電気メーカーも、上の言うことは絶対で、現場は反論できないと聞きました。例え会社が傾いても、社員が胸をはれる風土づくりが大事なんだろうと思いつつ秋の深まりを感じる今日この頃です。



    


プチエッセイ 2015年11月18日


このところ人材育成や組織活性系の研修を依頼いただく事が多いのですが、本日、久々にストレスコーピングの研修をさせていただきました。参加者の私の話へのノリが良かったので、ついつい調子にのって、ストレスの話から考古学の話にとび、人類学から生物学へ、さらに心理学から社会学へと展開して、簡単なエクササイズも交えて、ストレスコーピングが健康構築だけでなく組織活性につながり、倫理観の醸成から天命へと至るのだと、我ながら呆れるほどにスムーズに、参加者のうなずきを得つつ、参加者を巻き込みつつ論を展開できました。アンケートについても最高のフィードバックをいただき、随分と講師スキル進化の手応えをいただけました。どこかに必ず人生観を入れて議論を吹きかけたくなるのは年食った証拠でしょうか。日本古来の宗教観も交えて、梅原猛先生と議論したいと願う今日この頃であります。



    


プチエッセイ 2015年11月8日

タカタがホンダから取引停止を申し渡されてえらい事になっています。もともとタカタは彦根市の繊維織物会社からのスタートで、シートベルトでシェアを伸ばしてきました。社員数は全世界で5万人弱。社会に対する影響も大きいものがあります。ここは女帝といわれる方がいて、その方が会社の方向性を決めていたとニュースでやっていましたが、どこかの料亭の偽装問題でも聞いたことのあるような話です。
対して、カレーのココイチがハウス食品の傘下に入るとか。真意はわかりませんが、ココイチがさらにブランド力を高めるための選択かとも思われます。
どちらにしても、経営者の方々の判断能力が問われる話なのかなという気がします。何かにしがみつくか、発展のために正しい判断をしようとするか。
何が正しいのかは、結局、時がたってみないとわからないのでしょうが、どういう判断にしろ倫理観に基づく判断であってほしいと、社員全員が望み、経営層がそれに応える事が正しい判断であるとは、きれい事すぎるでしょうか。



    


プチエッセイ 2015年10月27日

先日「夢の扉+」に国際山岳医の大城和恵さんが取り上げられていました。私は、この方の存在を「夢の扉+」で初めて知ったのですが、すごい方だなぁとひたすら感心して見てました。
何がすごいと言って、そのプロ根性です。あの三浦雄一郎さんにすらも、専門家の立場からはっきりとものを言い、「命」を第一優先されていました。
もっと感動したのが、名も無い登山者のためにしっかり、具体的で実践できるアドバイスを行っておられるところ。
私の目指すも、人や組織に対して、能書きでも観念論でもない、地に足ついた実践的なアドバイスです。そのために聞き出す能力や分析する能力、全体を総合してソリューションを見つけ出す能力をもっと構築せねばならないと感じたしだい。もっと学び、実践を積まねば!!



    


プチエッセイ 2015年10月16日

厚生労働省室長補佐の某氏の逮捕のニュースが流れていますが、その中で「某氏は異能の人であった」という評価の言葉を聞いて情けなくなったのは私だけではないでしょう。この国の哲学や倫理感はこの程度なんだと本当に悲しくなりました。異能の人とは、今年ノーベル賞受賞された大村博士のような方を言うのだと思いますが、いかがでしょう。某氏は異常の方でしかないと思います。異能と異常の見分け方は、倫理感です。異常は、とんがれば隠せます。倫理感はとんがっても隠せません。隠しようのない倫理感を持つ人こそが異能の人です。仕事さえできれば優秀な人と評価してしまう私たちの倫理感をこそ、根底から変えていかねばならないでしょう。企業の中にもまだまだ多くおられますよ、自他共に異能の人と勘違いしている人たち。経営層にも多いのではないでしょうか。いかがでしょうか。



    


プチエッセイ 2015年10月5日

10月5日発行の「東洋経済オンライン」に岐阜の未来工業株式会社の記事が記載されています。未来工業は社員を大事にする会社として以前から有名です。残業ゼロなのに業績を上げている会社でもあります。さらに、全員正社員で、平均年収600万以上だとか。ご興味ある方は、下記URLへ。社員を大事にする会社として私が知っている会社に東京都立川市にある株式会社アドックインターナショナルという会社もあります。ここは社員数200名強のIT会社ですが、社員の心身の健康維持のために惜しみなく投資している会社です。その実績もしっかりと積み上げています。
ストレスチェックが制度化されましたが、義務的に実施するのではなく、その結果を踏まえて会社がさらに発展するために「人財投資」として、何をするのかまでをもしっかりと見極めるために実施していただきたいものです。これから、ますます少子高齢化社会が進みます。労働人口は減少し、生産効率も低下するでしょう。そんな社会でも、持続的に発展していけるのだと世界にモデルとなるような、そんな社会が来ることが望ましいですね。
東洋経済オンラインの未来工業に関する記事
http://toyokeizai.net/articles/-/86476
アドックインターナショナルのホームページ
http://www.adoc.co.jp/blog/e000063.html



    


