個人や組織、社会の
レジリエンス
(打たれ強さ、回復力)
メンタルタフネス
を求めて

「健康な状態」とは「病気じゃない状態」のみをさすのではありません。より活性した状態を言います。メンタルヘルスからメンタルタフネスへ、組織活性へ、つまり、個人と組織の健康への意識付けこそが持続的な成長力と危機からの回復力(レジリエンス)をもたらす基本とし、研修、カウンセリング、著述、コーチング等を通して、より具体的な施策を提案させていただきます。


プチエッセイ更新中   ↓


プチエッセイ 2016年3月23日

企業から地域社会への展開が、この国をより強くするという事について

このところ、新たな研修依頼が増え、なかなかプチエッセイを更新するタイミングが見つかりませんでした。ありがたい事ではありますが、物を書き散らしながら考えをまとめていくタイプですので、書く機会を見つけていかないと、時間を作りながら知識を集積している「和」のあり方、「和」から始まるこの国の強さについて、なかなか体系化していく事ができません。研修の中ではかいつまんでご紹介させていただいておりますが、そこは本来、もっとしっかりと中身を構築し、実践的な方法論にまで落とし込んで、具体的にお伝えするのが本筋だと思っています。しかし、学べば学ぶほどに、日本から世界に発信していけるマインドの部分がたくさんあるように感じられます。今のところ、メンタルという世界で言えば、大半が海外からの輸入品です。現場で動いていて、どうも日本の実情と合わないなぁと感じる部分があっても、例えば、企業研修の場でそれを感じていても、それが何故なのか、どうしたら日本という国で生まれ育った私たちの感性にしっかりと添った方法論にまでまとめ上げることができるのかと言うところにまでたどり着けません。それは、研修を受けていただく企業側のニーズが、まだそこまで到達していないから(おそらく、そういう疑問を持つところまで知識や経験をお持ちでないから)という事と、研修内容を構築し、実施させていただく側が、まだその解の部分にまで到達できていないからでしょう。悲しいかな、天下国家、人間の生き方、より健康な物事の考え方などを伝えていきたいと望んでも、飯を食えねば何もならず、この国では托鉢をしても一膳の食事にもありつけない以上、理想ははるか先に置いておいて、目先を努力し、工夫していかねばなりません。ようやく、企業組織の中で、日本の「和」の感性を基本として倫理観や道徳観を、さらに醸成させる考え方にはたどり着け、その実践が、周囲の人々にとってのみならず、いかに自分自身の健康を形作るのに役立つかなどを、研修の中に機会を見つけ、かいつまんでお話させていただいております。目標は、それをしっかりと企業組織の中に根付かせ、組織内で日本の昔の社会にあったようなコミュニティーを作り上げ、相互支援で、せめて組織人である間は幸福感や健康感を高めて仕事の成果に結び付けていただく事です。そうして、より良い組織人のあり方を経験した方々が退職して地域に溶け込まれたときに、地域を活性させる逸材として活躍されるでしょうし、お金だけではない、マインドを兼ね備えた地域人の増加が、高齢化社会でありながら高い成熟度を保った理想的な社会に近づけると思うのです。今、海外に発信している日本文化や工業製品の数々はもちろん素晴らしいですが、さらに、日本社会が本来持っている素晴らしい社会の構築の仕方、考え方を輸出することで、世界に大きな影響を与えられれば良いですね。この国は、それだけの文化基盤、歴史基盤と実行力を持っているのは事実でしょう。かかわらせていただいた企業や地域での結果を見させていただくと、まさにそれを実感します。最初のきっかけさえ掴んでいただければ、組織も地域も、どんどん自己実現に向けて動くのですから。そういうきっけ作りのできる人たちとの連携とスキルアップもおこなっていきたいところです。焦らず前に進むのみですね。



    

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プチエッセイ 2016年3月7日

企業が社会のレジリエンス強化のために担える一役とは(2)

