「この場所に part2

 

 

 

あの方と初めてお会いしたのは,

確か,昭和7年の天神様のお祭りの時

お父様の会社の方のお知り合いとかで,

あの方から声をかけてこられた

 

 

怒りながら

呟きながら歩くこのババを,

気味悪げに避ける奴らの

視線

視線

視線

 

 

音て,痛いもんやったんや

 

 

あなたとの時間が

僕にとって,どんなに大切だったか

それは,今になってわかる

 

 

あの方は,その後,何度か我が家にいらっしゃった。

大学の助教授で,将来を嘱望されている方とか,

でも,そんなお偉いところなど,お首にもお出しにならない,

背の高い,細身の,優しい方でした。

 

 

このようなボロを着たババが

わけのわからぬ事を言いながら

歩いていたのでは,

そりゃ,気味悪かろう

 

 

いきなり,大きな音がして,体中が,ビンビン痛んでん

 

 

あなたの笑顔

かけがえの無い笑顔

純粋な笑顔

僕は,あなたのその笑顔に引き込まれたのだ

終生独身を誓ったこの僕が

 

 

お父様が,会社の経営のために,あの方に

いろいろとご指導していただいてらしたって,

後になってわかりました。

あの方が,私より20も年上だって事も

 

 

やめない。

呟くのをやめない。

絶対にやめない。

この怒りをこの胸から吐き出しきるまでは,

死んでもやめない。

この街のいたるところで,

吐き出してやる

怒りを

 

 

気がついたら,まわりが夕焼けより真っ赤やった

 

 

あれから

どれくらいの年月が立ったろう

今でも,あなたは,あの日のままで,

あの愛らしい笑顔のままで,

僕の心の中にいる

目を閉じると,

閉じる目があればだが,

あなたの笑顔が浮かんでくるはずだ

 

 

あの方のお年がわかったときには,

もう遅かった。

もう,その時には,わたしは,

あの方が好きで好きでたまらなくなっていた。

お母様がとめるのも聞かずに,

お弁当を持って,あの方の研究室に通ったものだわ。

 

 

この街を離れる事もできない。

この街で,幸せだった。

この街で,不幸だった。

この街は,このババを裏切り,

放り出し,

こんなにした。

 

 

それから,また,さっきより近い所で,もっと大きな音がしてん

 

 

僕を捜し求めるあなたの声が聞こえるようだ

あなたをもう一度,抱きしめる事ができたら。

この手で,

この手

この

 

 

まわりの反対を押し切って,一緒になった。

お父様は,特に,あの方は身体に欠陥があって,

丙種だからと反対され,

あの方の代わりにと,

何人かのお見合い写真を持ってらしたけど,

どの方も,あの方ほどの魅力が無くて

 

 

一緒に探してやろうって騙して,

あたしを手込めにした男もいた

不幸なあたしを,

このあたしの肉体を食い物にして,

さらに不幸のどん底にまで

落とし込んでくれた男もいた

その後,何人もの男が,

あたしの上を通り過ぎていったよ,この街で。

お金のために,あたしは,足を開いたのさ,

いろいろな男に

 

 

母さーん,父さーんて,叫んだ

 

 

僕などいなくても,

きっと,あなたは幸せになっていることだろう

それを思うと,くやしい,やるせない

でも,僕の望みは,

あなたの幸せ,それだけだ。

あなたが幸せであること。

 

 

長男も生まれ,すくすく育ち,

お父様の会社も順調で,

本当に幸せだった,でも,

あの日は,突然やってきた

あの日,

 

 

あの日以来,

このババの中に激しく嵐が吹き荒れている

あの日以来,

このババの中には何も無い

ただ,金と寂しさをうずめる為に男達に用意された

肉体だけ

その肉体も,こう年老いちまってはね

 

 

声にならへんかった,母さーんって

 

 