プチエッセイ 2015年9月29日

近年、脳神経科学の世界がどんどん進化し、どんどん面白くなっていきます。カウンセリング現場でも役に立つことこの上なく、勝手に材料に使わせていただいています。もちろん、深い専門知識ではなく、クライアントの方に少し視点を変えていただくのに役に立つ浅い部分での話です。もともと大脳生理学に憧れて、頭がついていかずに少しでも近いところにいたいと思い心理学を学んだ私にとっては、これはこれで達成感があります。最近のマイブームは、ウォルター・ミッシェル博士の本から取り入れた「ホットシステム」と「クールシステム」。クライアントにもよりますが、感情の起伏の激しい方で、少し好奇心の強い方だと、比較的うまく乗っかっていただけます。ありがたい話です。


    


プチエッセイ 2015年9月19日

安保法案が可決した。ついでに公認心理師制度も可決したそうで、それはそれで良いのだが、ストレスチェック制度の動きを見ていてもそうだが、どうにもあらゆる方面に人間の我欲が見えるような気がする。冷静な対話がなされて、今後もより良い制度に向けての対話が進められるのだろうか。もしくは、より良い制度の導入と運用が進められるのだろうか。偏見を持たずに見守って行きたいところではある。
ストレスチェック制度に関していえば、個人の健康をまもるのは第一義だろうが、組織の動きを見守るところに言及されるケースが少ないように思える。組織論からの切り込み、分析、組織のダイナミズムをどのように変化させていくのか、そのために得られた指標をどのように読み解いていくのか、そう言った事が無視されて、というか理解もされずに、中には、「あの程度のチェックでは、組織については何もわかりませんよ」という人もいる。あの程度で組織が見えなければ、何をしても組織の実態は見えてこないだろうと、私は言いたい。


    


プチエッセイ 2015年9月12日

ウォルター・ミシェル博士の「マシュマロ・テスト」の本が日本でも出版された。実験は、1960年代から行われた。だから、1900年代に発刊されたものの重版かと思っていたら、アメリカでも2014年、和訳出版が2015年5月だ。あれだけ有名な実験なので、もうとっくに様々な本が出ているものと思っていた。「マシュマロ・テスト」は、非常に興味深い実験で、その結果も、ちょっとセンセーショナルな感じもして、耳目を集める内容だが、ウォルター・ミシェル博士は、結果だけを捉えて安易に物事を語らないでくれと、おっしゃっているような気がする。なんせ人間は、それなりに奥が深い生き物で、ややこしく社会を形成しているから。


    


プチエッセイ 2015年9月8日


少し古いが、4月15日の会社四季報オンラインに「業績欄でわかる「人をコスト」と見る会社、「財産」と見る会社」という記事があった。「人材」を「人財」と書く会社もあるが、まだまだ「人件費=コスト」と考える企業は多いのだろう。先日、人材活性策でメンター制度を見事に軌道にのせている企業の方と話をしていて、「我社のように、人を大事にするという方向に強いリーダーシップを発揮できる企業の経営層は少ないでしょう」とおっしゃられて、反論できなかった。あっちこっちで、「人を大事にできる、良い施策ですよ」と紹介しても、本気で検討できる企業がほとんどない。「まずは、やってみなはれ」の強い決断力が、「人」を活かしも殺しもするのだろうと思うのだが。。。


   



プチエッセイ 2015年9月3日

昔々、「企業の社会的責任は税金を払うことであって、税金さえ払っておればそれで良いのだ」という信念(?)で仕事をしている社長さんの会社とお付き合いした事があります。その言葉通り、まったく社員を大事にしない会社でした。今でも存在しているようで、規模も変わっていないようですから、それだけを見ると、人を大事にするかどうかが、企業存続の要ではないようです。が、その会社で、どれだけの人間が育っているのでしょう?非常に疑問です。若者は、その会社をとりあえずの社会進出の足がかりにして、次に羽ばたいていくようです。しかし、多くは、学んで成長することもできずに、そのまま非正規雇用の道に進んでいると聞きます。そういう会社の存続が許されているのも、社会構造の問題なのだろうなと思います。


    


プチエッセイ 2015年8月29日

50名以上の事業場でメンタルチェックが義務化されて、メンタルの世界もなんだか騒がしい。例えていうならば、天神さんと大阪マラソンと淀川の花火大会が同時開催されて、いろんな屋台や夜店が全国から集まった感がある。
たしかに、今までしょぼい市場で我慢してきたEAP企業にとってはチャンスかもしれないが、良く気をつけないと、怪しげなのがいくつもあって、来年から中止なんて事にはならんだろうな。
例えば、金魚すくいを無料でやらせる代わりに家族構成みんな教えろとか、金魚一匹すくったら1000円で買い取れとか、そんな夜店も出てきそうな気配がする。
なんせ、統計といえば平均値しか知らなさそうな感じのところもあり、これでは組織分析はできまへんなぁ。組織の動きは無視して、数字だけで語るところも出てくるんだろう。
数字扱うのは、手間がかかる、出てきた数字を読むのは、もっと手間がかかる。
その事を理解しとかんといかんね。


   


プチエッセイ 2015年8月26日


本日、大阪市内某所にて、「笑い」をテーマに講演、2日目。初日は、笑いを取らねばならないというプレッシャーでややぎこちなかったが、良く考えれば、「笑い」がテーマとはいえ、メタルヘルスの講演なので、始終笑わせる必要はないのだ。
で、本日は、肩の力も抜け、参加者もどんどん入ってきていただけて、かえって「笑い」のパワーの大きさを感じられた。
大阪は「笑い」の街。
最後は、全員大爆笑で終われました。
めでたし、めでたし。
「笑い」は、やっぱり、よろしいなぁ。
質問コーナーでは、「笑い」の本を出していないのかと質問されて、書く気満々になりましたとさ。