温故知新と言いますが、私たちは、あまりにも自分の国の歴史を知らなさ過ぎるような気がします。特に思想面などの歴史の背景です。知識は、そこかしこに転がっています。歴史ブームで、テレビをつければ、必ずと言っていいほど歴史上のエピソードが披露されています。しかし、そこに潜む先人の知恵や思想面に、どれだけ肉薄できているでしょうか。器作って中身作らずで、どれほどよい器を作り上げても、そこに盛られる料理がなければ、器の本来の機能は果たせません。私たちの歴史や地理への取り組みをはじめ、人間理解の基本となる生物学、心理学、脳神経科学などへの取り組みは、まさに器作って中身作らずのような気がします。確かに、器を作るにも習熟した技術が必要です。が、中身を作り上げるのにも、同じくらいかそれ以上の習熟するための時間が必要なのです。その時間とは、そこから何を読み取るか、どのように自分の人生観を組み上げていくか、どのように社会貢献していくかに費やす時間です。私たちの社会は、義務教育というレベルで、知識偏重となり、教師にしても、知識以上の人間存在に抵触するほどの哲学や経験を熱く語り伝える事のできる教師が激減しています。そのために、人間存在の課題を置き忘れたまま、学歴だけを積み上げ社会に出る人が増加の一途をたどっています。そういう人の多くは、社会の中で仕事をこなすうちに、知識という器に中身を盛り込む作業を忘れ、自分たちの生きている意味、天命を探ろうともせずに、日々をこなす自動人形となります。それで何もなく一生を全うできれば良し。そうでなく、途中で挫折を味わったりすると、そこから立ち上がる支柱を持っていないために復帰の道が見出せず、挫折のままの状態で怒りを蓄えて、自分自身を殺すか、他人を傷つけるかに走ります。そして、運よく最後まで人生を全うできるぞと安心していた人々や、その親族を不幸のどん底に叩き込みます。ここに対して、私たちは何もなす術を持たないのでしょうか。実は、同じようなテーマは、はるか古代からあったようです。たとえば、「和をもって貴し」としたのは聖徳太子です。「和」は「わ」とも読みますが、日本書紀では「やわらか」と読ませています。「和(やわらか)なるを以って貴しとする」です。聖徳太子は憲法十七条で、次のように語っています。『人は百人百様の思いを持って生きており、さらには高い人智に達した人は少ない。よって、あっちこっちで争い事が起きている。しかし、上(国の中心部)が「和(やわ)ら」ぎ(和を重んじ)、下(庶民皆)が「睦(むつ)び」(互いに認め合い)て、事を「論(あげつら)う」(しっかりと認め合い話し合う)事ができ、その態度が方々に拡散されはじめれば、物事はおのずからよい方向へと向かうのだ。』これは、聖徳太子以前から言われていた真実であり、それ以後も、また現代社会にあっても、多くの賢人達が述べ、実行しています。ボブ・スティルガーが方々で広めているワールド・カフェと言うディスカッション形態は、まさにそれです。マーティン・セリグマン博士たちが進めているポジティブプログラムにも用意されている内容です。社内の組織改革などでよく使われるディスカッションの方法にKJ法がありますが、KJ法はKJ法で良いと思うのですが、ワールド・カフェというディスカッション方法を企業はもっと取り入れるべきではないかと思うのです。これが、もともとこの国が標榜していたこの国の形に近いものがあります。KJ法に比べて時間もかかるし、ファシリテーターもいるし、漫然とやっていたのでは、せっかく時間をかけても、具体的な成果が得られない可能性もあり、取り入れる理由が見つからないと言うのが、多くの企業側の意見ではないかと思います。それは、そのディスカッションへの参加者が、人生のどの時点においても、そういう話し合いの仕方に習熟する機会を得ることがないままに来てしまい、相手の発言の中から新しい自分の考えを引き出していく作業に慣れていないからです。つまり、トレーニングが足りていない。だから、本当に効果があるかどうかが不安なのですね。今回のテーマである、せっかく作り上げた器に中味を盛り付けていく作業は、実は、何も難しい哲学書を読む必要はなく、ワールドカフェのようなディスカッションを繰り返すことで、自分の言葉や相手の言葉から新しい考え方を見出し、学び、自分の考えの層を厚くしていける、つまり、中味をどんどん盛り付けていけるのです。自己制御能力や回復力の強化は、何もバーベルを使い汗して鍛えるものではなく、かようにしてじっくりと時間をかけつつ行うものです。それでこそ、自己制御能力の高さが醸成される可能性が高いのです。この環境を整えるのは、昔々は村の青年団や長老、僧侶などだったのでしょうが、現代社会にあっては、その代行が可能なのは企業しかないのは確かなことでしょう。自社の従業員の育成も大事ですが、社会的な人財の育成を図り、さらに発展的な社会形成に力をかすのも、企業の責務の一つであると、認識される時代が、もう間もなくやってくるでしょう。そういう時代に向けて、いち早く準備をしておいていただきたいものです。



    

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プチエッセイ 2016年3月1日

企業が社会のレジリエンス強化のために担える一役とは(1)