あの日をさかいに,

僕は,すべてを見失った

あの日をさかいに,

僕は,あなたの思い出だけで生きている

いや,思い出の中にしか

住めないのだ

 

 

あの日,

大学がお休みだったあの方は,

勤労動員で工場に出ていた長男にお弁当を届けると

出て行きました

 

 

あの日,

あたしは,気が狂うと思った

あの日,

でも,狂えなかった

狂いたかった

狂えれば,どんなに楽だったろう

今は,死ぬ事すらできないでいる

 

 

あの日,鉄骨が,頭の上に落ちてきた,火の粉と一緒に

 

 

あの日以来,

僕は,あなたを抱きしめられない

あなたを抱きしめる手が無い

あなたの髪を愛撫する唇がない

あなたの名を呼ぶ舌が無い

 

 

父と子は,会えたのでしょうか

それだけが気がかりです

空から,沢山の鉄の塊が

落ちてくる中で,

別々になったままだったら,

二人が,あまりに不憫で

 

 

あたしは,狂った振りをしている

狂った振りをして,怒りをぶちまけている

怒りをぶちまけながら,

歩いている

記憶をたどりながら,

無くした物を探しながら

 

 

もう,痛うは無かったけど,声も出えへん

 

 

あの子は,無事,あなたの元へ

帰れただろうか,

結局,会う事はできなかったのだが

あなたと,幸せに暮らしているだろうか

あなたを,ちゃんと,守ってくれているだろうか

 

 

あの方も,長男も,結局,行方不明者のまま

跡形も無く粉砕された工場や駅に立って,

あの方と長男の名を呼んだ

何度も,何度も,

来る日も,来る日も,

 

 

なんだい,あんた,何をじろじろ見てるんだい

このババの体が欲しいのかい

欲しけりゃやるよ,

ほれ,この体だろ

 

 

父さんと母さんの笑ってる姿が見えた

 

 

僕は,どこをさまよっているのだろう

いきなり放り出された,この暗闇

出口さえ見つかれば,

もう一度,あなたを抱きしめる事ができるのだろうに

 

 

そうして,わたしは,わたしを閉ざした

お父様は会社が倒産し,自殺に追い込まれ,

お母様も後を追うように失意の内に無くなられた

憎しみが,わたしの家を吹き抜け,

蹂躙した

わたしは,心を閉ざした

もう,これ以上,辛くないように

 

 

何するんだい

どこに連れて行こうっていうんだい

え,このババを,

ボロをまとった,無一文のババを

何処へ連れて行くきだい

止めておくれ

あたしは,この場所から離れたくないんだよ

あの方がいる場所,

あの子がいる場所,

唯一,記憶して置ける場所

 

 

もう叫ぶ事もでけへん,父さーん,母さーんって

 

 

あなたの声が聞こえる

はっきりと聞こえる

だが,ああ,僕は,まるで,この場所の

土くれに過ぎないようだ

 

 

心を閉ざしたまま生きていく

あの方と,あの子の事だけを思いながら

それが,二人の生きた証し

そして,いつか戻って来る時の

道しるべになるでしょう

二人のために,わたしは生きていく

二人のためだけに

 

 

「先日,中ノ島で見つかった水死体は,京橋駅周辺を住居としていた

浮浪者の女性(70)のものとわかりました。

遺体には,暴行を加えられた後があり,警察では....」

 

 

 

かぁさーん...

 

 

 

 

 

「京橋空襲」

 

1945814日,太平洋戦争終戦前日,米軍による最後の大阪大空襲があった。

空襲は、現在の大阪城公園一帯に広がっていた東洋一の兵器工場

「大阪陸軍造兵廠(しょう)」を狙ったもので、百四十五機のB29爆撃機が投下した

爆弾約七百トンのうち、数発の一トン爆弾が京橋駅に落下。

大勢の乗客が非難していた片町線ホームを直撃し、

推定で五百人以上の人々が犠牲となったが、その実数はいまだ確認されていない。

(大阪日日新聞より)