このところ高齢者にまつわる社会的な事件が増えています。先の長野のバス事故の運転手は65歳でした。現代においては、65歳は高齢者というにはまだ若いという感覚でしょうが、40年前を考えてみてください。40年前だと、定年退職してもう10年も経過しているところです。子供たちは自立し、年金でそれなりの生活が出来ていて、早い方ならそろそろ終活に入ろうかという年代です。それが現代では、70歳を超えていても、注意力や集中力を要求される現場で仕事をしなければならないケースが散見されます。人によることではありますが、高齢になればなるほど注意力や集中力は低下する傾向にあります。また、その方の生活環境によっても、注意力や集中力は影響を受けます。高齢者でなくとも、不安やイライラ、鬱屈した気分などを長期的に抱え込み、また、それをコントロールする術を失ってしまったりしていると、確実に注意力や集中力は欠如します。その結果、アクセルとブレーキを踏み間違えて店舗に車ごと突込み多額の損害賠償金を抱え込む、一時的に感情が激して追突事故を起こす、さらに運が悪いと、何人もの人を殺傷する大事故へと発展してしまいます。それまで平穏な人生であったとしても、残りの人生は加害者として、被害者や被害者遺族の恨みを一身に背負い、賠償金の支払いに追われる事となるのです。もしくは、残りの人生を刑務所の中で過ごすことになってしまう可能性も否めません。被害者側の被害者本人、被害者家族、遺族の方々についても、それまでの平穏な日々を打ち砕かれ、不自由な生活を余儀なくされたり、不要な恨みを抱いて人生を歩んでいかねばなりません。高齢者といえば、本来は、それまでの人生経験などを活かして、その知識や知恵、人間性を期待される村の世話役などで、ささやかではあっても大事な社会的任務を果たすべきところでしょう。それが現代社会は違う方向にどんどん動いていっています。しかし、若年者がするような注意力や集中力、体力を要求される仕事を現代の高齢者がせざるを得ないのは、時代背景や経済環境などの影響として、仕方がないことではあります。特に、年金制度の破綻を誰もが認識し、そこに老後の自分の生活を預けるわけにはいかないとなると、遮二無二自分の時間を労働に当てざるを得ません。それが、一億総活躍社会が思い描くような、個々人が活気とやる気にあふれ、その能力を遺憾なく発揮できるような、前向きな仕事ならば良いのですが、低賃金労働者として本当はやりたくもない労働、特に、体力を要求されるような肉体労働に駆り出され、人生の残された時間をヘトヘトになりながら使い切る、そんな状況が、そこかしこで生まれてきています。そして、それが原因の事故の増加、加害者と被害者の増加です。それ以外にも、老々介護の結果、老人が伴侶を殺害する、無理心中をはかる、そんな事件も増加しています。うまく介護施設に入れても、その中で肉体的な苛めの被害に会う、転落死させられる事件も起こっています。現代社会においては、まともに人生を終えるのにも、運の良さと、そこに至るまでの覚悟と必死の努力が必要だという事なのでしょうか。まずは、高い学歴を持ち、絶対に非正規雇用にはならない。サラリーマン時代にひたすら知識と技能を積み上げ、食うに困らない資格取得に邁進しなければならない。同時に出世めざして歯を食いしばり、人生計画を綿密に行い、老後に必要な資金を早々と蓄積し始めなければならない。しかしこれでは、運悪く非正規雇用社員で社会人生活をスタートせざるを得なかった人は、最後の最後まで苦労の連続が待っていることとなってしまいます。特に、両親が既に非正規雇用で家庭が貧しいと、学歴も積み上げられず、当然、社会進出にハンディーを背負います。さらには、満足に財産も残せていない老いた両親の面倒を、貧しい子供が見なければならなくなります。貧しい家庭の80歳を超えた両親を同じく貧しい60歳前後の子供が介護する事も起こり得るわけです。これではストレスをためこんで、自分以外の社会全体の責任に転化し、とにかく身近の人間、自分の周辺の幸せに振舞っている他人を被害者に巻き込みたくなるのは当たり前といえば当たり前の事となってしまいます。このように、現代社会は、比較的人生の早い時点で人生の様々な苦しみが予見できてしまうのです。本来は、そこから派生する社会全体にかかわる不安についてもです。多くの人は、そこを見ようとしていないですが、ドライな社会学者ならば、これから先の日本が歩むであろう、あるいは、日本に住む何割かの人々が歩むであろう悲惨なシナリオのいくつかは簡単に描き出せると思います。それならば、共産主義が理想とするような、とにもかくにも平等な社会が良いのかというと、それは単に理想に過ぎない事は、歴史が証明しています。しかし、今のままでは、さらに格差が拡大し、人生の最初から運の悪い人は不幸に、生まれた時に運の良い人だけが、幸福になる可能性が残されていて、その人たちも万一転落すれば不幸な人生の終わりを迎えることとなってしまします。ここに何の打つ手も無いのでしょうか。可能性の一つとしてですが、近年の行動経済学やポジティブ心理学の分野では、人間の心理面からの解決策が提示されようとしています。心理面から解決できるのか?と思われるでしょうが、我々が捉えているこの社会というものは、我々の個人の価値観などから捉えられ、判断されるものです。我々は、その判断を基にして行動を起こし、その結果を得て、さらに判断したり、さらに新しい価値観を得て、新しい行動を積み重ねます。ここに、社会環境がどうであれ、比較的幸福感を得ながら、自分で自分の行動を起こし、その結果がどうであれ、それを享受し、新たな目的目標を積み上げていくスキルの基本が実は隠されています。できるだけ多くの人にこのスキルを伝達する事で、この社会は、現実はいかなるものであれ、そこで生きる我々にとっては良い方向に変化する可能性が見えてくるのではないかと思われます。しかし、何も行われずに自然に任せていたのでは、それは無理です。誰かが何かを行い、多くの仲間を集めて影響を及ぼしあい、それをできるだけ沢山の人々に共有してもらうという、社会的努力が必要です。それは、何も社会体制を変革してしまおうとか、革命を起こそうなどというものではなく、また、ある特定の思想や信仰に偏って、そこに多くの人々をがんじがらめにしてしまおうというものでもありません。個々の考え、人生観、主義主張、信仰などを変化させる事無く、前向きに導いていく方法です。それがあれば、世の中明るくなりますね。それを行うのは、かつては地域社会であったでしょう。地域社会の濃密な人間関係の中で、それを倫理的にリードする役割の長老や僧侶、神主などが、何度も人々に語り掛け、もって、人々の行動や感性を変化させ、よい方向に導いていったものと思われます。それが、日本という国の生産力持続力を支えていたと思われます。現代社会では、何が、その代わりを担うべきなのでしょうか。それは、企業です。企業が、従業員のモチベーションを無理なく高め、精神的な幸福感を維持しつつ、それによって企業そのものが成長し、高い利潤と社会的信用を増幅するために何をすれば良いのかを考え、実行していく時代が到来したようです。それは、単に理想だと思いますか?世界には、この日本国内でも、それを実行し、高い成果をあげている企業が多数現れてきています。人々の幸福感を高め、生産性を高め、社会への貢献意欲も高めていく施策は、企業でしか、もはや行えない時代が来てしまったと言っても過言ではないと思います。では、どう行うのか。そこに至るには、何通りもの道筋があります。どの道筋を通るかは、企業のおかれた状況や目指す方向によってまちまちですが、基本はほぼ同じです。それを日々提案させていただいております。儲けたいのもヤマヤマですが、組織をより強靭に変化させるために何をすべきかは、経験値の中に組み込まれています。それをしっかりと伝えていきたいと、切に望んでいます。



    

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プチエッセイ 2016年2月26日

たまたま手に取った手塚治虫の「ブッダ」から思弁宇宙の曼荼羅を考えます

漫画からのテーマです。たまたま昼食に入った店のカウンターに漫画がずらりと並んでいて、注文したメニューが出てくる間、手に取ったのが手塚治虫の「ブッダ」でした。長編なのと説教臭い漫画に思えたのとで、今まで読んだ事がないのですが、とりあえずどの巻からでもと、いきなり八巻の途中からページをめくりました。前後の話は見えないにしても、インドのある国の王子が奴隷の女の子供で、王子は奴隷の母親を嫌って牢獄につなぎます。その奴隷の女にわが母の面影を見出したのが同じく奴隷の若者。やがて奴隷の女は疫病にかかり、我が子たる王子の手によって、国を追い出されます。それに付き従ったのが奴隷の若者ですが、女は道中、病が悪化して身罷ります。つまり、あの世に逝っちゃった。実は、追い出した王子は母の後を密かに追いかけており、母の死骸を見つけて大泣きに泣きます。奴隷の若者は、我が母の代わりと乞い従う女の死を目の当たりにして、自分も死のうと川に入りますが、死に切れずに岸に打ち上げられますが、そこで出会ったのが修行中のブッダ、つまりゴータマ・シッダールタです。奴隷の若者は、ブッダを修行中の僧侶と見て、すがります。“自分は何故こんな不幸な目にばかりあうのだ。自分と女を追い出した王子は何不自由の無い生活ができているというのに。世の中は不公平だ”と。ブッダは言います。“世の中の生きとし生けるもの全てが何らかの不幸を背負って生きている。お前が幸せだと言う王子は、奴隷の母親への恋しい思いに苦しんでいる。その父親は、妻たる奴隷の女が恋しいのに息子である王子の手前、それが言い出せずに苦しんでいる。王子も王も、そんな風に心の暗闇の部分に苦しみの種を宿している。お前だけが不幸で、つらく苦しいのではない。では何故、そこまで苦しみを背負わねばならないかだが、生きとし生けるもの全てが何らかの意味を背負って生きている。生きているがうえの目的がある。それが何かは、今はわからない。わからないで当たり前だ。生きるとは、それほどに奥が深いものなのだ。奴隷の女が死に、お前が生きているのは、その事に意味があるからなのだ。その意味を追い求めてごらん。”その話を聞き、奴隷の若者は自分の生きるという意味を求めて修行の旅に出ます。ブッダは、そこで「はっ」とします。“私は何故人は苦しむのかという、その理由を知りたくて修行している。それなのに、もう知っている事の様にあの若者にしゃべってしまっている。その私は一体何なのだ。これが悟るという事なのか。”と、で、突然ですが、私はここに手塚治虫の凄さを見た気がしましたが、いかがでしょうか。このままの件がゴータマ・シッダールタの伝承の中に認められているのでしょうか。不勉強な私は、ここからは想像で話をせざるを得ないのですが、おそらく、ここの部分は手塚治虫の想像だろうと。人が人に語りかける時に、語りかける当の本人が新たな発見をするという事は良くあります。語りかけなくても、フンフンと聞いているうちに、いきなり閃きが脳内を駆け巡ることも。それはたいてい、考えに考え抜いている課題に対して、ふとした瞬間に、いきなり起こるものだと思われます。あるいは、文書を書いていて、どのように論を展開しようかと書き進みあぐねている時に、天啓のようにいきなりキーボードの上で指が動き出す、実際はそうではなくて、私が思考し答えを出そうとする方向に思弁が流れているのだろうと思います。それを指が拾い上げてキーを打たせているのでしょう。そういう事があるという事と、ブッダの悟りを連携させると言う事は、なかなかそういう発想はできるものではないと思います。例えブッダを一人の人間として描こうと思っていたとしてもです。これは、ブッダを通して描かれた人の思弁の典型例です。これは手塚治虫がブッダを神がかり(仏がかり)な存在としてではなく、一人の人間として描きたかったが故の展開でしょう。「ブッダ」という漫画がその先、どのように進行するのかは、私は知りません。が、現実世界では、ゴータマ・シッダールタという男の思弁がさらに展開し、シッダールタ亡き後、500年後に、インドのバラモンやシバの神々を取り込み、もしかしたらギリシャ神話までをも取り込んで、羅漢、明部、天部、菩薩、如来という壮大な仏教世界が作り上げられ、中国に伝えられ、その一部が華厳宗として先んじて日本に伝わり、奈良の大仏が作られ、後に密教部分が空海や最澄らの手によって持ち帰えられ、さらにその後、瞑想を道元が持ち帰ります。ブッダの思弁は曼荼羅として具象化されますが、それを人間ブッダとして描こうとした時、さらに人間存在としての曼荼羅が描かれねばならず、手塚治虫が漫画によってその存在曼荼羅を具象化したという事なのでしょう。昨今、「マインドフルネス」というキーワードだけが一人歩きしていますが、「マインドフルネス」を突き詰めようとする時に、一番手近な材料を手塚治虫が残してくれていると言っても良いのかもしれません。例えば「火の鳥 鳳凰編」などは、我王というエゴイズムの塊の悪党がマインドフルに変貌していく様が語られます。途中何度も我欲に屈します。その度に、良弁和尚からそれで良いのだと諭され、立ち上がります。これは、いわば、一人の人間の中に生まれる葛藤の姿でもあります。最後には、両腕を切り落とされても必死で立ち上がり、仏の姿を刻み続ける一人の怪僧となり、野山に多くの石仏を残します。誰のために?誰のためでもなく、いつかそれを必要としてくれる人のためでしょう。カウンセラー必読の漫画のような気がしますが、いかがでしょうか。



    

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プチエッセイ 2016年2月23日

金谷先生の説かれる三上文法から、日本語の中に潜む真の強さを発見できました

「和」のレジリエンスを深掘りしたく、金谷武洋先生の「日本語が世界を平和にするこれだけの理由」を手に取りました。もともとは、マーティン・セリグマン博士のポジティブ心理学に傾倒しているところに、たまたま、梅原猛先生と竹内均先生の対談「古代史への挑戦」を手にとったところからの、金谷先生の著作への展開となります。梅原先生と竹内先生が、日本の古代の姿を求めて対談されているのですが、年代は1980年代です。今では当然と考えてもよい日本の縄文文化とアイヌ文化との類似性が熱く語られていました。特に日本のアニミズムとアイヌのアニミズムの類似性が高いこと、アイヌ民族が寒冷地適応していないモンゴロイドである事などを説き起こし、そこから日本の縄文の姿を見、実はその時代の古代語が古事記などにも記されているということでした。縄文文化は一万年以上続いた文化であり、大陸から稲作文化が入って来たときに、柔軟に融合していったと考えられます。融合しつつ弥生文化が形成されていったのですが、おそらく弥生化しつつ縄文を残した民族がこの国には大和朝廷が形成された後にも残っていたと考えられないでしょうか。例えば、桓武天皇が長岡京を形成した780年代に関東の地にいたアテルイの一族などは、中央集権の文化にも適応しつつ、自分たち独自の文化を築いていたのです。これを中央集権に反旗を翻す平将門のような勢力と見るか、縄文の名残の一族で、自分たちの文化を守りつつ大和政権と共存を図っていたとみるかは、私は知識を持ちません(類似の話で言えば、丹波地方に勢力を築いたタニハ国は、724年に大和朝廷に屈しています。その一族の娘真名井御前は、人質にとられ、後に空海から得度を得ました)。が、どちらの可能性も否定できないところです。縄文から弥生、そして現代へと続く中で、その文化の中心となった主な民族は違うかと思われますが、その根底に流れるアニミズムや共生の文化は、脈々と私たちの中に流れているのでしょうか。それが端的に現れているのが「日本語」という言語だろうとは、梅原先生も指摘されているところです。ならば、それは、一体どこに残されているのか。それを探りたく、金谷先生の本に出合わせていただいた次第です。先生の論点、もしくは三上文法の論点である、「日本語には主語がない、もしくは、いらない」という説には、深く納得しました。なぜこの国には八百万も神様がいるのか、なぜ、他国のように一神教ではないのか、この謎も同時にとけたようなきがします。「おれ」「おまえ」の対立の中では、神様がごちゃごちゃと沢山いては困るのです。逆に、「私たち」という共存、共生、供視の世界では、「私たち」と同じくらいの数の神様がいても、向き合えるのです。なぜなら「私たち」は「おれ」と「おまえ」のように一対一で向き合っているのではなく、「私たち」全員が同じ方向を向いて語っているからです。語る先には共同幻想(吉本隆明先生)たる神様がいます。仏様も何もかもが、その神様の集団の中におさまります。仏様という世界も、もともとは哲学であったものが宗教に展開したと思われますが、その過程で実に多くの古い神様を巻き込んでいます。そういう意味では、仏教を作り出した文化も、縄文や弥生の文化と似たものがあったのかもしれません。これは自然界に豊富な実りがあり、共生関係にありえた民族ならではの文化と考えても良いように感じます。自然の厳しさの中で自然と対立し、種をつないできた民族とは、ここが違うような気がします。ペルーの山岳地帯の原始宗教も多神教であった事を考えると、確からしいと思われます。ここに金谷先生は供視が生じると言っておられますが、私は、「和」と言ってしまってよいのではないかと思います。意味するところは同じでしょう。縄文から弥生、古代国家、近代国家へと続く基本の言葉の中に脈々と「和」が残っています。それが日本語だということです。「おはよう」「ありがとう」という時、私たちは、「おれ」「おまえ」で語るのではなく、「神様」を想定して、同じ方向を向いて語っているのです。この関係が集団を構成し、国家を構成したときに「大きな和の広がり=大和」となったのですね。そして、「大和心」が形成されていったのです、現代には「和」の心は、まだまだ残っており、いろいろなところで、「和」は発揮されています。ジョン・レノンの「イマジン」という曲は有名ですが、この曲は実はオノ・ヨーコの作だったとは、オノ・ヨーコの「和」の心を考えれば納得できる気がします。さて、「和」の心ですが、ここから強さを見出すとすれば、柔軟に様々な文化と融合し、取り入れることができるというところでしょう。すべてを「神様」を向こうにして、向き合う「私たち」と表現してしまえるのですから。わが国の歴史を否定するつもりはさらさらありませんが、明治維新で落として来た素晴らしいものとして、この本当の「大和心」があるような気がしますね。柔軟で真に根強い「大和心」が、たくましいが折れやすい「大和魂」に置き換えられ、置き去りにされたようです。列強の大国に伍するためには仕方がなかったのでしょうが、そろそろ皆で「大和心」を拾いに行き、もう一度、プライドの中心にすえても良いような気がしませんか。そこから、世界平和が生まれれば、本当に素晴らしいことです。私ももっと勉強させていただき、三上文法、金谷先生の小さな継承者の一人でありたいと切に願います。それは、マーティン・セリグマン博士のポジティビティと何ら反しないどころか、同じ方向を向いていると確信できた次第です。



    

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プチエッセイ 2016年2月19日

歴史の中の神・仏の流れから「和」の強みを探ります

前回の続きです。日本の歴史の流れから、「和」の姿を見つめてみたいと思います。仏教伝来の頃の日本は、まだ藤原不比等が古事記を編纂する前ですから、日本の神の姿は、八百万ではあっても、私たちが知るような記紀神話の形ではなかったはずです。縄文時代から続く地神信仰があり、自分達を取り囲む様々な事象に神を見出し感謝していたでしょう。そこで「神様」と向き合う「私たち」が成立し、「私たち」は共感を軸にして、「神様」との日常の対話を行っていたと考えられます。共感が軸となっていますから、基本的には否定ではなく、肯定が中心となっていたでしょう。「信じる・信じない」ではなく、「全てはあるがままに在り、それを受け入れる」という発想でしょう。その発想が中心となって、大陸から渡来する新しい文化についても、自然に受け入れたのではないかと思います。ですから、仏教も自然に受け入れ、元からあった自分達の「神様」と共存させるどころか、「神様」には、仏や菩薩を守護する護法神の役割を与えました。例えば、奈良の興福寺を護るのは春日大社、京都の東寺を護るのは伏見稲荷というようにです。これが神仏習合の姿でしょう。なんら混乱する事無く新しい宗教を受け入れられたのは、「神様・仏様」に向かい合う「私たち」という「共感=和」の姿があり、それが柔軟性を保ち、吸収力が高かったのだろうと考えられます。その柔軟性、吸収性が投影されたものが「神様」であるならば、「神様」はためらいもなく「仏様」を受け入れるのです。そのベースがあるからこそ、「キリスト教」を受け入れ、西洋文化についてもしかり、また、明治維新後の富国強兵政策の中で、西洋の文化や考え方を素直に自分達のものにしていったのでしょう。かつて、西欧諸国には信じられないスピードで新しい技術を自分達のものとし、大国に互角に闘えるまでになったのも、吸収力が高かったためだと考えられます。その吸収力の高さが逆に仇になったのが、まさに古来からの「和」の意味の塗り替えだったのではないでしょうか。欧米列強に追いつけ、追い越せと懸命になるあまり、まずは古来の「和」を否定し、欧米列強の価値観に合う形のものに置き換えていった。そして、本来の「私たち」の「共感」という意味合いは薄れ、最後には国民を戦場に送り出す精神的支柱として「大和」が出現したと考えられます。戦後も「和」は「大和」と共に忌むべきものと考えるようにGHQは私たちに押し付けます。そして個人主義の社会に向かって走り始めるのです。ただ、言語は依然として「和」の形を保っています。ここに私たちが抱え込んだ大きな自己矛盾があるように感じます。例えば、アサーションという言葉があります。これは自己主張という意味合いです。もともと、自分の意思を相手に伝えるのが下手だと感じている人のためのトレーニングです。多くの企業がアサーショントレーニングを行い、多くのカウンセラーやコーチと言われる人々(私もそうです)が、それを受託しています。カウンセラーやコーチの中で、ここに違和感を感じる人が少ないのが悲しいところです。私のように違和感を感じても、生活のために請け負っている人も多いかもしれませんが。私たちが行っているアサーショントレーニングは、西洋式、つまり英語やフランス語などスペイン語系の言葉を話す人々が考え、それが日本に渡ってきて、ほぼ直訳されたものです。トレーニングの中でメソッドのみを与えます。つまり、とりあえずの対処療法なのです。ここから行動変容や意識変容へと向かう人々、向かわせる事に長けたカウンセラーやコーチに会った記憶がありません。これは、カウンセラーやコーチの問題もありますが、そもそも自己主張する側もされる側も、日本語を使っているわけで、その根源となる「和」を見失ってしまっているからだと考えるのは早急すぎるでしょうか。「和」を私たちの弱点として放棄したわけですが、弱点を見直してそこから強みを見出してみるのが、ポジティビティの一つのメソッドであり、認知行動療法のあり方の一つであるならば、私たちはそろそろ「和」の弱み、弱点をしっかりと体系化し、そこから強みを見出しても良い時期に来ているのではないでしょうか。ここで間違ってはいけないのは、闇雲に精神論で「和」を唱えることではありません。しっかりと根拠を見出しながら「和」の概念を分析し、体系化し、それをメソッドにまで落とし込む、まさに、自然科学の手法を用いて行うべきものでしょう。



    

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プチエッセイ 2016年2月15日

歴史に潜む「大和」という言葉から「和」のポジティビティを考察します。

いきなりですが、「和」のポジティビティという概念について説明を試みたいと思います。「和」のポジティビティは、マーティン・セリグマン博士の影響を受けて、ここ数日、私の頭の中で渦巻いています。さて、かつて、聖徳太子が「和を持って尊し」と言い、そこから「大和(和の大きな集合体)」という名の国家が生まれ、そこで育まれた精神が「大和魂」であったはずなのですが、戦時体制の中で、「大和魂」は随分と勇ましいイメージを植えつけられ、戦後のGHQの戦略もあって、「大和」という言葉はSFアニメや映画の中だけで語られる固有名詞となりました。本来「大和」は、相互に共感しあう事でゆるやかな国家を作り上げ、共に栄えて行こうという、そういう理想を言葉に置き換えたものではないかと思いますが、いかがなものでしょう。もともと、日本に栄えていたのは縄文式の文化でした。縄文文化は文字を持たないので、詳しい記録は残されていないのですが、周囲の山野と実にうまく共存し、狩猟採集社会として一万年以上続いたとされています。さらに徐々に大陸からの稲作文化を取り込み、弥生時代へと引き継ぐのですが、これも緩やかに異文化を取り込んでいったのではないかと考えられています。この時代の言葉や生活習慣は、藤原不比等の時代にまで残っていたのではないかというのが梅原猛先生の推測です。というのも、古事記などの中に登場する宮中で語られる言葉や謡の中に、意味不明なものが多いのだそうです。どう考えても古代語を意味がわからないままに語り継いでいるのではないかと推測できるのだそうです。それが、現代の日本語にまで残っているのだという仮説もあります。もちろん古語として残っているのではなく、古語の持つスピリッツが私たちの日常使う会話の中に残っているのでは、ということです。縄文の生活に想像を向けると、私たちの祖先は、実に様々なものから恩恵を受けて、概ね生きるに困らない生活を営んでいたのかも知れません。その生活習慣を想像で語るのはよろしくないとは思いますが、富の偏りの比較的少ない共存共栄社会であったのではないかと想像してみます。古代社会のアニミズムの中にあって、恩恵を与えてくれるあらゆるものに畏敬の念を感じ、感謝して生きていたでしょう。それは、近世までアイヌ社会にしっかりと残っていたのだと梅原先生は語っておられます。アニミズムは、いたるところに地神を生み、そして、藤原不比等によって編纂され、八百万の神となります。その時に私たちの祖先が得たものは、私とお前の対立、「I」と「You」の対立ではなく、「私たち」と「神様たち」という構図だったのではないかということです。「ありがとう」の語源は「有難い」ですが、この感謝の言葉は、何かをしてくれた「あなた」や、してもらった「私」を主語とするのではなく、その機会をもたらしてくれた「神様」に向かって、「私」と「あなた」が共に感謝するのです。ですから「有難い」に主語はなくて当然です。「神様たち」は共同幻想の産物ですから、ここに対峙する相手は実際にはいなくて、「私たち」の共感性のみが成立しています。「私たち」が共感の中で、「有難いことですね」と認識しあうのです。これが「和」の根源的な姿です。この「和」が明治維新後の欧米化の中で否定され、変質していったものと思われます。では、この「和」が否定されずに現代にまで息づいていたとしたら、どんな社会が成立していたでしょうか。また、そのような「和」は、どのように欧米社会と向かい合っていたでしょうか。最近、こんな事に興味しんしんです。



    

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プチエッセイ 2016年2月13日

宗教という共同幻想の世界から、対話の大切さを考察します。

宗教概念を入り口にして、行動経済学と現代社会で起こっている出来事から、もう少し考察してみたいと思います。1月22日に書かせていただきましたが、「共同幻想」から考えた私達人類の観念の進む方向性は、基本的に「善」であり、倫理観や道徳、救いなどであるようですが、これは前提として、その集団の構成員の社会概念、特に幸福感などについての基準概念(基準率)が概ね同じ、つまり、社会の中で格差が小さい場合について言えるようです。経済格差が小さいのが良いのでしょうが、基準概念ですから、例えばせめて幸福感などの精神面においての格差が小さい事が望まれるのですが、私達は周囲の環境に大きな影響を受けますから、自分の置かれた状況と周囲の状況とにあまりに差があり過ぎると、精神的な安定を得るために周囲の「共同幻想」から離脱せざるを得ません。そして、自分と同じ基準率をもつ者同士でつながり始め、やがて結束を強めます。1960年代のシェリフという心理学者は、グループ間に距離が生じると、グループ内の結束が高まる反面、グループ間に敵愾心が生まれるようだと報告しています。グループ内でさらに結束を高め、敵対するグループへの攻撃能力を高めるために本来は「善」に向かうはずの「共同幻想」が暴力的な方向に向かい、それを自分達の基準率とし始めるのも、私達人類の共通の特性でもあるようです。つまりは、結束力の高い集団はやがて暴力的になるという事でしょうか。それを避け、さらに発展的に思考するためには、定期的に他集団と交流し合い、語り合い、協力し合う事だと言うのは、ボブ・スティルガー達が現実社会において証明しているところでもあります。彼らが提唱しているワールド・カフェというディスカッション形態は、実にシンプルながら、じっくりと対話ができ、驚くほどの気づきを与えてくれます。そして、個々人なりの意見を持ちつつ総意に近づけます。人数が多ければ、泊りがけでやってもいいのです。じっくりと向き合うと、人間同士は決して悪意には向かえない事が実感できます。宗教概念とは少しはずれますいが、そういう意味では、やはり、私達人類の「共同幻想」の方向性は「善」である事には、間違いなさそうです。争い合うよりも語り合えと言うことなのでしょう。宗教的に言えば、相手を憎むより慈しめ、思いやれと言うことなんでしょうか。それが私たちの根源的な「強み」であると言ってもいいのではないかと、そう思いたいものです。



    

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